ネットウヨクは‘犬’である
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2009/02/02 02:01 投稿番号: [98604 / 99628]
>日本の役人は比較的に優秀ですが、何十年も同じ部署に勤めていると先輩から引き継ぐ仕事に疑問を感じなくなり、天下り先に仕事を出すようになったりするのでせう
こういう思考停止した衆愚役人どもが「優秀」とは一般的に評価されないが、この語学留(遊)学ネットウヨクの他の一文、
>祖国は素晴らしい、日本は酷いと言い乍ら祖国に帰って国の再興に献身しようとはしない彼ら、とんと日本人には理解出来ませんよね
まで鑑みれば、ここに、ネットウヨクにありふれた前近代的大日本帝国思考的没個性的奴隷根性が容易に発見できます。
誰が「祖国は素晴らしい、日本は酷い」なんていったんだ? という諸君の韓国朝鮮認識の本質的誤謬が与える当然の疑問はひとまず放置します。ここでは、一個人が上の理不尽な指令命令を素直に従うといった卑屈に対する軽視と、一個人は国家に献身せねばならない存在だと見做す、ネットウヨク特有の「思想」が看破されねばなりません。
こういった衆愚宣言に等しい雑文からは、たとえば、非人間的天皇の軍隊という場所で、滅私奉公を説く上官に向かって、
おれの個性が消えてなくなってたまるか、消えてなくなりはしないぞ。
『神聖喜劇』大西巨人
と心の内で力む主人公東堂太郎のような気概は見出せず、一個人は国家や巨大機構に吸収搾取埋没利用されるものなのだ、という規範が無意識無条件に前提されている、ということが諸問題の根源なわけです。
基本的に貧困層を対象とした粗雑なファーストフード(ジャンクフード)店が提供する犬の餌程度の非文化的食料を好んだネットウヨクのカミングアウトは、連想的な閃きを鮮やかに提示します。
そうです、ネットウヨクとは、じつは‘犬’だったのです。
私の「滑稽で悲惨な生」は、入隊と同時に終り、私は、その特殊な境涯で一匹の犬となるはずであった。
(前掲書)
という、たとえば軍隊(官僚機構・国家権力機構)という巨大組織の中で、みずからを‘犬’的存在だと是認する‘犬’なのです。
他の例でいうなら、君が代強制問題に関連して、立岩真也立命館大学教授が指摘する、
忠誠を上から求められた人や組織は、それを立派に遂行しようとする
(東京新聞・2008年10月27日)
君が代強制派のネットウヨク的(犬的)思考行動こそがまさに衆愚の愚行なわけですが、‘犬’を願望する諸君の「思想」はここでも倒錯し、自由な思考は放棄され、国歌国旗強制側(権力)の‘犬’に徹するわけです。
どんな崇高な理想を象徴する国歌・国旗でも、いやむしろそこに象徴された理想が「崇高」であればあるほど、民衆に国民的一体化を強要し、まつろわぬ民、他者への暴力に動員していく力を発揮する。
『戦後責任論』高橋哲哉
靖国神社という戦争動員装置への諸君の共感も同じですが、根底に指摘できるのはネットウヨクの‘犬’的性質です。
さらに例示するなら、今回の世界的不況を招いた新自由主義礼賛の背景も同種のものです。
マーケット・メカニズムや自由競争、あるいは、グローバル資本主義の仕組みとは、エリートが大衆を搾取するための「ツール」あるいは「隠れ蓑」として使われているだけではないか。 〜(中略)〜 実は、支配のための道具になっているのではないか。
『資本主義はなぜ自壊したのか』中谷巌
小泉構造改革に加担した著者はその‘懺悔’を書き下ろしますが、「支配」や「搾取」を欲望する‘犬’である諸君の場合、その無責任の構造以前に、反省なんて視野の外にあるわけです。それは不幸なことです。
紙幅の余裕もないので結論を急ぐなら、諸君はみずからを解放する火急の課題に迫られています。‘犬’的衆愚から実存的人間へと諸君を導きたいわけです。
母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるほかないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、ないことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。しかし、生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく。ムルソーは外面から見たところとはちがって、生活を単純化させようとはしない。ムルソーは人間の屑ではない。彼は絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理は、存在することと、感じることとの真理である。
『異邦人』アルベール・カミュ
