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桓武天皇

投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/09/25 20:08 投稿番号: [69499 / 99628]
桓武天皇   かんむてんのう   737〜806   第50代とされる天皇。平安京を建都した。在位781〜806年。名は山部(やまべ)。父は天智天皇の孫の光仁天皇(白壁王:しらかべおう)、母は百済系渡来氏族出身の高野新笠(にいがさ)。

父は奈良朝末期に大納言にすすみ、770年(宝亀元)称徳天皇(孝謙天皇)が没すると62歳で皇位を継承。桓武は当時中務卿(なかつかさきょう)で、皇位継承順では上に父と井上(いかみ)皇后(聖武天皇の娘)の間に生まれた皇太子の他戸(おさべ)親王がいた。しかし、772年に他戸親王の排斥事件がおこって皇太子となり、781年(天応元)即位して桓武となる。そこには藤原百川ら貴族たちの策謀もあったとされるが、真相は明らかではない。

天智天皇の曽孫である桓武天皇は、生涯を通じて奈良朝の天武系の歴代天皇とはことなる政策をおしすすめた。その政策は2つに大別され、ひとつは長岡京と平安京の造営事業、もうひとつは蝦夷(えみし)征討である。この両者は国家の中心(西日本)と辺境(東日本)で大量の民衆の労働力を動員することで達成された国家的大事業だった。

桓武天皇は即位3年後に山背(やましろ:山城)国長岡京への遷都を命じるが、造営長官だった藤原種継(たねつぐ)が暗殺されるなど、造都事業は難航、未完成のまま約10年で新都は放棄された。しかし新都造営にかけた天皇の強い意志は794年(延暦13)の平安京遷都へつながる。いっぽう辺境では蝦夷征討政策がすすめられた。光仁朝末期の780年(宝亀11)に陸奥(むつ)国で伊治呰麻呂(いじのあざまろ)が蝦夷とむすんで反乱をおこして以後、桓武朝にもその征討政策はうけつがれた。蝦夷征討のうち坂上田村麻呂を征夷大将軍とする征夷戦(797〜805)は著名で、9世紀初頭には鎮静化へむかった。

桓武天皇は、政治的・社会的混乱に対しても班田制度の見直しや、軍団制にかわる健児の制の採用、さらに地方行政の監視を強化するための勘解由使の新設などの、刷新政策をうちだし、強い指導力で政治をみちびいた。しかし、この2大事業によって生じた財政負担は大きく、805年(延暦24)には藤原緒嗣(おつぐ)の建議をうけて造都・征夷の事業は中止となった。中国風の強大な皇帝的権力を発揮した桓武天皇も、その翌年70歳で没した。
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