イ・グアスーの滝
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2005/02/01 23:46 投稿番号: [2692 / 6946]
>いいですね、生イグアス。
>そういえば椎名誠の番組でイグアスの滝が取り上げられていたので、
>すごい景色とウワサで聞いた”悪魔の喉笛”という場所が映らないか期待していたんですが、
>イマイチよくわからなかったです。
写真欄のイグアスの滝の絵葉書を更新しておきます。
そういえば29日の同じフジテレビの番組「世界の絶景」は御覧になりましたか?
氷河はやはりアルゼンチンのペリート・モレーノ氷河でした。
南米では他にインカ帝国の首都だったクスコも取り上げられていました。
ちなみに「クスコ」とは先住民族の言葉(ケチュア語)で"中心”を意味します。
そのクスコを中心にインカ帝国は4つの地域に分かれていました。
東は「アンデスヨ」西は「チンチャイスヨ」北は「コヤスヨ」南は「コンデスヨ」と
呼ばれていました。アンデス山脈の名前はこの”クスコの東”を意味する「アンデスヨ」に
由来すること、いうまでもありません。
ところで「インカ帝国の創始者は日本人だった」という説を聞いたことがあります。
ペルーの外交官、作家でもあったフランシスコ・デ・ロアイサが1926年に出した著書には
「インカ帝国の創始者は日本人だった」というサブタイトルがつけられています。
(タイトル名はシブ猿が発狂して喜ぶのであえて書かない)
以下、アルゼンチンの邦字紙「らぷらた報知」(平成12年2月5日版)から抜粋。(長いので一部のみ)
━ペルー、ボリビアに居住するケチュア族の言語(インカ帝国の公用語)とペルーとボリビアに
またがるティティカカ湖周辺に住むアイマラ族の言語に通じるロアイサであるが、日本で8年間の
外交官の役目も果たし、また日本語の勉強もした。日本語の意味との類似性を求めて言語原理体系に
沿いながら、アンデス系の高原地帯の歴史的人物と場所の名称の研究を一歩一歩すすめた。
このようにして、インカ帝国の住民が話していたケチュア語、アイマラ語の中である特定の意味を
もたない多くの言葉が、日本語としては意味をもっていることを立証していった。
この本で著者は、インカ族の中で、一般住民が知らない言葉が使われているという、問題を解く
手掛かりになるデータを指摘している。1586年、スペイン王の命令で作成された報告によると
各地域共同体の首長は、標準語としてケチュア語を話すことが義務づけられ、また宮廷でも
インカ側からの命令はケチュア語で行なわれていたけれども、「同じインカ族や同血筋の者の
間では別の言葉が使われ、首長はもちろんその側近もその言葉、単語でさえ覚えることは
許されていなかった」。支配特権グループが、その地域で話されているどの言語ともつながりの
ない不思議な言語を使用していたとは、どういうことなのだろうか?この作者が述べるところによると、
インカ帝国の創始者(名はシブ猿がコーフンして発情するのであえて書かない)は、
、ティティカカ湖の島で生まれたと当時信じられていた。このティティカカという単語は
ケチュア語やアイマラ語の中で、何の意味も内容も持っていない。しかし日本語では「チチ父」
「ハハ母」になりそうだ。この本で場所の名前としてARICA, CUZCO, ASAPA, UMAGATA, WAKI,
TAKIRI, UCHU, SUMA, KOPPA, KORO-KORO, NASAKARAという言葉のつながりが次々に出てくる。
その場所にこのような名前をつけたのは「そのルートを歩いた日本人たちだった」・・・
「ARICAアリカ」は元ペルー領だったチリ最北端の町、「ASAPAアサパ」はその郊外にある
村及び渓谷です。私はどちらも1度だけですが、訪れています。
個人的には「インカ帝国の創始者は日本人だった」はマユツバと思いますが、鮮人どもの持論
「日本の天皇はウリ民族ニダ!」説よりはマシかと思われます。
まあ、血の99%以上が日本人でも一滴でも鮮人の血が入れば「ウリ民族」認定、というなら
わかりませんが。
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>童貞が捨てられるなら
2001/11/12 7:14
投稿者: ah_lonely (男性/高麗)
捨てない
>そういえば椎名誠の番組でイグアスの滝が取り上げられていたので、
>すごい景色とウワサで聞いた”悪魔の喉笛”という場所が映らないか期待していたんですが、
>イマイチよくわからなかったです。
写真欄のイグアスの滝の絵葉書を更新しておきます。
そういえば29日の同じフジテレビの番組「世界の絶景」は御覧になりましたか?
