旅人木日記またはベセスダの回想

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杉原ビザで上海へ移住したユダヤ人

投稿者: unhoo 投稿日時: 2004/08/31 23:35 投稿番号: [4451 / 6473]
↓参考地図

http://www.mahooshanghai.com/map/

昭和17年12月の寒い日の午前、わしは友人を訪問するために、上海の楊浦地区を東の方へと歩いて行った。中流階級の居住地帯だった。そこで思いがけなくユダヤ人が集団居住している地区に入り込んだ。彼らは隔離されていなかったが、生活のために団結して、大規模な共同炊事をやっていた。ちょうど昼飯の分配をもらうために行列ができていた。家族単位の分配で、行列に並ぶのは主に一家の中の若い男女で、にぎやかにおしゃしゃべりして、表情は明るかった。人口は数千人と、そのときわしは見積もった。生活水準は、当時の上海としては中流程度、しかしどんな仕事をして生活費を稼いでいたのか不明。

2,3年前のヤフー掲示板のどのトピかに、このことを投稿したとことがある。すると当時大活躍していた投稿家JOHN_VOID氏がらレスがついた。あれが杉原ビザで逃れてきたユダヤ人だとのこと。JOHN_VOID氏によると、当時このユダヤ人集団は、日本軍にとって利用価値があったから、自由な生活を与えたのだが、1943年には情勢が変わって、利用価値がなくなったから、黄浦江対岸の浦東地区にゲットーを構築して、彼らをぶち込んで、そのまま終戦に至ったと。わしはそこまでは知らない。そのときのJOHN_VOID氏との問答を一日以上探したが、みつからない。もうそのトピは消滅したのである。当時の浦東地区は、建物の少ない未開発地区だった。

地図の中の楊浦地区、虹口地区、閘北地区、黄浦地区の北半分、静安地区が共同租界だった(あまり正確には記憶していないが)。

フランス租界は、黄浦地区の南半、廬湾地区全部、徐匯地区全部だったようだ。

黄浦地区、静安地区の北の境界を蘇州河が流れて虹口地区、閘北地区と隔てられている。日米戦争で共同租界は日本軍の支配するところとなったが、日本軍は兵や将校が蘇州河以南へ遊びに行くことを禁止した。用事で蘇州河以南へ行く兵、将校は、必ず「公用」の腕章を巻いていなければならなかった。

フランス租界には、日本軍は手をつけなかったが、ド・ゴール将軍がパリを取り戻した後は、軍事支配下に入れた。しかし数ヶ月で日本の敗戦となった。

日米戦争の期間中、上海の治安は良好で、国民党や共産党によるテロは発生しなかった。

上海の日本人居留民は、大部分が虹口(ホンキュウ)地区に住み、日本人経営の商店も多かった。そのために虹口地区のことを、日本租界と呼ぶこともあったが、実際は共同租界のうちであった。
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