Re: 或る掲示板猿の選択
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2006/05/16 22:57 投稿番号: [3327 / 6946]
パラグアイの新聞を少し眺めただけで、でるわでるわ、現地の不逞鮮人どもの醜聞・・。
まあ、日本に寄生している鮮人の犯罪もその人口比から考えると決して少なくないことを
考えれば、世界のどこでもこれが奴らの”通常”なのでしょう。
「世界の嫌われ者」鮮民族は嫌われるに充分すぎる理由があると言わざるを得ません。
以前に何度も韓カテに投稿した内容ですが、対比の為に再三掲載しておきます。
「1980年にアルゼンチンに駐在した越智啓介大使の述懐によれば、着任挨拶の際の
各大臣との会談のなかで、日本人の評判があまりにもよい。お世辞であろうと思い、
法務大臣に面接したとき、そのことに触れ、本当のことを知りたいと申し入れた。
大学の法科の教授でもあり、検事正も務めたことがあるその法相は、自らも日本人とは
どんな民族か非常に興味をもったことがあり、過去30年にさかのぼり、犯罪の記録を
調べたことがあるという。たった1件の事件が見つかったが、それは養鶏場に押し入った
泥棒を追い払おうとして、誤って殺してしまい、結局は無罪となった事件だけであった。
法相は日本人が、驚くほど徳性の高い民族であることを認識したという。このように、
遠く海外に出た先輩たちが日常生活と事業のうえで、かくも高い信頼をかち得て
その国の人となり、日本人の真価を高めていることを、日本の人びとも知らねば
ならないのではないか」
「戦前、1936年にパラグアイのラ・コルメナに入植した日本人たちは、わずかな
人数であった。しかし彼らの示した実績は大きく、戦後の移住者6千人を
導入する基をなした。(中略)人びとは農業に精を出し、長い苦闘の末、
その国の人の信頼をかち得て、戦後の移住者の土台となったばかりでなく、
海外でもまれに見る立派な2世たちを輩出した。
国際的な信頼とは、5年や10年で築かれるものではない。また単なる利害のみで
永続するものでもない。20年、30年という年月のたゆまぬ誠実さと努力によって、
それは達成されるものであることを、日本の若者も、開拓の始祖たちの歩んだ
道をとおして学ばねばならない」
「ラ米諸国において、日系人が多大の信頼を得ているのは、移住者が定着して
よく働き、努力し、農業の生産をはじめとし、勤勉にものを生産する仕事に
従事しているからである。事情不案内の国に移った移住者たちは、懸命に働いて
生活を築くよりほかに道がなかった。大部分の日本人は取引のうえで、
得をするよりも損をする場合のほうが多かった。日本人はずる賢く立ちまわる
術を知らなかった。そのため、日本人の信用は逆に増大したのである。
損をしたことは日系人への信頼と尊敬となって、何倍も大きくなって返ってきた。
そしてその地域に安住の地を見出す源となった。
同じ東洋の民である韓国人や中国人も戦後、入植してきたが、顔形が同じであるゆえに
ラ米人から日本人と同じ信頼を受けた。彼らの大部分は中華料理店、行商、小商いに
従事する者が多く、ほとんどの移住者は農業移住で来ながら、農業生産に従事しない
特色があった。なかには密輸などに関係して、不可解な殺人事件などを起こす
こともあった。そのため、彼らが家を借りるにも取引をするにも、現地の人から、
「あなたは東洋人でも、どこの国の人間か」と問われるようになったと、
韓国の友人も述懐していた」
(「南米から見た日本人」サイマル出版会)
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俺の生きの目的ははあれの念願で身体まで震えてるよ。チンポを女性の肌に触らせたくて息が詰まるよ。お前は何か他に緊急特別説明し切れない高尚な思い出もござる? 猿!
まあ、日本に寄生している鮮人の犯罪もその人口比から考えると決して少なくないことを
考えれば、世界のどこでもこれが奴らの”通常”なのでしょう。
「世界の嫌われ者」鮮民族は嫌われるに充分すぎる理由があると言わざるを得ません。
以前に何度も韓カテに投稿した内容ですが、対比の為に再三掲載しておきます。
「1980年にアルゼンチンに駐在した越智啓介大使の述懐によれば、着任挨拶の際の
各大臣との会談のなかで、日本人の評判があまりにもよい。お世辞であろうと思い、
法務大臣に面接したとき、そのことに触れ、本当のことを知りたいと申し入れた。
大学の法科の教授でもあり、検事正も務めたことがあるその法相は、自らも日本人とは
どんな民族か非常に興味をもったことがあり、過去30年にさかのぼり、犯罪の記録を
調べたことがあるという。たった1件の事件が見つかったが、それは養鶏場に押し入った
泥棒を追い払おうとして、誤って殺してしまい、結局は無罪となった事件だけであった。
法相は日本人が、驚くほど徳性の高い民族であることを認識したという。このように、
遠く海外に出た先輩たちが日常生活と事業のうえで、かくも高い信頼をかち得て
その国の人となり、日本人の真価を高めていることを、日本の人びとも知らねば
ならないのではないか」
「戦前、1936年にパラグアイのラ・コルメナに入植した日本人たちは、わずかな
人数であった。しかし彼らの示した実績は大きく、戦後の移住者6千人を
導入する基をなした。(中略)人びとは農業に精を出し、長い苦闘の末、
その国の人の信頼をかち得て、戦後の移住者の土台となったばかりでなく、
海外でもまれに見る立派な2世たちを輩出した。
国際的な信頼とは、5年や10年で築かれるものではない。また単なる利害のみで
永続するものでもない。20年、30年という年月のたゆまぬ誠実さと努力によって、
それは達成されるものであることを、日本の若者も、開拓の始祖たちの歩んだ
道をとおして学ばねばならない」
「ラ米諸国において、日系人が多大の信頼を得ているのは、移住者が定着して
よく働き、努力し、農業の生産をはじめとし、勤勉にものを生産する仕事に
従事しているからである。事情不案内の国に移った移住者たちは、懸命に働いて
生活を築くよりほかに道がなかった。大部分の日本人は取引のうえで、
得をするよりも損をする場合のほうが多かった。日本人はずる賢く立ちまわる
術を知らなかった。そのため、日本人の信用は逆に増大したのである。
損をしたことは日系人への信頼と尊敬となって、何倍も大きくなって返ってきた。
そしてその地域に安住の地を見出す源となった。
同じ東洋の民である韓国人や中国人も戦後、入植してきたが、顔形が同じであるゆえに
ラ米人から日本人と同じ信頼を受けた。彼らの大部分は中華料理店、行商、小商いに
従事する者が多く、ほとんどの移住者は農業移住で来ながら、農業生産に従事しない
特色があった。なかには密輸などに関係して、不可解な殺人事件などを起こす
こともあった。そのため、彼らが家を借りるにも取引をするにも、現地の人から、
「あなたは東洋人でも、どこの国の人間か」と問われるようになったと、
韓国の友人も述懐していた」
(「南米から見た日本人」サイマル出版会)
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俺の生きの目的ははあれの念願で身体まで震えてるよ。チンポを女性の肌に触らせたくて息が詰まるよ。お前は何か他に緊急特別説明し切れない高尚な思い出もござる? 猿!
これは メッセージ 1 (shibural7 さん)への返信です.
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