われらは中国人にあらず
投稿者: yume_hitotsu 投稿日時: 2003/09/21 08:11 投稿番号: [84071 / 99628]
>100年前の恩を忘れていないトルコ人
10年前の恩を仇で返す韓国人
トルコ人との交流は心温まります。
台湾にもトルコと同じ思いを抱きました。
終戦後、援助らしい援助をしなかった台湾が日本を慕い、
根気一杯援助した韓国が恨みを増加させる。
(地方紙のコピペ)
場違いとしか言いようのない所で、勇ましい「軍艦マーチ」を聞いた。
「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」(金沢市)が台湾有数の企業グループ
「奇美実業」本社に、オーナーの許文龍会長を訪ねたときのことである。
許会長は自らバイオリンを弾き、客をもてなすことで知られる。
地下の宴会場で、一行に配られた歌本の九割は、日本の歌で占められ、表紙に
「前総統李登輝パースデーパーティ1用歌曲」の副題があった。
許会長が李前総統のために特注したものである。
これを手に、李前総統は上機嫌で「軍艦マーチ」を歌ったという。
戒厳令下の弾圧 「私は二十二歳まで日本人でした」。
ことし八月、地方紙四社の記者とともにインタビユーしたとき、李前総統は誇らしげに胸を張った。
許会長は友好の会の一行に、千代女の「朝顔につるべとられてもらひ水」の句や恩師の日本
人教師の教えを例にとり、「日本人の心の優しさ」について語った。
両者の主張は「日本統治時代を再評価すべき」という点で一致していた。
李前総統や許会長ら日本語世代は、日本の敗戦後、中国大陸から来た国民党の無法ぶりをいやというほど見てきた
日本統治時代、「夜不閉戸」(夜も戸轡り不要)といわれた治安は極度に悪化し、
一九四七年には二二八事件が勃発した。
二万人とも三万人とも亨のれる台湾の知識人が理由なく連行され、虐殺きれた白色テロ事件である。
台湾は戦後四十年近く戒厳令下にあり、この間の政治事件は二万九千件、逮捕・投獄者十四万人を数えたという。
弾圧を生き延びた日本語世代に「あなたは中国人か」と聞いたら血相を変えて、「台湾人だ」と答えるだろう。
李前総統と同じように「私は00歳まで日本人でした」と語る人にも会った。
この世代が日本統治時代を懐かしむのは、国民党独裁時代の悲惨な体験の裏返しなのである。
世代間ギャップ 日本語世代は、台湾で「多桑(トーサン)」世代とも呼ばれる。
日本統治時代の「父さん」の名残である。九四年制作の台湾映画「多桑」の主人公は、
日本の教育を受けた世代で、大の日本びいき。
子供たちに「トーサン」と呼ばせ、日本のラジオ放送を聞くのを楽しみにしている。
夢は日本に行って、皇居と富士山を見ることだ。 だが、長男はそんな父を「売国奴」とののしる。
「日本は中国人にひどいことをした」というのが長男の言い分である。
監督の実体験に基づくこの映画は、台湾社会の不条理な「中国化」を冷ややかに見て
きた日本語世代と、
北京語を学び、中国大陸の地理・歴史のみを教えられた若い世代との間に、大きなギャップがあることを物語る。
国民党は台湾を「大陸反攻」の足場にするために、徹底した中国化教育を施した。
悪い日本人から台湾を「解放」した蒋介石をたたえ、二二八事件などの蛮行を閣に葬ったのである。
歴史の真実知る 二二八事件が世間に知られるようになったのは李登輝時代になってからだ。
自分たちを「中国人」と信じて疑わなかった台湾の戦後世代は民主化の流れのなかで歴史の真実を知った。
映画「多桑」の長男が大人になって、父親の切ない心情を理併したように、
戦後世代は日本統治時代を客観的に見つめ直すなかで「台湾人」の血を自覚するようになったのである。
李前総統は、中国統一派勢力から「半分日本人」と攻撃されても、日本的精神や価値観を賞賛することをやめない。
そこには「中国人と一緒にされてたまるか」という魂の叫びがこめられているように思えるのである.
