Re: パークちゃんにさらにツッコミ!④
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2007/06/15 08:44 投稿番号: [96999 / 99628]
>日本で好き放題、やりたい放題のよそ者に、日本人として自然に憤慨
〜
自分は日本人なんだっていう、ただそれだけを素直に受けいれること
ふむ、「きちんと日本人」の内容は少しわかりました。こういう日本人が「きちんと日本人」なんだ、ということですね。
これは、近代における国民国家の統一基盤を対外的な領域に求めるわけですが、このように日本国民のアイデンティティを規定するのは、ここで誰かが(その見解の妥当性は保留して)おっしゃったように、「反日」でしかアイデンティティを構築できない君の嫌いな半島住人と、自己の内部にではなく、外側との折衝現場をその契機とするという意味で、その基底において同一なモチーフとなります。これは面白いテーマですが、付言するなら、ここのウヨク代表さんはそれを天皇に求めるわけです。
じっさい、市民革命の経験もなく、明治以後天皇を担いで急激に強権的に国民国家を形成して、それが崩壊した後も対米追従という形で国家を発展させた日本の場合、個々に血肉化した内在的で正当な統一性は実はありません。ゆえに、虚構にすぎない天皇伝統主義だの、排斥主義だの、自己愛史観だのといった物騒なアイデアが、バブルもはじけ、55年体制が崩壊して、社会が極端なポストモダン化する中で、その揺るぎと混乱を「正常」に戻そうとする勢力の中から生じ、そこに影響された世代が、まさにここに集う藤岡先生の子供たちなのです。
そういう認識のもと、私見を述べれば、まずこの国民国家という虚構体の無謬性堅牢性を疑い、そこから飛翔する発想を視野に入れるべきです。なぜなら、人は国家に依る存在でもあるが、同時に地域社会に依り、家族に依り、また世界に依る存在でもあるからです。
次に、社会のポストモダン化に関連して、宮台真司の指摘を少々長くなりますが、引いておきます。
小林よしのり氏たちの戦争正当化の議論は 〜 ニーチェがいう意味でのニヒリズム、あるいは単なる無知の表れにすぎません 〜 ニーチェは「人間は、意味がないから良い生を生きられないのではなく、良い生を生きられないから意味にすがるのだ」と言いました。そのような意味にすがる人間を彼は弱者と呼び、キリスト教文化のなかで、意味がなくても生きられる強者を憎む、ルサンチマンに満ちた弱者が培われてきた (『戦争論妄想論』より抜粋)
つまり、諸君の在り方は典型的なニヒリズムなのです。近代が終りを告げ、否応なしにポストモダンな社会を迎えたわれわれは、そこに慣れ、そこと戯れていくのか、近代に回帰するのか、それとも柄谷的な「世界共和国」でも志向するのか、加藤典洋の『敗戦後論』のように自国の死者の追悼を通して統一性を目指すのか、色々選択できますが、なんであれ、国家論と癒着した自己実現が他者への攻撃性をきわめて本質的に内包するのは、倫理的に、また世界モラルに照らして、首肯しかねます。
愛国心とは、ならず者の最後の避難所である!(サミュエル・ジョンソン)
ふむ、「きちんと日本人」の内容は少しわかりました。こういう日本人が「きちんと日本人」なんだ、ということですね。
これは、近代における国民国家の統一基盤を対外的な領域に求めるわけですが、このように日本国民のアイデンティティを規定するのは、ここで誰かが(その見解の妥当性は保留して)おっしゃったように、「反日」でしかアイデンティティを構築できない君の嫌いな半島住人と、自己の内部にではなく、外側との折衝現場をその契機とするという意味で、その基底において同一なモチーフとなります。これは面白いテーマですが、付言するなら、ここのウヨク代表さんはそれを天皇に求めるわけです。
じっさい、市民革命の経験もなく、明治以後天皇を担いで急激に強権的に国民国家を形成して、それが崩壊した後も対米追従という形で国家を発展させた日本の場合、個々に血肉化した内在的で正当な統一性は実はありません。ゆえに、虚構にすぎない天皇伝統主義だの、排斥主義だの、自己愛史観だのといった物騒なアイデアが、バブルもはじけ、55年体制が崩壊して、社会が極端なポストモダン化する中で、その揺るぎと混乱を「正常」に戻そうとする勢力の中から生じ、そこに影響された世代が、まさにここに集う藤岡先生の子供たちなのです。
そういう認識のもと、私見を述べれば、まずこの国民国家という虚構体の無謬性堅牢性を疑い、そこから飛翔する発想を視野に入れるべきです。なぜなら、人は国家に依る存在でもあるが、同時に地域社会に依り、家族に依り、また世界に依る存在でもあるからです。
次に、社会のポストモダン化に関連して、宮台真司の指摘を少々長くなりますが、引いておきます。
小林よしのり氏たちの戦争正当化の議論は 〜 ニーチェがいう意味でのニヒリズム、あるいは単なる無知の表れにすぎません 〜 ニーチェは「人間は、意味がないから良い生を生きられないのではなく、良い生を生きられないから意味にすがるのだ」と言いました。そのような意味にすがる人間を彼は弱者と呼び、キリスト教文化のなかで、意味がなくても生きられる強者を憎む、ルサンチマンに満ちた弱者が培われてきた (『戦争論妄想論』より抜粋)
つまり、諸君の在り方は典型的なニヒリズムなのです。近代が終りを告げ、否応なしにポストモダンな社会を迎えたわれわれは、そこに慣れ、そこと戯れていくのか、近代に回帰するのか、それとも柄谷的な「世界共和国」でも志向するのか、加藤典洋の『敗戦後論』のように自国の死者の追悼を通して統一性を目指すのか、色々選択できますが、なんであれ、国家論と癒着した自己実現が他者への攻撃性をきわめて本質的に内包するのは、倫理的に、また世界モラルに照らして、首肯しかねます。
愛国心とは、ならず者の最後の避難所である!(サミュエル・ジョンソン)
これは メッセージ 96993 (kemex2201 さん)への返信です.
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