朝鮮戦争 1
投稿者: tanqueray6253 投稿日時: 2007/02/19 00:21 投稿番号: [95973 / 99628]
伊議員の失笑を買った、盧武鉉発言!
盧大統領、「北朝鮮に全部やっても残る商売」
6者協議の「2・13北京合意」にもかかわらず、北朝鮮の核問題解決の未来が不透明な情勢の中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が大々的な対北朝鮮支援を示唆する発言をし、論争になっている。特に、北朝鮮がすでに開発している核兵器と核物質の処理については今会談で言及もなかったのに、全幅的な支援意思を明らかにしたのは性急だとの批判が提起されている。 イタリアを訪問している盧武鉉大統領は15日、「われわれが(6者協議で北朝鮮に)すべてを与えても、われわれがすべてを負担することがあっても(北朝鮮の核)問題は解決しなければならない」とし「それでも結局は残る商売だ」と話した。盧大統領は同日、ローマでの同胞懇談会で「心の中で、どうか(会談を)決裂させことだけは止めてくれと願ったが、うまくやってくれたので、そのことを口にする必要もなかった」として、このように述べた。東亜日報2月17日より/写真は盧武鉉氏(ロイター)
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交戦状態は続いている南北
イタリアを訪問した盧武鉉氏(韓国大統領)は、北朝鮮への援助について、「過去にどっちに過ちがあったにせよ、同じ民族同士で分断されたままでは、いわゆる『メンツ』が立たない」とし、「核問題が、われわれにとってかなり負担であっても解決しなければならない」(東亜日報 2月17日)と述べたそうだ。
同記事では、さらに「盧大統領は「(北朝鮮に)一方的に与え過ぎているという非難を多く受けるが、米国が戦後に行った多くの政策投資のうち最も効果的だったのが『マーシャルプラン』だ」とし、「莫大な援助で欧州の経済を立て直したため、その得を最も多く受けた国が米国だ」との認識を述べた」とある。いつものように、意味不明である。
盧武鉉氏のこの訪伊談話では、「北朝鮮は最も重要な国」、「アジアの平和に大きく貢献し得るのは北朝鮮」等。「北朝鮮」への愛情がこもった発言が随所にあった。
プレスに居合わせた、あるイタリアの国会議員は、あまりにも「唐突な発言」に笑いをこらえるのに懸命だった。自らの太ももを思い切り抓(つね)り上げ、その痛さで自制した、それでも笑いそうになったので、「奥歯で舌をかんで我慢した」、「とても辛い時間であった」そうだ。それらの状況を電話で聞いた。
読者はご存知の通り、北朝鮮と韓国の間で、法的には、未だ「朝鮮戦争」は終結しておらず、単なる「休戦状態」に過ぎない。 いわゆる一国の指導者が敵国に対して「全て」を渡し、「商売」と考える。「休戦」相手に対する「降伏」に等しい。そう受け取れるおかしな話だ。日本にあらぬ“歴史問題”を吹っかける以前に、自国の歴史こそ整理すべきだ!
