ギジェルモ・ブラウン提督
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2004/11/21 23:45 投稿番号: [2470 / 6946]
>私は海上自衛隊HPで特集ニュースをみたのですが(現在はリンク切れ)
>その他にもナントカ将軍像(アルゼンチン海軍のひと?)にも献花をおこない
>日本の艦隊司令がアルゼンチン軍の儀仗隊の栄誉礼?を受けていました。
おそらくその”ナントカ将軍像”はブラウン提督(Almirante Brown)のものではと思われます。
(Guillermo Brown、Guillermo は英語のWilliamに相当)
(ブエノスアイレス市内のどこかでその胸像をみた記憶があるが、場所は思い出せない)
私も名前だけしか知らなかったのでネット上で検索してみつけたのが以下のページです。
http://www.ara.mil.ar/historia/heroes/brown.htm
ざっと見ると
ブラウン提督は19世紀初期に対スペイン王党派海軍との戦い(モンテビデオ)や
その後のブラジル帝国海軍との戦いで活躍したアルゼンチン海軍の指揮官(アイルランド系)、
とのことです。5月17日が「アルゼンチン海軍記念日」で、それがブラウン提督指揮下の
艦隊がモンテビデオ港においてスペイン王党派海軍を撃破したことに(1814年)
由来するとは初めて知りました。1816年のアルゼンチン独立(当時はリオ・デラ・プラタ合州国)
を決定付ける一つの戦いだったとか。
彼の名を冠した巡洋艦(1931年竣工)をみつけました。なにがしか同時代の日本海軍の
巡洋艦「古鷹」級に似ている外見(兵装も)です。
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/veinticinco.html
彼の名を冠するものは数多くあり、南極のアルゼンチン基地、サッカーチーム、
アルゼンチンの町などがあります。
私がブラウン提督なる人物の名前だけ知っていたのは私が昔住んでいたブエノスイアレス市内の
ボカ地区のメインストリート?の名前が”ブラウン提督大通り(Avenida Almirante Brown)”
だったからです。ちなみにこの”ブラウン提督大通り”と交差するピンソン通り(私は
この通りに住んでいた)を西に3ブロックほど進むとボカ・ジュニオルズの
本拠地スタジアムの正面にでます。
前述のページから
1826年にブエノスアイレス港外に31隻から成るブラジル艦隊が突如現れた時に
11隻の艦隊を持って迎え撃ち撃退した海戦での戦闘開始直前の
ブラウン提督の部下への激励の言葉、の部分の抜粋。
「共和国の船員、兵士諸君よ、そこに浮いている大きな山をみただろう。
31隻の敵艦だ!しかし諸君達の提督が少しでも危機感を抱いている、と思わないでほしい。
なぜなら諸君達の勇気を疑わず、敵軍を打ち破り
”5月25日(1810年の独立の契機となった5月革命を指す)”
の再現をしてくれることを期待しているのである。
同志諸君よ、勝利を信じてくれ、規律と祖国への万歳三唱を!」
直後にブラウン提督の旗艦はあの不滅の指令をだした、
「射撃開始、国民が我々を見守っている」
この海戦の20年ほど前の有名な”トタファルガー海戦”(1805年)でのネルソン提督の
史上に名高い指令「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」をなぜか
思いだしましたニダ。
ブラウン提督とは関係ありませんが、チリの海軍兵学校(港町バルパライソにある)には
日本の東郷提督の胸像があるそうです。東郷提督はチリ海軍の”3大英雄”の1人です。
ウリナラ、マンセー!!
>ブエノスアイレスの港(ボカ港?)を出港したときの写真がありましたが、
>ラプラタ川と大西洋の水の色が茶と青ではっきりとわかれているのがみえておもしろかったです。
ブエノスアイレス市内空港であるホルヘ・ニューベリー空港(通称アエロ・パルケ)は羽田空港の
ようにすぐ側がラプラタ河なのでここから飛行機で飛び立つと上空から青と茶色のコントラストが
みえることがあります。私も昔、ブエノスアイレスからチリ・サンティアゴに空路で行くときに
何度かこの空港から飛び立ち上空からのラプラタ河及びブエノスアイレスを堪能しましたニダ。
この空港は羽田空港と同じく国内専用ですが、一部の国際線(ウルグアイやチリへの)も
ここから発着していました。ちなみにブエノスアイレス郊外にある国際空港エセイサ空港
(正式名称はピスタリーニ空港)は内陸に向かって30㌔ぐらいにあるのでここから離陸しても
ラプラタ河はみえません。
--------------------
俺の生きの目的ははあれの念願で身体まで震えてるよ。チンポを女性の肌に触らせたくて息が詰まるよ。お前は何か他に緊急特別説明し切れない高尚な思い出もござる? 猿!
