対馬
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/08/07 00:21 投稿番号: [63697 / 99628]
I プロローグ
対馬 つしま 九州本島と朝鮮半島の間の対馬海峡にうかぶ島。北は幅約55kmの西水道(朝鮮海峡)をへだてて韓国プサン(釜山)に、南東には幅約50kmの東水道を介して壱岐に対する。面積は695.97km2。古くは対馬国として1国をなしていた。長崎県に属し、厳原町、美津島町、豊玉町、峰町、上県町、上対馬町の6町にわかれている。
II 地形と動植物
第三紀の水成岩と花崗斑岩、粗粒玄武岩からなる地塁山地が、差別浸食をうけてできた島で、全面積の88%を山地が占める。最高点は南島の矢立山の標高649mで、南島、北島とも300〜500m級の山地が広がる。海岸には海食崖が発達、入り江と岬が細かく出入りする。とくに西海岸中部に口をひらく浅茅(あそう)湾は、沈水性の入り江が複雑に分岐し、顕著な多島海になっている。湾奥部と東水道の間には、狭い地峡がのびて北島と南島をむすぶが、この地峡部の南部の大船越には江戸前期、北部の万関(まんぜき)瀬戸には明治末期にそれぞれ水路が開削された。
対馬海流に洗われるため気候は温暖で、タブ、アカガシ、クスなどの常緑広葉樹林がしげり、南島の竜良(たてら)山と白岳の原始林は国の天然記念物に指定されている。かつて朝鮮半島と陸続きだった証拠とされる、ツシマヤマネコやツシマテンなど固有の貴重な動物が生息、鳥類も豊富で上県町の御岳は鳥類繁殖地として国の天然記念物に指定されている。
III 産業と観光
イカ一本釣り漁などの沿岸漁業とタイ、ハマチ、真珠の養殖が盛んで、漁業が主要な産業である。山林面積が広く、スギやヒノキの林業も主要産業のひとつだったが、近年はシイタケ栽培の比重が高い。浅茅湾一帯や海岸、山地の景勝地は壱岐対馬国定公園に属する。
IV 歴史
朝鮮半島との重要な中継点で、「魏志倭人伝」や「古事記」「日本書紀」の国生み神話にも登場し、古くから朝鮮交易でさかえた。奈良時代には北路をたどった遣唐使船などの寄港地となり、736年(天平8)に遣新羅(しらぎ)使が浅茅湾などでよんだ歌が「万葉集」に多数収載されている。1274年(文永11)と81年(弘安4)のモンゴル襲来では2度とも元軍に上陸され、戦場となった。鎌倉期以降、宗氏一族が支配権を確立するが、室町期には倭寇の根拠地ともなったため1419年(応永26)李氏朝鮮の1万7000の大軍が侵攻した。近世初め、豊臣秀吉の文禄・慶長の役では前進基地となった。江戸時代は10万石の宗氏がおさめ、李氏朝鮮との独占的な交易の窓口となった。
対馬 つしま 九州本島と朝鮮半島の間の対馬海峡にうかぶ島。北は幅約55kmの西水道(朝鮮海峡)をへだてて韓国プサン(釜山)に、南東には幅約50kmの東水道を介して壱岐に対する。面積は695.97km2。古くは対馬国として1国をなしていた。長崎県に属し、厳原町、美津島町、豊玉町、峰町、上県町、上対馬町の6町にわかれている。
II 地形と動植物
第三紀の水成岩と花崗斑岩、粗粒玄武岩からなる地塁山地が、差別浸食をうけてできた島で、全面積の88%を山地が占める。最高点は南島の矢立山の標高649mで、南島、北島とも300〜500m級の山地が広がる。海岸には海食崖が発達、入り江と岬が細かく出入りする。とくに西海岸中部に口をひらく浅茅(あそう)湾は、沈水性の入り江が複雑に分岐し、顕著な多島海になっている。湾奥部と東水道の間には、狭い地峡がのびて北島と南島をむすぶが、この地峡部の南部の大船越には江戸前期、北部の万関(まんぜき)瀬戸には明治末期にそれぞれ水路が開削された。
対馬海流に洗われるため気候は温暖で、タブ、アカガシ、クスなどの常緑広葉樹林がしげり、南島の竜良(たてら)山と白岳の原始林は国の天然記念物に指定されている。かつて朝鮮半島と陸続きだった証拠とされる、ツシマヤマネコやツシマテンなど固有の貴重な動物が生息、鳥類も豊富で上県町の御岳は鳥類繁殖地として国の天然記念物に指定されている。
III 産業と観光
イカ一本釣り漁などの沿岸漁業とタイ、ハマチ、真珠の養殖が盛んで、漁業が主要な産業である。山林面積が広く、スギやヒノキの林業も主要産業のひとつだったが、近年はシイタケ栽培の比重が高い。浅茅湾一帯や海岸、山地の景勝地は壱岐対馬国定公園に属する。
IV 歴史
朝鮮半島との重要な中継点で、「魏志倭人伝」や「古事記」「日本書紀」の国生み神話にも登場し、古くから朝鮮交易でさかえた。奈良時代には北路をたどった遣唐使船などの寄港地となり、736年(天平8)に遣新羅(しらぎ)使が浅茅湾などでよんだ歌が「万葉集」に多数収載されている。1274年(文永11)と81年(弘安4)のモンゴル襲来では2度とも元軍に上陸され、戦場となった。鎌倉期以降、宗氏一族が支配権を確立するが、室町期には倭寇の根拠地ともなったため1419年(応永26)李氏朝鮮の1万7000の大軍が侵攻した。近世初め、豊臣秀吉の文禄・慶長の役では前進基地となった。江戸時代は10万石の宗氏がおさめ、李氏朝鮮との独占的な交易の窓口となった。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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