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和算

投稿者: sysdisk6886 投稿日時: 2003/01/31 23:31 投稿番号: [74447 / 99628]
  数学が娯楽になっていたといえば、不思議に思うかもしれない。しかし、実際に元禄年間ごろから和算が盛んになり、学問としてよりも、むしろ遊びとして広まった。
  わが国の数学は安土桃山時代、中国の天元術(代数学)が伝わって始まったが、やがて工夫が加えられ、江戸時代にはわが国独特の数学が発達した。これが和算である。
  和算を発達させたのは、数学の天才と言われる関孝和だった。それまでの計算は算木という小さな角棒を使って行っていたが、孝和は代数記号を用い、筆算する方法を発明している。さらに円周率、円弧の長さ、求積、行列式などの研究に実績をあげ、和算を西洋数学に劣らぬ高度なものとして大成させた。
  しかし、独自に発達した和算は、学問としてはつづかなかった。その反面、一つは実用的な算用として、商家や有力農家のあいだで盛んになり、もうひとつは娯楽として高等数学に取り組むことが流行した。
  たしかに、経済活動が盛んになると、さまざまな面で算用が必要になる。そこで浪人たちのあいだでも「算用の心得があれば仕官も有利になる」として、算用を習得しようとする者が現れたほどだった。
  実用として注目される一方、一種の遊びとして和算が流行していく。人びとをおどろかせるために、奇妙な図形の面積を求めたり、複雑な問題を解くことに熱中したのである。
  和算に自信のある人たちは、自分の能力を示すために、難問を解くと、その問題と答えを記した額をつくり、神社や寺に奉納した。これは絵馬のようなもので、「算額」という。約7,8百面が現存しているというから、その流行ぶりがうかがえる。
  京都の八坂神社には、元禄4年に奉納された大きな算額が残っているが、現存する算額のうちでは一番古い。現代数学で言えば、70次方程式でなければ解けない問題だが、当時の和算はそれほど進んでいた。
  しかし、それもあくまで和歌や俳句、将棋などのように、趣味として発展したものである。それだけに江戸の数学者は、芸事の師匠と同じように弟子を取り、和算を教えた。
  和算に取り組んだのは、百姓やそまし(きこり)、傘屋、樽屋など、さまざまな人たちである。和算はほかの趣味のように特別な道具は不要だし、さしてお金もかからない。彼らは和算の師匠に弟子入りして、難しい問題に挑戦し、それを解いた。
  そうした算額が各地に現存する。むろん、彼らは学問として意識してやったわけではない。ひまつぶしに、クイズを解くようにして難問を解き、楽しんだのである。難しい数学の問題を解くのが趣味であり、遊びだというのだから恐れ入るしかない。

中江克己   「お江戸の意外な生活事情」より

飛び入りすみません。日本もなかなか捨てたものではないですね。
先人たちの知恵には驚くばかりです。
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