10年前の恩を仇で返す韓国人
トルコ人との交流は心温まります。
台湾にもトルコと同じ思いを抱きました。
終戦後、援助らしい援助をしなかった台湾が日本を慕い、
根気一杯援助した韓国が恨みを増加させる。
(地方紙のコピペ)
場違いとしか言いようのない所で、勇ましい「軍艦マーチ」を聞いた。
「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」(金沢市)が台湾有数の企業グループ
「奇美実業」本社に、オーナーの許文龍会長を訪ねたときのことである。
許会長は自らバイオリンを弾き、客をもてなすことで知られる。
地下の宴会場で、一行に配られた歌本の九割は、日本の歌で占められ、表紙に
「前総統李登輝パースデーパーティ1用歌曲」の副題があった。
許会長が李前総統のために特注したものである。
これを手に、李前総統は上機嫌で「軍艦マーチ」を歌ったという。
戒厳令下の弾圧 「私は二十二歳まで日本人でした」。
ことし八月、地方紙四社の記者とともにインタビユーしたとき、李前総統は誇らしげに胸を張った。
許会長は友好の会の一行に、千代女の「朝顔につるべとられてもらひ水」の句や恩師の日本
人教師の教えを例にとり、「日本人の心の優しさ」について語った。
両者の主張は「日本統治時代を再評価すべき」という点で一致していた。
李前総統や許会長ら日本語世代は、日本の敗戦後、中国大陸から来た国民党の無法ぶりをいやというほど見てきた
日本統治時代、「夜不閉戸」(夜も戸轡り不要)といわれた治安は極度に悪化し、
一九四七年には二二八事件が勃発した。
二万人とも三万人とも亨のれる台湾の知識人が理由なく連行され、虐殺きれた白色テロ事件である。
台湾は戦後四十年近く戒厳令下にあり、この間の政治事件は二万九千件、逮捕・投獄者十四万人を数えたという。
弾圧を生き延びた日本語世代に「あなたは中国人か」と聞いたら血相を変えて、「台湾人だ」と答えるだろう。
李前総統と同じように「私は00歳まで日本人でした」と語る人にも会った。
この世代が日本統治時代を懐かしむのは、国民党独裁時代の悲惨な体験の裏返しなのである。
世代間ギャップ 日本語世代は、台湾で「多桑(トーサン)」世代とも呼ばれる。
日本統治時代の「父さん」の名残である。九四年制作の台湾映画「多桑」の主人公は、
日本の教育を受けた世代で、大の日本びいき。
子供たちに「トーサン」と呼ばせ、日本のラジオ放送を聞くのを楽しみにしている。
夢は日本に行って、皇居と富士山を見ることだ。 だが、長男はそんな父を「売国奴」とののしる。
「日本は中国人にひどいことをした」というのが長男の言い分である。
監督の実体験に基づくこの映画は、台湾社会の不条理な「中国化」を冷ややかに見て
きた日本語世代と、
北京語を学び、中国大陸の地理・歴史のみを教えられた若い世代との間に、大きなギャップがあることを物語る。
国民党は台湾を「大陸反攻」の足場にするために、徹底した中国化教育を施した。
悪い日本人から台湾を「解放」した蒋介石をたたえ、二二八事件などの蛮行を閣に葬ったのである。
歴史の真実知る 二二八事件が世間に知られるようになったのは李登輝時代になってからだ。
自分たちを「中国人」と信じて疑わなかった台湾の戦後世代は民主化の流れのなかで歴史の真実を知った。
映画「多桑」の長男が大人になって、父親の切ない心情を理併したように、
戦後世代は日本統治時代を客観的に見つめ直すなかで「台湾人」の血を自覚するようになったのである。
李前総統は、中国統一派勢力から「半分日本人」と攻撃されても、日本的精神や価値観を賞賛することをやめない。
そこには「中国人と一緒にされてたまるか」という魂の叫びがこめられているように思えるのである.
これは メッセージ 84050 (MIT1042 さん)への返信です.
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