中国(人)の横暴さと異質さ
投稿者: ari_babajapan 投稿日時: 2009/10/17 07:25 投稿番号: [1 / 2]
私は長野市に居住して5年になる。北京五輪の聖火リレーの騒動の一コマから感じたこと。
長野の聖火リレーのコースに沿った市街地域は中国の紅い国旗におおわれていた。しかもその五星紅旗はみな、あっと驚くほど巨大だった。日本国内で普通の手段では入手できるはずがない超大サイズなのである。その数もおびただしかった。
友人は「あれ、ここ日本かな、と思いました」ともらし、六千人とされる中国人男女の参集には組織的な主導が感じられたことを示唆したように、在日の中国大使館のイニシアティブは明白だった。
その中国の人たちの国旗を振り回しての国威の発揚ぶりはものすごかった。いかなる事情があるにせよ、自国の国旗をこれほど多数、これほど傍若無人に、他の主権国家の内部で振り回す国家や国民がほかにあるだろうか?私にはこの長野の情景こそまさに中国の異質性を凝縮していると思えたのだった。
同時にひるがえって、他国の国旗を自国領内でこれほど多数、これほど勝手に誇示されても黙したまま、という国は日本以外にほかに存在するだろうか、とも私はいぶかった。
ちなみに同じ聖火リレーはイギリス、フランス、アメリカでも挙行され、同じようにチベットでの弾圧に抗議する人々が聖火リレー自体を中国政府に見立てて気勢をあげ、圧力をかけ、妨害さえ試みた。その抗議の勢いはいずれの国でも長野よりも激しかった。その抗議に対抗する中国側の反対の動きもどの国でもあった。だが他のどの国でも中国擁護の人たちが掲げた五星紅旗は長野の比ではなかった。数はずっと少なく、旗のサイズもずっと小さかったのである。
サンフランシスコの聖火リレーでは五星紅旗よりも星条旗の数が多くみえた。チベットの旗も長野よりずっと多数のようだった。中国側は明らかにアメリカやフランスでよりも日本でこそ、なんの自制なしに、自分の国の国旗を気の向くままに打ち振れると考えている、と判断するほかなかった。
長野の実像は国際基準での中国の異質性だけでなく、日中関係の特殊性をも印象づける結果となった。この特殊性は国旗を振るという行為自体を例にとっただけでも、明白となる。中国の国内で日本人がいかなる理由にせよ、多数、集まって日の丸の旗を打ち振るという行為はまず考えられないからだ。中国在住のわが同胞たちはそんなことはとんでもないと、よくわかっている。
たとえば北京市内の街頭でたとえ数人でも日本人が集まって、日章旗を振り続ければ、周囲の中国人から物理的に阻止されるだろう。危害さえ加えられかねない。一言で理由を述べるならば、反日、嫌日の土壌のためである。なにしろ中国側はことあるごとに日章旗を踏みにじり、焼き捨てるという蛮行を働いてきたのだ。だが日本政府は自国の旗が焼かれたということだけでは、抗議の行動はなにもとらない。ただただ黙したままである。
日本は中国領内での反日デモで自国関連施設が破壊されても、断固たる対応はまずとらない。中国産の毒ギョーザが日本国民に明らかに実害をもたらしても、輸入禁止のような明確な措置はとらない。アメリカ産の有害牛肉はすぐに輸入禁止にするのに、である。
日本の中国へのこうした態度は「日中友好」というような虚ろな政治スローガンの呪縛にかかり、中国の異質性は見て見ぬふり、異質性がないかのようにふるまってきた結果であろう。あるいは中国側が上手に切る「歴史カード」によって贖罪意識を勝手に強められ、中国には一切、批判的な言動がとれなくなるという催眠効果のせいでもあろうか。いずれにせよ、長年のゆがみの集積のせいである。
長野の聖火リレーのコースに沿った市街地域は中国の紅い国旗におおわれていた。しかもその五星紅旗はみな、あっと驚くほど巨大だった。日本国内で普通の手段では入手できるはずがない超大サイズなのである。その数もおびただしかった。
友人は「あれ、ここ日本かな、と思いました」ともらし、六千人とされる中国人男女の参集には組織的な主導が感じられたことを示唆したように、在日の中国大使館のイニシアティブは明白だった。
その中国の人たちの国旗を振り回しての国威の発揚ぶりはものすごかった。いかなる事情があるにせよ、自国の国旗をこれほど多数、これほど傍若無人に、他の主権国家の内部で振り回す国家や国民がほかにあるだろうか?私にはこの長野の情景こそまさに中国の異質性を凝縮していると思えたのだった。
同時にひるがえって、他国の国旗を自国領内でこれほど多数、これほど勝手に誇示されても黙したまま、という国は日本以外にほかに存在するだろうか、とも私はいぶかった。
ちなみに同じ聖火リレーはイギリス、フランス、アメリカでも挙行され、同じようにチベットでの弾圧に抗議する人々が聖火リレー自体を中国政府に見立てて気勢をあげ、圧力をかけ、妨害さえ試みた。その抗議の勢いはいずれの国でも長野よりも激しかった。その抗議に対抗する中国側の反対の動きもどの国でもあった。だが他のどの国でも中国擁護の人たちが掲げた五星紅旗は長野の比ではなかった。数はずっと少なく、旗のサイズもずっと小さかったのである。
サンフランシスコの聖火リレーでは五星紅旗よりも星条旗の数が多くみえた。チベットの旗も長野よりずっと多数のようだった。中国側は明らかにアメリカやフランスでよりも日本でこそ、なんの自制なしに、自分の国の国旗を気の向くままに打ち振れると考えている、と判断するほかなかった。
長野の実像は国際基準での中国の異質性だけでなく、日中関係の特殊性をも印象づける結果となった。この特殊性は国旗を振るという行為自体を例にとっただけでも、明白となる。中国の国内で日本人がいかなる理由にせよ、多数、集まって日の丸の旗を打ち振るという行為はまず考えられないからだ。中国在住のわが同胞たちはそんなことはとんでもないと、よくわかっている。
たとえば北京市内の街頭でたとえ数人でも日本人が集まって、日章旗を振り続ければ、周囲の中国人から物理的に阻止されるだろう。危害さえ加えられかねない。一言で理由を述べるならば、反日、嫌日の土壌のためである。なにしろ中国側はことあるごとに日章旗を踏みにじり、焼き捨てるという蛮行を働いてきたのだ。だが日本政府は自国の旗が焼かれたということだけでは、抗議の行動はなにもとらない。ただただ黙したままである。
日本は中国領内での反日デモで自国関連施設が破壊されても、断固たる対応はまずとらない。中国産の毒ギョーザが日本国民に明らかに実害をもたらしても、輸入禁止のような明確な措置はとらない。アメリカ産の有害牛肉はすぐに輸入禁止にするのに、である。
日本の中国へのこうした態度は「日中友好」というような虚ろな政治スローガンの呪縛にかかり、中国の異質性は見て見ぬふり、異質性がないかのようにふるまってきた結果であろう。あるいは中国側が上手に切る「歴史カード」によって贖罪意識を勝手に強められ、中国には一切、批判的な言動がとれなくなるという催眠効果のせいでもあろうか。いずれにせよ、長年のゆがみの集積のせいである。
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