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北朝鮮による全土占領の危機を救った多国籍軍
北朝鮮によって全土占領の直前だった半島(1950年9月)
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1948年8月13日に成立した大韓民国に対し、北朝鮮には、半島統一の名目のもとに半島の共産化支配を目論む動きが胎動していた。50年3月、ソ連を訪問し、半島南部への侵攻許可を求めた金日成らに対し、スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認。
同年5月、中共を訪問した金日成は、北朝鮮による南部侵攻への中共からの援助の約束を得た。これが朝鮮戦争の起源である。「南北を分断した責任」が日本にあろうはずはない。史実をたどれば明らかである。
そして、50年6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線から砲撃による奇襲攻撃を開始。侵攻3日目の6月28日にソウルが陥落。攻撃開始3ヶ月目には米軍を中心とする駐留多国籍軍を釜山周辺まで追いつめ、半島全土を手中に収める勢いにあった(図)。
これに対して多国籍軍軍は、同年9月にソウル近郊の仁川への上陸してソウルを奪回。北朝鮮の首都平壌も占領して北上。
しかし、同年10月、中共軍が参戦して1951年1月にソウルを再び占領。兵力を増強して攻勢に転じた多国籍軍が3月にソウルを再奪還。その後は、38度線を挟んで膠着状態となったが、開戦から約3年後を経て1953年7月に休戦協定が成立した。
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盧大統領、「北朝鮮に全部やっても残る商売」
6者協議の「2・13北京合意」にもかかわらず、北朝鮮の核問題解決の未来が不透明な情勢の中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が大々的な対北朝鮮支援を示唆する発言をし、論争になっている。特に、北朝鮮がすでに開発している核兵器と核物質の処理については今会談で言及もなかったのに、全幅的な支援意思を明らかにしたのは性急だとの批判が提起されている。 イタリアを訪問している盧武鉉大統領は15日、「われわれが(6者協議で北朝鮮に)すべてを与えても、われわれがすべてを負担することがあっても(北朝鮮の核)問題は解決しなければならない」とし「それでも結局は残る商売だ」と話した。盧大統領は同日、ローマでの同胞懇談会で「心の中で、どうか(会談を)決裂させことだけは止めてくれと願ったが、うまくやってくれたので、そのことを口にする必要もなかった」として、このように述べた。東亜日報2月17日より/写真は盧武鉉氏(ロイター)
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交戦状態は続いている南北
イタリアを訪問した盧武鉉氏(韓国大統領)は、北朝鮮への援助について、「過去にどっちに過ちがあったにせよ、同じ民族同士で分断されたままでは、いわゆる『メンツ』が立たない」とし、「核問題が、われわれにとってかなり負担であっても解決しなければならない」(東亜日報 2月17日)と述べたそうだ。
同記事では、さらに「盧大統領は「(北朝鮮に)一方的に与え過ぎているという非難を多く受けるが、米国が戦後に行った多くの政策投資のうち最も効果的だったのが『マーシャルプラン』だ」とし、「莫大な援助で欧州の経済を立て直したため、その得を最も多く受けた国が米国だ」との認識を述べた」とある。いつものように、意味不明である。
盧武鉉氏のこの訪伊談話では、「北朝鮮は最も重要な国」、「アジアの平和に大きく貢献し得るのは北朝鮮」等。「北朝鮮」への愛情がこもった発言が随所にあった。
プレスに居合わせた、あるイタリアの国会議員は、あまりにも「唐突な発言」に笑いをこらえるのに懸命だった。自らの太ももを思い切り抓(つね)り上げ、その痛さで自制した、それでも笑いそうになったので、「奥歯で舌をかんで我慢した」、「とても辛い時間であった」そうだ。それらの状況を電話で聞いた。
読者はご存知の通り、北朝鮮と韓国の間で、法的には、未だ「朝鮮戦争」は終結しておらず、単なる「休戦状態」に過ぎない。 いわゆる一国の指導者が敵国に対して「全て」を渡し、「商売」と考える。「休戦」相手に対する「降伏」に等しい。そう受け取れるおかしな話だ。日本にあらぬ“歴史問題”を吹っかける以前に、自国の歴史こそ整理すべきだ!
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北朝鮮による全土占領の危機を救った多国籍軍
北朝鮮によって全土占領の直前だった半島(1950年9月)
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1948年8月13日に成立した大韓民国に対し、北朝鮮には、半島統一の名目のもとに半島の共産化支配を目論む動きが胎動していた。50年3月、ソ連を訪問し、半島南部への侵攻許可を求めた金日成らに対し、スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認。
同年5月、中共を訪問した金日成は、北朝鮮による南部侵攻への中共からの援助の約束を得た。これが朝鮮戦争の起源である。「南北を分断した責任」が日本にあろうはずはない。史実をたどれば明らかである。
そして、50年6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線から砲撃による奇襲攻撃を開始。侵攻3日目の6月28日にソウルが陥落。攻撃開始3ヶ月目には米軍を中心とする駐留多国籍軍を釜山周辺まで追いつめ、半島全土を手中に収める勢いにあった(図)。
これに対して多国籍軍軍は、同年9月にソウル近郊の仁川への上陸してソウルを奪回。北朝鮮の首都平壌も占領して北上。
しかし、同年10月、中共軍が参戦して1951年1月にソウルを再び占領。兵力を増強して攻勢に転じた多国籍軍が3月にソウルを再奪還。その後は、38度線を挟んで膠着状態となったが、開戦から約3年後を経て1953年7月に休戦協定が成立した。
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これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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