「愛国」と「好国」のはざま
投稿者: totemize2002 投稿日時: 2004/01/24 19:40 投稿番号: [86321 / 99628]
言葉狩りする訴訟の関連ページにこんなコラムがありました。
(感想)
「愛国」と「好国」は、責任を担うかどうかの違いでしょうね。人生は、たまたまの環境で生存するしかないから。責任を担えなければ、その環境で生存できない。自由と言っても、その環境を放棄する以外の選択は限られてくるもの。愛がなければその関係を断絶して、違う環境へ逝けばいい。その環境に従わない身勝手ばかりは許されないはず。「好国」って身勝手極まりない発想だと思うんですがね。
政権に反対するのは良いことですが、それは愛国心否定とは別なはず。愛国心ある反戦運動なのか、関わりたくないだけの無責任な反戦運動なのか、この違いはありますよね。愛国心を否定するばかりの日本の反戦運動は支持できないです。無責任な国への信用が愛国心ではないはず、むしろ愛国心がないから政治への無関心が進む向きがあると思います。
国民が政治に責任を持つのは、愛国心が基本でしょう。もちろん、利己的な政治関心もあるでしょうが、それは利益団体であって、個人レベルでは難しいでしょう。愛国心のない人間の政治的関心は危険ですよね。利益を分捕ろうとするだけの在日には、絶対選挙権を与えてはなりません。
http://www.asahi.com/column/aic/Wed/d_sunayama/20031112.html
「愛国」と「好国」のはざま 砂山 清
>僕は、自分が、たまたま生まれ育ってしまった、日本という国がきらいではない。好きだといってもいい。それは、外国を旅していて、ふと感じる感情でもある。だが、日本というものに抱くイメージ、言い換えれば、日本のどこが好きかは、人それぞれだろう。僕は、例えば、「日の丸」や「君が代」または戦前の「教育勅語」に象徴されるような日本、あるいは、一部の人々が、声高に唱える“駆り立てられるような愛国心”は、むしろきらいである。
>(戦わずして勝つ)は日本国憲法の平和主義の発想と、とても似ている。“駆り立てるような愛国心”を唱える一部の改憲論者は、「平和憲法は、押し付けられたもので、日本人の発想でない」などと主張するが、僕は、戦後日本人が、この憲法を守ってきた気持ちの中に、日本人の持つ、伝統的な忍者の思想があったのではないかと、密かに思っている。決して、平和憲法は、日本の伝統思想にはずれた訳ではないのである。
>一部の人々の唱える“駆り立てられるような”「愛国心」と、おおらかな平和主義の日本が「好き」――これを仮に「好国心」と呼ぶとする――な、僕のような人間の違いを、長々と述べてきたのは、J・デイヴィッド・ライヴァ監督の英仏独合作映画「真実のマレーネ・ディートリッヒ」を見て、時の政権の価値観と、本来その国が「好きだ」という気持ちが、大きくずれてしまった時の、1人の人間の悲劇について、考えさせられたからだ。
>自分の母国への愛と、現政権の価値観のずれによる悲劇は、マレーネの時代の後も、世界各地で続いている。それが、この日本でも、未来に起きない事を願うばかりである。
(感想)
「愛国」と「好国」は、責任を担うかどうかの違いでしょうね。人生は、たまたまの環境で生存するしかないから。責任を担えなければ、その環境で生存できない。自由と言っても、その環境を放棄する以外の選択は限られてくるもの。愛がなければその関係を断絶して、違う環境へ逝けばいい。その環境に従わない身勝手ばかりは許されないはず。「好国」って身勝手極まりない発想だと思うんですがね。
政権に反対するのは良いことですが、それは愛国心否定とは別なはず。愛国心ある反戦運動なのか、関わりたくないだけの無責任な反戦運動なのか、この違いはありますよね。愛国心を否定するばかりの日本の反戦運動は支持できないです。無責任な国への信用が愛国心ではないはず、むしろ愛国心がないから政治への無関心が進む向きがあると思います。
国民が政治に責任を持つのは、愛国心が基本でしょう。もちろん、利己的な政治関心もあるでしょうが、それは利益団体であって、個人レベルでは難しいでしょう。愛国心のない人間の政治的関心は危険ですよね。利益を分捕ろうとするだけの在日には、絶対選挙権を与えてはなりません。
http://www.asahi.com/column/aic/Wed/d_sunayama/20031112.html
「愛国」と「好国」のはざま 砂山 清
>僕は、自分が、たまたま生まれ育ってしまった、日本という国がきらいではない。好きだといってもいい。それは、外国を旅していて、ふと感じる感情でもある。だが、日本というものに抱くイメージ、言い換えれば、日本のどこが好きかは、人それぞれだろう。僕は、例えば、「日の丸」や「君が代」または戦前の「教育勅語」に象徴されるような日本、あるいは、一部の人々が、声高に唱える“駆り立てられるような愛国心”は、むしろきらいである。
>(戦わずして勝つ)は日本国憲法の平和主義の発想と、とても似ている。“駆り立てるような愛国心”を唱える一部の改憲論者は、「平和憲法は、押し付けられたもので、日本人の発想でない」などと主張するが、僕は、戦後日本人が、この憲法を守ってきた気持ちの中に、日本人の持つ、伝統的な忍者の思想があったのではないかと、密かに思っている。決して、平和憲法は、日本の伝統思想にはずれた訳ではないのである。
>一部の人々の唱える“駆り立てられるような”「愛国心」と、おおらかな平和主義の日本が「好き」――これを仮に「好国心」と呼ぶとする――な、僕のような人間の違いを、長々と述べてきたのは、J・デイヴィッド・ライヴァ監督の英仏独合作映画「真実のマレーネ・ディートリッヒ」を見て、時の政権の価値観と、本来その国が「好きだ」という気持ちが、大きくずれてしまった時の、1人の人間の悲劇について、考えさせられたからだ。
>自分の母国への愛と、現政権の価値観のずれによる悲劇は、マレーネの時代の後も、世界各地で続いている。それが、この日本でも、未来に起きない事を願うばかりである。
これは メッセージ 86320 (totemize2002 さん)への返信です.
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