ワールドカップは終わらない 8
投稿者: chon_no_inai_nippon88 投稿日時: 2003/07/18 18:45 投稿番号: [82424 / 99628]
韓国嫌いになる日本人(2)
韓国のことを嫌いらしい。
それに気づいたとき、僕は大いに戸惑った。
ワールドカップを共催することで、自分を含む日本人は韓国のことをもっと
よく理解するようになるだろう。そう思っていた。
確かに従来以上の情報に触れ、理解は深まった。ところがその結果、僕は韓
国を嫌いになっていた。
考えてみれば理解し合うことと好きになることは同じではない。一週間に一
度デートをして結婚したカップルが、結婚したとたんすぐに別れてしまうこと
だってある。理解すればするほど嫌いになることだってあるのだ。そんな当た
り前のことに、いまさらながら驚いている自分がいた。
それにしても、僕はいったいいつ「互いに理解し合えば必ず好きになる」な
どという理屈に合わないことを信じてしまっていたのだろう。
考えてみた。
友好、親善、相互理解、これらの言葉はしばしば一緒に使われる。
ついつい相互理解が友好や親善と同義であるかのように感じてしまう。しか
し互いによく知らないから好きでいられるということだってある。隣国とはい
え、別の国なのだ。別の歴史、別の文化、別の価値観をもっている人間同士が、
互いに仲良くなれるとは限らない。
人間と人間のつきあいは、自分が理解した範囲の情報をもとに、いわば好き
な相手とそうでない相手を選びとっていくものだ。その上で、たとえ嫌いな相
手であっても、礼儀をわきまえて、相手の人格を尊重しながら必要な距離をお
いてつきあっていく。
隣の国だっておそらくはそうであるべきだ。違いを理解し、違いを認め、相
手を尊重しつつ、距離をおいてつきあう。人間同士の関係では、嫌いならその
ままつきあいをやめられることもある。けれど、日本も韓国も地理的な隣国同
士の関係をやめることはできない。
どうやら、ワールドカップのおかげで、僕は心を無防備にしたまま不用意に
韓国に近づきすぎてしまったらしく、その結果、隣国を以前よりも嫌いになっ
てしまったのだ。
ただ、好き嫌いと善悪はまったく別である。嫌いだということと相手を否定
することももちろんちがう。嫌いな人だって存在を否定すべきでないし、必要
に応じてきちんとしたおつきあいをするのが社会性のある大人というものだ。
ようは大人になればいいということだ。
そうはいっても、自分が韓国を嫌いになるなんて予想もしていなかった。僕
はそのことに相当なショックを受けた。当たり前だが、誰かを嫌いになるとい
うことは楽しいことではない。好きでいる方がずっとずっと楽しい。しかも、
嫌いになったあとも韓国のニュースは毎日テレビや新聞やインターネットから
僕の目や耳にどんどん飛び込んでくるのだ。そのたびに嫌いであることを再認
識し確認しなければならない。
そのときになって、韓国から帰ってきてしまったMさんの気持ちがわかるよ
うな気がした。相手に嫌われ、自分も相手を嫌いだとわかって、なお互いに近
くにいることは、とても辛いことなのだ。離婚した相手と毎日顔を合わせるよ
うなものなのだから。
Mさんは異文化だというだけでアレルギーがあるような人ではない。むしろ
国際的な人だといっていい。
たくさんの翻訳書を出版しているし、自身フランス留学の経験もあり、お嬢
さんはアルゼンチンにホームステイしていた。もちろん複数の外国語を使いこ
なして世界のいろいろなところを旅してもいる。そんな人ですら韓国へワール
ドカップを見に行っただけで、すっかり韓国嫌いになり、予定を早めて帰って
きてしまったのだ。
僕は自分が韓国嫌いになったことを驚き、同時に、身近な教養ある人もまた
韓国を嫌いになったことに改めて驚いた。
韓国のことを嫌いらしい。
それに気づいたとき、僕は大いに戸惑った。
ワールドカップを共催することで、自分を含む日本人は韓国のことをもっと
よく理解するようになるだろう。そう思っていた。
確かに従来以上の情報に触れ、理解は深まった。ところがその結果、僕は韓
国を嫌いになっていた。
考えてみれば理解し合うことと好きになることは同じではない。一週間に一
度デートをして結婚したカップルが、結婚したとたんすぐに別れてしまうこと
だってある。理解すればするほど嫌いになることだってあるのだ。そんな当た
り前のことに、いまさらながら驚いている自分がいた。
それにしても、僕はいったいいつ「互いに理解し合えば必ず好きになる」な
どという理屈に合わないことを信じてしまっていたのだろう。
考えてみた。
友好、親善、相互理解、これらの言葉はしばしば一緒に使われる。
ついつい相互理解が友好や親善と同義であるかのように感じてしまう。しか
し互いによく知らないから好きでいられるということだってある。隣国とはい
え、別の国なのだ。別の歴史、別の文化、別の価値観をもっている人間同士が、
互いに仲良くなれるとは限らない。
人間と人間のつきあいは、自分が理解した範囲の情報をもとに、いわば好き
な相手とそうでない相手を選びとっていくものだ。その上で、たとえ嫌いな相
手であっても、礼儀をわきまえて、相手の人格を尊重しながら必要な距離をお
いてつきあっていく。
隣の国だっておそらくはそうであるべきだ。違いを理解し、違いを認め、相
手を尊重しつつ、距離をおいてつきあう。人間同士の関係では、嫌いならその
ままつきあいをやめられることもある。けれど、日本も韓国も地理的な隣国同
士の関係をやめることはできない。
どうやら、ワールドカップのおかげで、僕は心を無防備にしたまま不用意に
韓国に近づきすぎてしまったらしく、その結果、隣国を以前よりも嫌いになっ
てしまったのだ。
ただ、好き嫌いと善悪はまったく別である。嫌いだということと相手を否定
することももちろんちがう。嫌いな人だって存在を否定すべきでないし、必要
に応じてきちんとしたおつきあいをするのが社会性のある大人というものだ。
ようは大人になればいいということだ。
そうはいっても、自分が韓国を嫌いになるなんて予想もしていなかった。僕
はそのことに相当なショックを受けた。当たり前だが、誰かを嫌いになるとい
うことは楽しいことではない。好きでいる方がずっとずっと楽しい。しかも、
嫌いになったあとも韓国のニュースは毎日テレビや新聞やインターネットから
僕の目や耳にどんどん飛び込んでくるのだ。そのたびに嫌いであることを再認
識し確認しなければならない。
そのときになって、韓国から帰ってきてしまったMさんの気持ちがわかるよ
うな気がした。相手に嫌われ、自分も相手を嫌いだとわかって、なお互いに近
くにいることは、とても辛いことなのだ。離婚した相手と毎日顔を合わせるよ
うなものなのだから。
Mさんは異文化だというだけでアレルギーがあるような人ではない。むしろ
国際的な人だといっていい。
たくさんの翻訳書を出版しているし、自身フランス留学の経験もあり、お嬢
さんはアルゼンチンにホームステイしていた。もちろん複数の外国語を使いこ
なして世界のいろいろなところを旅してもいる。そんな人ですら韓国へワール
ドカップを見に行っただけで、すっかり韓国嫌いになり、予定を早めて帰って
きてしまったのだ。
僕は自分が韓国嫌いになったことを驚き、同時に、身近な教養ある人もまた
韓国を嫌いになったことに改めて驚いた。
これは メッセージ 82420 (chon_no_inai_nippon88 さん)への返信です.
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