難民申請した人の記事を読むと中国って・・
投稿者: uso_ha_ikemasen_nee 投稿日時: 2009/05/18 13:31 投稿番号: [6191 / 11357]
−なぜ、日本で難民認定の申請をしたのか。
「私は中国の南部、広東省汕頭(スワトー)市の保税局公共事業管理局の幹部だった。中国語では『総工程士』といって、建築関係の技術者を統括する立場にあったのだが、自分が中国では生活する際、自分の身に危害を加えられ、弾圧を受けるという危険を察知したためだ」
−具体的には?
「それは理由がふたつある。ひとつは宗教的なこと。もうひとつは政治的な問題だ。まず、最初の宗教的なことは、当時私の小学生の息子が私に『キリスト教の地下教会のことを教えてほしい』と尋ねてきたことからだった。地下教会というのは、中国政府が認定していないキリスト教のことで、主にバチカン系のキリスト教のこと。中国政府はそれを『邪教』としているが、私の職場には、その地下教会の信者がいた。それで、息子と一緒にその地下教会の集会にも出席するようになった。ただ、断っておくが、私は信者ではない。その地下教会について、職場で同僚と話していたところ、私の上司が聞きつけて、『職場でそのような話はするな。そんなところには今後絶対行くな』と命令口調で言った。それだけでなく、『お前は、そんなところに行って、反省しろ』といわれたもので、私もカッとなって、激しい口論になってしまった。それで、私は中国政府に反対する邪教を信じる反動分子となってしまった」
−なるほど、ふたつ目の理由は?
「ふたつ目は、中国では建築物をつくる際の手抜き工事が蔓延(まんえん)しており、私は建築関係の専門家として、スワトーでの建築物件についての工事の許可を出す立場にあったことと関係している。私はもともと大学で建築を専攻し、河南省駐馬店市や広東省スワトー市などの地方政府で建築設計に携わってきた。スワトー保税区で総工程師として勤務していた際、私が扱った工事の見積書のなかには、このまま工事をすれば、地震などの際、間違いなく壊れてしまうという物件が多数あった。わたしは専門家として、このような実態を報道機関が明らかにして、一般の人々に知らせるべきだと思った。実際、損害をこうむるのは一般市民だからだ。このため、まず必要なのは、中国に欠けている報道の自由であると私は確信した。長文の意見書をスワトー市の共産党組織の最高責任者に送った。ところが、それが裏目に出て、その最高責任者から私の職場のトップに連絡がいき、私は『反動分子』というレッテルを張られてしまい、市当局によって、家族ともども24時間監視体制に置かれるなどの迫害を受けた」
−その後どうなりましたか。
「もう、警察が夜中に尋ねてくるし、私はほぼ常時、監視態勢下に置かれた。もちろん、尾行もついていたように思う。職場に行っても、重要な職務からは外され、これまで自由に読むことができた党の内部文書には触らせてももらえなくなった。重要な会議には出席を拒否され、職場で座っているだけになった。その間、必ずだれから私のことを見張っているわけだ。さらに、ひどかったのは、02年9月にスワトー市の近郊の農村地帯で、住民らが土地の収用などに抗議して、警官隊と衝突するという大規模な暴力事件が起こった際、私が事件の首謀者として疑われ、取調べを受けたことだ。このままでは、私はいつかぬれぎぬを着せられて、刑務所か、労働改造所に送り込まれるなど、社会的に抹殺されてしまうのではないかと懸念した。これが、日本での難民申請の理由だ」
−難民認定が認められるまで6年半ほどかかっているわけですね。その間、奥さんなどと連絡はとっていたのですか。
「手紙は全部、警察関係者から検閲を受けるから、だめだ。1度だけ、スワトーから90キロほど離れた広州市の消印のある妻の手紙を受け取ったことはあるが、スワトー市内で危険だ。基本的に連絡は電話だが、これも盗聴されていて、警官が夜中に来て『電話の内容はどんなものだったか』などと尋問したり、嫌がらせをしているようだ。」
−今後やりたいことは?
「07年10月、中国の民主化団体『中国民主陣線』に入った。日本支部の広報部長をしているほか、ドイツにある陣線本部の理事も兼ねている。天安門20周年に当たる今年、日本政府が私を政治難民として認定したことは、結果的に、中国の民主化運動を支援する形となった。私が難民認定されるまで、民主化運動を支持する弁護士など日本人から多くの支援をいただいた。本当に感謝したい。今後は中国民主化のために一層尽力していきたい。特に、天安門事件20周年の今年は、中国大陸の民主化指導者の文書を発表したり、彼らを招いて、日本や米国、欧州で民主化問題に関するシンポジウムを開催するなど、活発な活動を行う予定だ」
「私は中国の南部、広東省汕頭(スワトー)市の保税局公共事業管理局の幹部だった。中国語では『総工程士』といって、建築関係の技術者を統括する立場にあったのだが、自分が中国では生活する際、自分の身に危害を加えられ、弾圧を受けるという危険を察知したためだ」
−具体的には?
