言葉が乱れてます Re: 呆
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2008/03/03 01:03 投稿番号: [97600 / 99628]
>自分の発言には欠落してるくせに、他者にはそれを根拠にして非難しちゃってるのはぱー君以外には誰が見ても明らか
私はヒダリノさんとの長年(といっても1年か2年)に渡る膨大な議論の中で、彼女には被害者を気遣う気持ちなど微塵もない、と断定したのです。なにしろ、何が起きても、レイプされても、殺されても、食品偽装されても、政治家が汚職をしても、した側ではなく、された側の責任ばかりを偏執的に追及する、現代市民社会の原則に反した、大昔帝政時代の倒錯した感性の持ち主です。彼女の思想とは、本多勝一の有名な言葉を引くなら、かなり幼稚な“殺す側の論理”にすぎません。
ところで、よほどお気に障ったらしく、幾度も引用される私の普通の戦争責任論に、
>この発言のどこに『原爆投下の「邪悪性」』があるのか。
「被爆者を気遣う気持ち」は?
「良心的な観点」は?
「ヒューマニズムな視点」は
「パブリックな地平からの、善悪判断」は?
と並々ならぬ怒りをぶつけてくるわけですが、言葉の往復で議論する我々は前後の文脈から論旨を読み取り、その一文が語る本質を抜き出さねばなりません。つまり、私の普通の戦争責任論にそれらが欠けてると指摘されても、そのような「気遣いや」や「善悪判断」はそこではひとまず抹消事項だからと簡単に斥けられるのです。
とはいえ、私は原爆被害に憤り(たぶん、ai_tatatata さん以上に)を感じるからこそ、そんな惨禍を招いた原因を追究したくなるわけです。怒ってるからこそ、指導部の責任を厳しく問うわけです。
被爆者のお身内がおられるから敏感に反応した、論理的思考を失い、感情的衝動だけが先行した、それは理解しますが、であるなら、朝鮮人や中国人への気遣いを徹底して欠いた、南京で殺された中国人が悪い、関東大震災後に虐殺された朝鮮人が悪い、といったまさに被害者遺族を心底怒らせる、暴論以下の糞言論が横行するここに加担する矛盾はどう説明されるのでしょうか?
自分は傷つきたくないが、他人などどうでもよい、とお考えだとそう捉えられても文句はいえません。
>例えがアホ過ぎ
いいえ、それなりに適切な例えです。
祖先の犯罪とそれには直接的に無関係な現在の自分という「区別」は面倒なので同一化して「たとえ」を組ましたが、ここで肝心なのは、反省という行為の主体性の問題です。私の骨子は、他人がどう言おうと、それに対して自分が反省するか否かは自分の意思で主体的自発的に決めることだ、ということです。ai_tatatata さんは、自分が生きてなかった時代に責任はない、反省などできない、という考えのようですが、他人がそれを反省したら、容易に主義を取り下げ、反省猿へと変化するのですか! うーん、主体性の欠片もない人ですね。そういう人たちは、自分で考え行動するこの現代市民社会においては、旧態依然のムラ社会的といって批判されるのです。
>反省を要求するなんざ、アホの所業でしかありません。
反省という言葉に拘泥する必要なない、“第二の罪”を犯すな、過去と真摯に向き合えばよい、と述べたばかりです。なにも現在を生きる日本人たちに、中国人に懺悔して頭を垂れよ、なんて誰もいってません。揚げ足を取ってるだけなのか、それともこの種の議論で使われる「反省」という言葉のイメージが、無教養ゆえに理解できないのかよくわかりませんが、もうこれで大丈夫ですね?
それにしても言葉使いがだいぶ乱れてきているようです。あいかわらず、苦しい詰問は全部スルーの卑怯な態度は昔と一貫してますね。
私はヒダリノさんとの長年(といっても1年か2年)に渡る膨大な議論の中で、彼女には被害者を気遣う気持ちなど微塵もない、と断定したのです。なにしろ、何が起きても、レイプされても、殺されても、食品偽装されても、政治家が汚職をしても、した側ではなく、された側の責任ばかりを偏執的に追及する、現代市民社会の原則に反した、大昔帝政時代の倒錯した感性の持ち主です。彼女の思想とは、本多勝一の有名な言葉を引くなら、かなり幼稚な“殺す側の論理”にすぎません。
ところで、よほどお気に障ったらしく、幾度も引用される私の普通の戦争責任論に、
>この発言のどこに『原爆投下の「邪悪性」』があるのか。
「被爆者を気遣う気持ち」は?
「良心的な観点」は?
「ヒューマニズムな視点」は
「パブリックな地平からの、善悪判断」は?
と並々ならぬ怒りをぶつけてくるわけですが、言葉の往復で議論する我々は前後の文脈から論旨を読み取り、その一文が語る本質を抜き出さねばなりません。つまり、私の普通の戦争責任論にそれらが欠けてると指摘されても、そのような「気遣いや」や「善悪判断」はそこではひとまず抹消事項だからと簡単に斥けられるのです。
とはいえ、私は原爆被害に憤り(たぶん、ai_tatatata さん以上に)を感じるからこそ、そんな惨禍を招いた原因を追究したくなるわけです。怒ってるからこそ、指導部の責任を厳しく問うわけです。
被爆者のお身内がおられるから敏感に反応した、論理的思考を失い、感情的衝動だけが先行した、それは理解しますが、であるなら、朝鮮人や中国人への気遣いを徹底して欠いた、南京で殺された中国人が悪い、関東大震災後に虐殺された朝鮮人が悪い、といったまさに被害者遺族を心底怒らせる、暴論以下の糞言論が横行するここに加担する矛盾はどう説明されるのでしょうか?
自分は傷つきたくないが、他人などどうでもよい、とお考えだとそう捉えられても文句はいえません。
>例えがアホ過ぎ
いいえ、それなりに適切な例えです。
祖先の犯罪とそれには直接的に無関係な現在の自分という「区別」は面倒なので同一化して「たとえ」を組ましたが、ここで肝心なのは、反省という行為の主体性の問題です。私の骨子は、他人がどう言おうと、それに対して自分が反省するか否かは自分の意思で主体的自発的に決めることだ、ということです。ai_tatatata さんは、自分が生きてなかった時代に責任はない、反省などできない、という考えのようですが、他人がそれを反省したら、容易に主義を取り下げ、反省猿へと変化するのですか! うーん、主体性の欠片もない人ですね。そういう人たちは、自分で考え行動するこの現代市民社会においては、旧態依然のムラ社会的といって批判されるのです。
>反省を要求するなんざ、アホの所業でしかありません。
反省という言葉に拘泥する必要なない、“第二の罪”を犯すな、過去と真摯に向き合えばよい、と述べたばかりです。なにも現在を生きる日本人たちに、中国人に懺悔して頭を垂れよ、なんて誰もいってません。揚げ足を取ってるだけなのか、それともこの種の議論で使われる「反省」という言葉のイメージが、無教養ゆえに理解できないのかよくわかりませんが、もうこれで大丈夫ですね?
それにしても言葉使いがだいぶ乱れてきているようです。あいかわらず、苦しい詰問は全部スルーの卑怯な態度は昔と一貫してますね。
これは メッセージ 97597 (ai_tatatata さん)への返信です.
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