氷河はやはりアルゼンチンのペリート・モレーノ氷河でした。
南米では他にインカ帝国の首都だったクスコも取り上げられていました。
ちなみに「クスコ」とは先住民族の言葉(ケチュア語)で"中心”を意味します。
そのクスコを中心にインカ帝国は4つの地域に分かれていました。
東は「アンデスヨ」西は「チンチャイスヨ」北は「コヤスヨ」南は「コンデスヨ」と
呼ばれていました。アンデス山脈の名前はこの”クスコの東”を意味する「アンデスヨ」に
由来すること、いうまでもありません。
ところで「インカ帝国の創始者は日本人だった」という説を聞いたことがあります。
ペルーの外交官、作家でもあったフランシスコ・デ・ロアイサが1926年に出した著書には
「インカ帝国の創始者は日本人だった」というサブタイトルがつけられています。
(タイトル名はシブ猿が発狂して喜ぶのであえて書かない)
以下、アルゼンチンの邦字紙「らぷらた報知」(平成12年2月5日版)から抜粋。(長いので一部のみ)
━ペルー、ボリビアに居住するケチュア族の言語(インカ帝国の公用語)とペルーとボリビアに
またがるティティカカ湖周辺に住むアイマラ族の言語に通じるロアイサであるが、日本で8年間の
外交官の役目も果たし、また日本語の勉強もした。日本語の意味との類似性を求めて言語原理体系に
沿いながら、アンデス系の高原地帯の歴史的人物と場所の名称の研究を一歩一歩すすめた。
このようにして、インカ帝国の住民が話していたケチュア語、アイマラ語の中である特定の意味を
もたない多くの言葉が、日本語としては意味をもっていることを立証していった。
この本で著者は、インカ族の中で、一般住民が知らない言葉が使われているという、問題を解く
手掛かりになるデータを指摘している。1586年、スペイン王の命令で作成された報告によると
各地域共同体の首長は、標準語としてケチュア語を話すことが義務づけられ、また宮廷でも
インカ側からの命令はケチュア語で行なわれていたけれども、「同じインカ族や同血筋の者の
間では別の言葉が使われ、首長はもちろんその側近もその言葉、単語でさえ覚えることは
許されていなかった」。支配特権グループが、その地域で話されているどの言語ともつながりの
ない不思議な言語を使用していたとは、どういうことなのだろうか?この作者が述べるところによると、
インカ帝国の創始者(名はシブ猿がコーフンして発情するのであえて書かない)は、
、ティティカカ湖の島で生まれたと当時信じられていた。このティティカカという単語は
ケチュア語やアイマラ語の中で、何の意味も内容も持っていない。しかし日本語では「チチ父」
「ハハ母」になりそうだ。この本で場所の名前としてARICA, CUZCO, ASAPA, UMAGATA, WAKI,
TAKIRI, UCHU, SUMA, KOPPA, KORO-KORO, NASAKARAという言葉のつながりが次々に出てくる。
その場所にこのような名前をつけたのは「そのルートを歩いた日本人たちだった」・・・
「ARICAアリカ」は元ペルー領だったチリ最北端の町、「ASAPAアサパ」はその郊外にある
村及び渓谷です。私はどちらも1度だけですが、訪れています。
個人的には「インカ帝国の創始者は日本人だった」はマユツバと思いますが、鮮人どもの持論
「日本の天皇はウリ民族ニダ!」説よりはマシかと思われます。
まあ、血の99%以上が日本人でも一滴でも鮮人の血が入れば「ウリ民族」認定、というなら
わかりませんが。
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>童貞が捨てられるなら
2001/11/12 7:14
投稿者: ah_lonely (男性/高麗)
捨てない
これは メッセージ 2685 (CDU_CSU さん)への返信です.
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