「それは理由がふたつある。ひとつは宗教的なこと。もうひとつは政治的な問題だ。まず、最初の宗教的なことは、当時私の小学生の息子が私に『キリスト教の地下教会のことを教えてほしい』と尋ねてきたことからだった。地下教会というのは、中国政府が認定していないキリスト教のことで、主にバチカン系のキリスト教のこと。中国政府はそれを『邪教』としているが、私の職場には、その地下教会の信者がいた。それで、息子と一緒にその地下教会の集会にも出席するようになった。ただ、断っておくが、私は信者ではない。その地下教会について、職場で同僚と話していたところ、私の上司が聞きつけて、『職場でそのような話はするな。そんなところには今後絶対行くな』と命令口調で言った。それだけでなく、『お前は、そんなところに行って、反省しろ』といわれたもので、私もカッとなって、激しい口論になってしまった。それで、私は中国政府に反対する邪教を信じる反動分子となってしまった」
−なるほど、ふたつ目の理由は?
「ふたつ目は、中国では建築物をつくる際の手抜き工事が蔓延(まんえん)しており、私は建築関係の専門家として、スワトーでの建築物件についての工事の許可を出す立場にあったことと関係している。私はもともと大学で建築を専攻し、河南省駐馬店市や広東省スワトー市などの地方政府で建築設計に携わってきた。スワトー保税区で総工程師として勤務していた際、私が扱った工事の見積書のなかには、このまま工事をすれば、地震などの際、間違いなく壊れてしまうという物件が多数あった。わたしは専門家として、このような実態を報道機関が明らかにして、一般の人々に知らせるべきだと思った。実際、損害をこうむるのは一般市民だからだ。このため、まず必要なのは、中国に欠けている報道の自由であると私は確信した。長文の意見書をスワトー市の共産党組織の最高責任者に送った。ところが、それが裏目に出て、その最高責任者から私の職場のトップに連絡がいき、私は『反動分子』というレッテルを張られてしまい、市当局によって、家族ともども24時間監視体制に置かれるなどの迫害を受けた」
−その後どうなりましたか。
「もう、警察が夜中に尋ねてくるし、私はほぼ常時、監視態勢下に置かれた。もちろん、尾行もついていたように思う。職場に行っても、重要な職務からは外され、これまで自由に読むことができた党の内部文書には触らせてももらえなくなった。重要な会議には出席を拒否され、職場で座っているだけになった。その間、必ずだれから私のことを見張っているわけだ。さらに、ひどかったのは、02年9月にスワトー市の近郊の農村地帯で、住民らが土地の収用などに抗議して、警官隊と衝突するという大規模な暴力事件が起こった際、私が事件の首謀者として疑われ、取調べを受けたことだ。このままでは、私はいつかぬれぎぬを着せられて、刑務所か、労働改造所に送り込まれるなど、社会的に抹殺されてしまうのではないかと懸念した。これが、日本での難民申請の理由だ」
−難民認定が認められるまで6年半ほどかかっているわけですね。その間、奥さんなどと連絡はとっていたのですか。
「手紙は全部、警察関係者から検閲を受けるから、だめだ。1度だけ、スワトーから90キロほど離れた広州市の消印のある妻の手紙を受け取ったことはあるが、スワトー市内で危険だ。基本的に連絡は電話だが、これも盗聴されていて、警官が夜中に来て『電話の内容はどんなものだったか』などと尋問したり、嫌がらせをしているようだ。」
−今後やりたいことは?
「07年10月、中国の民主化団体『中国民主陣線』に入った。日本支部の広報部長をしているほか、ドイツにある陣線本部の理事も兼ねている。天安門20周年に当たる今年、日本政府が私を政治難民として認定したことは、結果的に、中国の民主化運動を支援する形となった。私が難民認定されるまで、民主化運動を支持する弁護士など日本人から多くの支援をいただいた。本当に感謝したい。今後は中国民主化のために一層尽力していきたい。特に、天安門事件20周年の今年は、中国大陸の民主化指導者の文書を発表したり、彼らを招いて、日本や米国、欧州で民主化問題に関するシンポジウムを開催するなど、活発な活動を行う予定だ」
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835368/bee3a4a4hffckdc_1/6191.html