89年6.4事件
投稿者: mamahuhu_ren 投稿日時: 2009/06/04 20:32 投稿番号: [36 / 101]
あれから20年が経過したのですね。
当時北京の友誼賓館に住んでいました。人民大学が
すぐそばにあり5月20日軍が北京へやってきた時にも大学の
門前にいました。
6月3日の土曜日天安門広場へは会社から帰宅途中
自分で運転して立ち寄りました。毎日出勤と退勤には
遠回りにはなるが天安門広場へ出かけていました。
6月3日の夜は次の日が日曜日なので弾圧にはいい日なので
何かが起こると予測し、外には出かけないようにしていました。
9歳、7歳、5歳の子供たちがいたので安全を確保していました。
6月4日友人から電話があり事件を知りました。友誼賓館の正面
の道路に出ると血のついた旗を掲げた学生が天安門から次々に
戻ってきていました。沿道の庶民は「国民党の軍隊でも
こんなひどいことはしなかった」みんな涙を流していました。
私はすぐに車で公主墳へ出かけました。電柱は倒され、コンクリー
の破片が散らばり、頭上にはヘリコプターが下の軍隊が
乗ったトラックを指揮していました。
5日にはそこから東に行ったところの最もひどい現場に
家内が車を乗り入れ焼かれた戦車や装甲車、機関銃
などを写真に収めました。最近その時の写真を取り出し
当時を思い出しています。
若い人は6.4事件のことをあまり知りません。また
文化大革命についても知りません。どの出来事も目の当たりに
経験した私の話を興味深げに聞きたがります。
教科書の歴史問題は日本にも存在しているかもしれませんが
中国も自国の歴史問題を直視しなければならない
のではないでしょうか。
素敵な北京ではない歴史をあまりにも多く体験してきました。
中国の歴史や歴史的建造物、自然は現在の政治とは関係ありません。
それを除外した「北京は素敵」です。
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