Re: パッチギ!にツッコミ!
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2007/05/23 17:40 投稿番号: [96825 / 99628]
>もちろんその後でマンガ嫌韓流をそっと貸しておきましたが
「そっと」ではなく、堂々貸しなさい。いつも、中国を「シナ」だとか、南京大虐殺は中国側のデッチアゲだとか、言ってるなら、そのお友達も kemex2201 さんの偏向した思想傾向ぐらいわかっているのです。であれば、ネットウヨク諸君のバイブルを堂々貸せるはずですね。
>冒頭でバスひっくり返してたらそれで終わりでしょ 〜 とにかく関係の無い人たちに迷惑かけすぎ
ここまでは、すでに別の投稿で述べたように、映画の見方としてはあまりに稚拙であります。過剰な暴力に彩られても傑作といわれる映画はあるのです。表現上のリアリズムを軽視した映画が、主題的にもリアルではない、とは必ずしもなりません。ましてや、映画は道徳の教科書ではないのです。
>あれを見た日本人は「・・・これって別に差別でもなんでもないじゃん」としか思わないよ
と、なぜかご自分の個人的感想が日本人全体の感想となるわけですが、それはさておき、あれだけ集団でいれば、
>文句をつける日本人はいない
のは当たり前です。逆にやられると思うのが普通ですからね。その意味で、
>黒人に対する差別よりずっとマシでしょ
これも頓珍漢な意見です。
M・ムーアは『ボウリング・フォー・コロンバイン』で、実写の中にアニメを挿入するという興味深い手法により、白人銃武装の歴史を、抑圧された者(=黒人を主とするマイノリティ)からの復讐可能性という強迫観念を動機にすえて語りましたが、つまり、白人は黒人を潜在的に怖れているわけです。黒人がもし集団で騒いでいたとして、それを上回る屈強な白人が揃わない限り、誰も文句などつけるはずもありません。
>途中降板した某在日女優がいましたし
それをヒントにもしたようです。
で、その某在日女優だけど、某有名なお笑い芸人(=日本人だよね?)と結婚されました。つまり、二人の間には愛があるわけです。諸君が嫌悪する卑しく醜い朝鮮人と日本人との間に普通に愛が芽生えるわけです。つまりは友好しているわけです。そういう例は五万とあります。ところが、諸君にはそれが決定的にできないようです。
その違いは何なのか、一度真摯に内省してみるべきです。朝鮮人のせいにはできません。現実に愛まで含めた友好を個人間の日朝関係で多数しているわけですから。
>日本人のメンタリティを持ってない人はちょっと・・・っていうのは当たり前なんじゃないかしらん
ほう、どうやら、日本人のメンタリティなるものが現在の若い子にたしかに有ると信じておられるようです。
まず日本人のメンタリティなるものが何なのか判然としませんが、それは脇に置くとして、ところで、こういう意見はひどくリアリティを欠く上、役者という職業をバカにするもので、到底認めることはできません。
北野武は在日朝鮮人を過去に主役で二度演じてますが、その演技はいずれも素晴らしいものでした。ビョークはアイスランド人ですが、『ダンサーインザダーク』ではチェコ人を演じ、映画初出演にもかかわらず映画史に残る名演技を見せ、カンヌ映画祭主演女優賞を獲得しています。昨今のボーダーレスな映画界を見れば、演技者の民族的出自と役柄のそれとが一致しない例なんて普通にある光景なのです。
そもそも、役者とは、自分とは異なった対象に挑戦する人たちだといえます。地で自分を演じるのは誰でもそれなりにできるでしょう。それに対して、プロの役者とは、まるで多重人格者のように誰にでもなってみせるわけです。
今話題の『バベル』に出演した菊池凛子さんは聴覚障害者ではありません。そういう役柄は未知な世界だったはずです。ですが、プロとしての彼女の演技は圧倒的に力強く、映画に強烈な印象を刻みます。
kemex2201 さんの上の発言は、そういう役者の誇りと職業的本質を誹謗中傷すらしているように思われます。
(結局、キョンジャはその役を手に入れ、演じ切るようです)
>在日の言う「差別」っていうのは「思い通りにならない時にダダをこねる際の決まり文句」なのよね
なんでこういう結論に至るんだ? わけわからん。某在日女優の降板理由は、途中で変化した作品の内容に不満を抱いたからじゃなかったけ? それがどうして「思い通りにならない時にダダをこね」たことになるんだ? ん? わけわからんぞ。
