日本の自虐史観を訂正しよう運動
投稿者: nidanida_kun 投稿日時: 2002/09/11 20:47 投稿番号: [68030 / 99628]
日本人は玉砕覚悟の日本精神で、清国と戦争し勝利した。
また欧州の大国ロシアも打ち破った。
また白人がアジアの90%を侵略支配していた中、大東亜共栄圏を叫びアジア各国を解放した。
また過去の歴史においても、大国である米国やロシアに戦いを挑んだのは日本人くらいである。
世界を支配する白人社会に対する
有色人種の玉砕覚悟の挑戦だった・・・
ビルマ(ミャンマー)
ミャンマーでは毎年3月27日の国軍記念日になると、
全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まって盛大なパレードを繰り広げるます。
このパレードはいきなり日本軍の“海軍艦マーチ”から演奏し始めるのです。
続いてミャンマーの軍楽隊は
“歩兵の本領”“愛馬進軍歌”など昔の日本の歌を次々と演奏して、パレードを続けていきます。
1941(昭和16)年、大東亜戦争の開戦とともに、タイのバンコクで30人志士を中心に「ビルマ独立義勇軍」が結成されました。
日本軍による厳しい訓練を受けた青年たちは独立ビルマを象徴する孔雀の旗を掲げて、ビルマ独立を誓い合ったのです。
義勇軍の司令官には青年たちが心から慕う
鈴木敬司大佐が就任しましたが、オン・サンの提案で鈴木大佐は純白のビルマの民族服姿で白馬にまたがり、ビルマ民衆の前に登場します。
これはビルマの伝説で、イギリスに滅ぼされたアラウンパヤー王朝最後の王子が、いつかかならず『雷帝』となって、白馬にまたがり、東の方角からやってくる。
そしてイギリスの支配からビルマを解放してくれるという『雷帝伝説』を演出したものでした。
もちろんビルマ民衆は歓喜して彼ら義勇軍を迎え、その協力もあって3ヶ月で首都ラングーンを陥落させ、イギリス軍を敗走させてしまいます。
そして日本の軍政を経た後の1943年8月1日、ビルマはついに独立を宣言したのです。
マレーシア
1991年12月、マレーシアのコタバルを首都とするケランタン州政府は、日本軍の上陸50周年を記念して特別式典を開催し、さらに戦争博物館を設立しました。
その館長でケランタン州副知事のロザリー・イソハック氏はこんなふうに言っています。
「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。
これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として
記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」
150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は半島を進撃する日本軍を心から歓迎し、食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれました。
当時、16歳だったラジャー・ダト・ノンチック元上院議員はこう言います。
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。
日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」
さて、イギリス軍を追い払ったあと、日本軍はマレーの青年教育に力を注ぎました。
1942年5月15日、シンガポールに
「昭南興亜訓練所」を開設し、マレーのすべての民族から優秀な青年を招いて
心身共に訓練をしました。
これはのちにマラッカの「マラヤ興亜訓練所」に引き継がれ、1000名を越える卒業生を送り出します。この卒業生の大半がマラヤ義勇軍、マラヤ義勇隊の将校となり、マレーシアの独立とその後の新しい国づくりの中核となりました。
また欧州の大国ロシアも打ち破った。
また白人がアジアの90%を侵略支配していた中、大東亜共栄圏を叫びアジア各国を解放した。
また過去の歴史においても、大国である米国やロシアに戦いを挑んだのは日本人くらいである。
世界を支配する白人社会に対する
有色人種の玉砕覚悟の挑戦だった・・・
ビルマ(ミャンマー)
ミャンマーでは毎年3月27日の国軍記念日になると、
全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まって盛大なパレードを繰り広げるます。
このパレードはいきなり日本軍の“海軍艦マーチ”から演奏し始めるのです。
続いてミャンマーの軍楽隊は
“歩兵の本領”“愛馬進軍歌”など昔の日本の歌を次々と演奏して、パレードを続けていきます。
1941(昭和16)年、大東亜戦争の開戦とともに、タイのバンコクで30人志士を中心に「ビルマ独立義勇軍」が結成されました。
日本軍による厳しい訓練を受けた青年たちは独立ビルマを象徴する孔雀の旗を掲げて、ビルマ独立を誓い合ったのです。
義勇軍の司令官には青年たちが心から慕う
鈴木敬司大佐が就任しましたが、オン・サンの提案で鈴木大佐は純白のビルマの民族服姿で白馬にまたがり、ビルマ民衆の前に登場します。
これはビルマの伝説で、イギリスに滅ぼされたアラウンパヤー王朝最後の王子が、いつかかならず『雷帝』となって、白馬にまたがり、東の方角からやってくる。
そしてイギリスの支配からビルマを解放してくれるという『雷帝伝説』を演出したものでした。
もちろんビルマ民衆は歓喜して彼ら義勇軍を迎え、その協力もあって3ヶ月で首都ラングーンを陥落させ、イギリス軍を敗走させてしまいます。
そして日本の軍政を経た後の1943年8月1日、ビルマはついに独立を宣言したのです。
マレーシア
1991年12月、マレーシアのコタバルを首都とするケランタン州政府は、日本軍の上陸50周年を記念して特別式典を開催し、さらに戦争博物館を設立しました。
その館長でケランタン州副知事のロザリー・イソハック氏はこんなふうに言っています。
「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。
これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として
記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」
150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は半島を進撃する日本軍を心から歓迎し、食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれました。
当時、16歳だったラジャー・ダト・ノンチック元上院議員はこう言います。
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。
日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」
さて、イギリス軍を追い払ったあと、日本軍はマレーの青年教育に力を注ぎました。
1942年5月15日、シンガポールに
「昭南興亜訓練所」を開設し、マレーのすべての民族から優秀な青年を招いて
心身共に訓練をしました。
これはのちにマラッカの「マラヤ興亜訓練所」に引き継がれ、1000名を越える卒業生を送り出します。この卒業生の大半がマラヤ義勇軍、マラヤ義勇隊の将校となり、マレーシアの独立とその後の新しい国づくりの中核となりました。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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