>その他にもナントカ将軍像(アルゼンチン海軍のひと?)にも献花をおこない
>日本の艦隊司令がアルゼンチン軍の儀仗隊の栄誉礼?を受けていました。
おそらくその”ナントカ将軍像”はブラウン提督(Almirante Brown)のものではと思われます。
(Guillermo Brown、Guillermo は英語のWilliamに相当)
(ブエノスアイレス市内のどこかでその胸像をみた記憶があるが、場所は思い出せない)
私も名前だけしか知らなかったのでネット上で検索してみつけたのが以下のページです。
http://www.ara.mil.ar/historia/heroes/brown.htm
ざっと見ると
ブラウン提督は19世紀初期に対スペイン王党派海軍との戦い(モンテビデオ)や
その後のブラジル帝国海軍との戦いで活躍したアルゼンチン海軍の指揮官(アイルランド系)、
とのことです。5月17日が「アルゼンチン海軍記念日」で、それがブラウン提督指揮下の
艦隊がモンテビデオ港においてスペイン王党派海軍を撃破したことに(1814年)
由来するとは初めて知りました。1816年のアルゼンチン独立(当時はリオ・デラ・プラタ合州国)
を決定付ける一つの戦いだったとか。
彼の名を冠した巡洋艦(1931年竣工)をみつけました。なにがしか同時代の日本海軍の
巡洋艦「古鷹」級に似ている外見(兵装も)です。
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/veinticinco.html
彼の名を冠するものは数多くあり、南極のアルゼンチン基地、サッカーチーム、
アルゼンチンの町などがあります。
私がブラウン提督なる人物の名前だけ知っていたのは私が昔住んでいたブエノスイアレス市内の
ボカ地区のメインストリート?の名前が”ブラウン提督大通り(Avenida Almirante Brown)”
だったからです。ちなみにこの”ブラウン提督大通り”と交差するピンソン通り(私は
この通りに住んでいた)を西に3ブロックほど進むとボカ・ジュニオルズの
本拠地スタジアムの正面にでます。
前述のページから
1826年にブエノスアイレス港外に31隻から成るブラジル艦隊が突如現れた時に
11隻の艦隊を持って迎え撃ち撃退した海戦での戦闘開始直前の
ブラウン提督の部下への激励の言葉、の部分の抜粋。
「共和国の船員、兵士諸君よ、そこに浮いている大きな山をみただろう。
31隻の敵艦だ!しかし諸君達の提督が少しでも危機感を抱いている、と思わないでほしい。
なぜなら諸君達の勇気を疑わず、敵軍を打ち破り
”5月25日(1810年の独立の契機となった5月革命を指す)”
の再現をしてくれることを期待しているのである。
同志諸君よ、勝利を信じてくれ、規律と祖国への万歳三唱を!」
直後にブラウン提督の旗艦はあの不滅の指令をだした、
「射撃開始、国民が我々を見守っている」
この海戦の20年ほど前の有名な”トタファルガー海戦”(1805年)でのネルソン提督の
史上に名高い指令「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」をなぜか
思いだしましたニダ。
ブラウン提督とは関係ありませんが、チリの海軍兵学校(港町バルパライソにある)には
日本の東郷提督の胸像があるそうです。東郷提督はチリ海軍の”3大英雄”の1人です。
ウリナラ、マンセー!!
>ブエノスアイレスの港(ボカ港?)を出港したときの写真がありましたが、
>ラプラタ川と大西洋の水の色が茶と青ではっきりとわかれているのがみえておもしろかったです。
ブエノスアイレス市内空港であるホルヘ・ニューベリー空港(通称アエロ・パルケ)は羽田空港の
ようにすぐ側がラプラタ河なのでここから飛行機で飛び立つと上空から青と茶色のコントラストが
みえることがあります。私も昔、ブエノスアイレスからチリ・サンティアゴに空路で行くときに
何度かこの空港から飛び立ち上空からのラプラタ河及びブエノスアイレスを堪能しましたニダ。
この空港は羽田空港と同じく国内専用ですが、一部の国際線(ウルグアイやチリへの)も
ここから発着していました。ちなみにブエノスアイレス郊外にある国際空港エセイサ空港
(正式名称はピスタリーニ空港)は内陸に向かって30㌔ぐらいにあるのでここから離陸しても
ラプラタ河はみえません。
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俺の生きの目的ははあれの念願で身体まで震えてるよ。チンポを女性の肌に触らせたくて息が詰まるよ。お前は何か他に緊急特別説明し切れない高尚な思い出もござる? 猿!
これは メッセージ 2467 (CDU_CSU さん)への返信です.
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