思い込みでもなんでもいいが、理屈の通ることを書いてくれ。
「そっと」ではなく、堂々貸しなさい。いつも、中国を「シナ」だとか、南京大虐殺は中国側のデッチアゲだとか、言ってるなら、そのお友達も kemex2201 さんの偏向した思想傾向ぐらいわかっているのです。であれば、ネットウヨク諸君のバイブルを堂々貸せるはずですね。
>冒頭でバスひっくり返してたらそれで終わりでしょ 〜 とにかく関係の無い人たちに迷惑かけすぎ
ここまでは、すでに別の投稿で述べたように、映画の見方としてはあまりに稚拙であります。過剰な暴力に彩られても傑作といわれる映画はあるのです。表現上のリアリズムを軽視した映画が、主題的にもリアルではない、とは必ずしもなりません。ましてや、映画は道徳の教科書ではないのです。
>あれを見た日本人は「・・・これって別に差別でもなんでもないじゃん」としか思わないよ
と、なぜかご自分の個人的感想が日本人全体の感想となるわけですが、それはさておき、あれだけ集団でいれば、
>文句をつける日本人はいない
のは当たり前です。逆にやられると思うのが普通ですからね。その意味で、
>黒人に対する差別よりずっとマシでしょ
これも頓珍漢な意見です。
M・ムーアは『ボウリング・フォー・コロンバイン』で、実写の中にアニメを挿入するという興味深い手法により、白人銃武装の歴史を、抑圧された者(=黒人を主とするマイノリティ)からの復讐可能性という強迫観念を動機にすえて語りましたが、つまり、白人は黒人を潜在的に怖れているわけです。黒人がもし集団で騒いでいたとして、それを上回る屈強な白人が揃わない限り、誰も文句などつけるはずもありません。
>途中降板した某在日女優がいましたし
それをヒントにもしたようです。
で、その某在日女優だけど、某有名なお笑い芸人(=日本人だよね?)と結婚されました。つまり、二人の間には愛があるわけです。諸君が嫌悪する卑しく醜い朝鮮人と日本人との間に普通に愛が芽生えるわけです。つまりは友好しているわけです。そういう例は五万とあります。ところが、諸君にはそれが決定的にできないようです。
その違いは何なのか、一度真摯に内省してみるべきです。朝鮮人のせいにはできません。現実に愛まで含めた友好を個人間の日朝関係で多数しているわけですから。
>日本人のメンタリティを持ってない人はちょっと・・・っていうのは当たり前なんじゃないかしらん
ほう、どうやら、日本人のメンタリティなるものが現在の若い子にたしかに有ると信じておられるようです。
まず日本人のメンタリティなるものが何なのか判然としませんが、それは脇に置くとして、ところで、こういう意見はひどくリアリティを欠く上、役者という職業をバカにするもので、到底認めることはできません。
北野武は在日朝鮮人を過去に主役で二度演じてますが、その演技はいずれも素晴らしいものでした。ビョークはアイスランド人ですが、『ダンサーインザダーク』ではチェコ人を演じ、映画初出演にもかかわらず映画史に残る名演技を見せ、カンヌ映画祭主演女優賞を獲得しています。昨今のボーダーレスな映画界を見れば、演技者の民族的出自と役柄のそれとが一致しない例なんて普通にある光景なのです。
そもそも、役者とは、自分とは異なった対象に挑戦する人たちだといえます。地で自分を演じるのは誰でもそれなりにできるでしょう。それに対して、プロの役者とは、まるで多重人格者のように誰にでもなってみせるわけです。
今話題の『バベル』に出演した菊池凛子さんは聴覚障害者ではありません。そういう役柄は未知な世界だったはずです。ですが、プロとしての彼女の演技は圧倒的に力強く、映画に強烈な印象を刻みます。
kemex2201 さんの上の発言は、そういう役者の誇りと職業的本質を誹謗中傷すらしているように思われます。
(結局、キョンジャはその役を手に入れ、演じ切るようです)
>在日の言う「差別」っていうのは「思い通りにならない時にダダをこねる際の決まり文句」なのよね
なんでこういう結論に至るんだ? わけわからん。某在日女優の降板理由は、途中で変化した作品の内容に不満を抱いたからじゃなかったけ? それがどうして「思い通りにならない時にダダをこね」たことになるんだ? ん? わけわからんぞ。
思い込みでもなんでもいいが、理屈の通ることを書いてくれ。
これは メッセージ 96806 (kemex2201 さん)への返信です.
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