逆にいえば、諸君は人間の屑である、とまでカミュはいってないけど、さしあたり、そこに気づけばよいのです。
こういう思考停止した衆愚役人どもが「優秀」とは一般的に評価されないが、この語学留(遊)学ネットウヨクの他の一文、
>祖国は素晴らしい、日本は酷いと言い乍ら祖国に帰って国の再興に献身しようとはしない彼ら、とんと日本人には理解出来ませんよね
まで鑑みれば、ここに、ネットウヨクにありふれた前近代的大日本帝国思考的没個性的奴隷根性が容易に発見できます。
誰が「祖国は素晴らしい、日本は酷い」なんていったんだ? という諸君の韓国朝鮮認識の本質的誤謬が与える当然の疑問はひとまず放置します。ここでは、一個人が上の理不尽な指令命令を素直に従うといった卑屈に対する軽視と、一個人は国家に献身せねばならない存在だと見做す、ネットウヨク特有の「思想」が看破されねばなりません。
こういった衆愚宣言に等しい雑文からは、たとえば、非人間的天皇の軍隊という場所で、滅私奉公を説く上官に向かって、
おれの個性が消えてなくなってたまるか、消えてなくなりはしないぞ。
『神聖喜劇』大西巨人
と心の内で力む主人公東堂太郎のような気概は見出せず、一個人は国家や巨大機構に吸収搾取埋没利用されるものなのだ、という規範が無意識無条件に前提されている、ということが諸問題の根源なわけです。
基本的に貧困層を対象とした粗雑なファーストフード(ジャンクフード)店が提供する犬の餌程度の非文化的食料を好んだネットウヨクのカミングアウトは、連想的な閃きを鮮やかに提示します。
そうです、ネットウヨクとは、じつは‘犬’だったのです。
私の「滑稽で悲惨な生」は、入隊と同時に終り、私は、その特殊な境涯で一匹の犬となるはずであった。
(前掲書)
という、たとえば軍隊(官僚機構・国家権力機構)という巨大組織の中で、みずからを‘犬’的存在だと是認する‘犬’なのです。
他の例でいうなら、君が代強制問題に関連して、立岩真也立命館大学教授が指摘する、
忠誠を上から求められた人や組織は、それを立派に遂行しようとする
(東京新聞・2008年10月27日)
君が代強制派のネットウヨク的(犬的)思考行動こそがまさに衆愚の愚行なわけですが、‘犬’を願望する諸君の「思想」はここでも倒錯し、自由な思考は放棄され、国歌国旗強制側(権力)の‘犬’に徹するわけです。
どんな崇高な理想を象徴する国歌・国旗でも、いやむしろそこに象徴された理想が「崇高」であればあるほど、民衆に国民的一体化を強要し、まつろわぬ民、他者への暴力に動員していく力を発揮する。
『戦後責任論』高橋哲哉
靖国神社という戦争動員装置への諸君の共感も同じですが、根底に指摘できるのはネットウヨクの‘犬’的性質です。
さらに例示するなら、今回の世界的不況を招いた新自由主義礼賛の背景も同種のものです。
マーケット・メカニズムや自由競争、あるいは、グローバル資本主義の仕組みとは、エリートが大衆を搾取するための「ツール」あるいは「隠れ蓑」として使われているだけではないか。 〜(中略)〜 実は、支配のための道具になっているのではないか。
『資本主義はなぜ自壊したのか』中谷巌
小泉構造改革に加担した著者はその‘懺悔’を書き下ろしますが、「支配」や「搾取」を欲望する‘犬’である諸君の場合、その無責任の構造以前に、反省なんて視野の外にあるわけです。それは不幸なことです。
紙幅の余裕もないので結論を急ぐなら、諸君はみずからを解放する火急の課題に迫られています。‘犬’的衆愚から実存的人間へと諸君を導きたいわけです。
母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるほかないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、ないことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。しかし、生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく。ムルソーは外面から見たところとはちがって、生活を単純化させようとはしない。ムルソーは人間の屑ではない。彼は絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理は、存在することと、感じることとの真理である。
『異邦人』アルベール・カミュ
逆にいえば、諸君は人間の屑である、とまでカミュはいってないけど、さしあたり、そこに気づけばよいのです。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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