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百通で途絶えたラブレター

投稿者: tohrisugary 投稿日時: 2002/09/27 02:34 投稿番号: [69605 / 99628]
http://www.yomiuri.co.jp/04/20020926i205.htm
新潟県佐渡島で1978年8月、母親とともに消息を絶った曽我ひとみさん(当時19歳)。
北朝鮮に拉致され、生存していると言われる女性と同一人物である可能性が強くなっているが、同じく生存と伝えられたほかの被害者4人とは違い、名前と生年月日以外の情報は全く入ってこない。
「彼女だとすれば、幸せな生活を奪った北朝鮮が許せない」。
祈るような気持ちで情報を待つ肉親と同様、安否を気遣う人がいる。

首都圏に住む現在48歳になる男性が、自宅近くの警察署に走ったのは、今月20日早朝。
その直前、テレビのニュースが拉致被害者の「5人目の生存者」を伝えていた。
男性は、同じ名前で24年前に佐渡島で失跡した女性について、「知っていること」を警察官に話した。生年月日、身長、体重、家族の名前……。

佐渡島で育ち、帰省中だった男性が曽我ひとみさんと知り合ったのは、75年夏だった。
「病気で苦しんでいる人を助ける看護婦になりたい」と話していたひとみさんは、当時16歳。
中学校卒業後、日中は准看護学院に通い、夜は県立の夜間高校で勉強していた。

初めて二人きりで会ったとき、5歳年上の男性を前に、ひとみさんは、うつむくばかり。
男性から、住所を書いた紙を受け取ったひとみさんはすぐに、男性に手紙を書いた。
「あの時は、ありがとうございました。ドキドキしてしまいました」。
文通が始まった。会うのはお盆や正月など、年に数えるほどだった。

ひとみさんは、准看護学院を卒業後、地元の病院で外科の外来担当として働き始めた。
カルテの整理、手術の手伝い――。
泣きじゃくる子供の頭をなでてあやすのが得意だった。
お年寄りの相手もごく自然だった。
当時の同僚は、「看護婦としては普通のことだが、彼女はそれを自然にできた」と振り返る。
夜間高校にも通い続けた。

ひとみさんが、母、ミヨシさん(当時46歳)と一緒に行方不明になったことを知ったのは、失跡2か月後。
それまで頻繁に交わしていた手紙が途絶え、不審には思っていたが、ショックを受けると考えた周囲が、事実を伝えることをためらった。

「単なる家出ではない」と直感した。
ひとみさんが、かわいがっていた妹を残して家を出るとは思えなかった。
しかし、何か自分が知らない悩みでもあったのだろうか。
男性は当時、ひとみさんとの将来の結婚も真剣に考えていた。
自分にも責任があると思った。

ソガヒトミという女性の存在が報じられ、新聞やテレビで報道されたひとみさんの写真の中には、男性が撮影し、プレゼントした1枚も含まれていた。
ひざの上で手を組み、岩場に座るひとみさん。
17歳だった76年の夏ごろ、佐渡島の名所、大野亀を背景に撮影したものだという。
ファインダーを通して見た、あの時の笑顔が今も浮かぶ。

ひとみさんから寄せられた百通の手紙は、最近引っ越すまで、しまってあった。
「ずっと心の片隅にひっかかっていた」と振り返る男性は、曽我さん母子に関する新たな情報を待っている。
「彼女は今、どうしているのだろうか」。
そして、言った。
「北朝鮮で意に沿わない生活を強いられているのなら、穏やかに生活している自分がいたたまれない」
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