わかってないよ Re: やっとわかった
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2009/02/16 01:05 投稿番号: [98657 / 99628]
>自分のアタマで考え自分のコトバで自由に発言する人が「ネットウヨク」なのでしょう
このように、自分たちネットウヨクは「自分のアタマで考え自分のコトバで自由に発言」しているということが先験的に自明なこととして前提されるのは、その発言の対象となる事象の先行的完全性(絶対性)への疑念というポストモダン的「自由」な思考の欠落と、それ(発言)を語る言葉の限界性(形式性)が認識すらされていない、といったことに起因する近代的形而上学的思想の、無自覚無頓着な踏襲による素朴な思考様式の顕現にすぎません。
世紀の奇書『紋切型辞典』(G・フローベール著)の試みは、たとえば、次のような疑問を引き起こします。
「なんと自然は美しいことか」。なんだか他人の言葉みたいだ。私がことばを使っているのではなく、他人のことばが我が物顔にのさばって、私を操っているような。出来合いのことばが、私の口を使って、勝手にしゃしゃりでてくるような……私がしゃべっていることばは、いったいどこから来ているのだろう。私が感じていると思っていることや、自分の意見だと思っていることは、私自身の中から生まれてきたものではないのかな。
『紋切型辞典』朝比奈弘治の解説より
この疑問を主題とした権威的書物(この権威主義者め! なんてお叱りにならないで下さい)を私は所有していましたが、書棚を漁ってもなぜか見つかりません。ですから、ここでは、補足的な(学問的な言葉遣いによる)説明として別の書物から引用します。
その名付けがたい「不自由」とは、読むこと、そして書くこと、さらには思考することを介して誰もがごく日常的に体験している具体的な「不自由」である。だが、人は、一般に、それを「不自由」とは意識せず、むしろ「自由」に近い経験のように信じこんでいる。 〜(中略)〜
「自由」と錯覚されることで稀薄に共有される「不自由」、希薄さにみあった執拗さで普遍化される「不自由」。これをここでは、「制度」と名づけることにしよう。読まれるとおり、その「制度」は、「装置」とも「物語」とも「風景」とも綴りなおすことが可能なものだ。 〜(中略)〜
「装置」として「物語」として、「風景」として不断に機能している「制度」を、人が充分に怖れるに至っていないという事実だけが、何度も繰り返し反復されているだけである。
『表層批評宣言』蓮実重彦
ネットウヨクは「自由に」発言している、とおっしゃります。引用文の鍵括弧は私が付けたものではありません。著者が括弧によって強調された「自由」の錯覚に気づかれるべきです。(もう21世紀も10年近くたってますよ)
このように、自分たちネットウヨクは「自分のアタマで考え自分のコトバで自由に発言」しているということが先験的に自明なこととして前提されるのは、その発言の対象となる事象の先行的完全性(絶対性)への疑念というポストモダン的「自由」な思考の欠落と、それ(発言)を語る言葉の限界性(形式性)が認識すらされていない、といったことに起因する近代的形而上学的思想の、無自覚無頓着な踏襲による素朴な思考様式の顕現にすぎません。
世紀の奇書『紋切型辞典』(G・フローベール著)の試みは、たとえば、次のような疑問を引き起こします。
「なんと自然は美しいことか」。なんだか他人の言葉みたいだ。私がことばを使っているのではなく、他人のことばが我が物顔にのさばって、私を操っているような。出来合いのことばが、私の口を使って、勝手にしゃしゃりでてくるような……私がしゃべっていることばは、いったいどこから来ているのだろう。私が感じていると思っていることや、自分の意見だと思っていることは、私自身の中から生まれてきたものではないのかな。
『紋切型辞典』朝比奈弘治の解説より
この疑問を主題とした権威的書物(この権威主義者め! なんてお叱りにならないで下さい)を私は所有していましたが、書棚を漁ってもなぜか見つかりません。ですから、ここでは、補足的な(学問的な言葉遣いによる)説明として別の書物から引用します。
その名付けがたい「不自由」とは、読むこと、そして書くこと、さらには思考することを介して誰もがごく日常的に体験している具体的な「不自由」である。だが、人は、一般に、それを「不自由」とは意識せず、むしろ「自由」に近い経験のように信じこんでいる。 〜(中略)〜
「自由」と錯覚されることで稀薄に共有される「不自由」、希薄さにみあった執拗さで普遍化される「不自由」。これをここでは、「制度」と名づけることにしよう。読まれるとおり、その「制度」は、「装置」とも「物語」とも「風景」とも綴りなおすことが可能なものだ。 〜(中略)〜
「装置」として「物語」として、「風景」として不断に機能している「制度」を、人が充分に怖れるに至っていないという事実だけが、何度も繰り返し反復されているだけである。
『表層批評宣言』蓮実重彦
ネットウヨクは「自由に」発言している、とおっしゃります。引用文の鍵括弧は私が付けたものではありません。著者が括弧によって強調された「自由」の錯覚に気づかれるべきです。(もう21世紀も10年近くたってますよ)
これは メッセージ 98644 (melancholy_night さん)への返信です.
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