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鉄砲伝来

投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/26 20:30 投稿番号: [60339 / 99628]
鉄砲伝来   てっぽうでんらい   1543年(天文12)西洋の武器だった鉄砲が種子島に漂着したポルトガル人によって日本にはじめてつたえられた。西洋の記録では1542年とされている。このときつたえられた鉄砲は南欧系の先込め式火縄銃で、口径18mm、最大射程200m、有効射程40〜50mくらいのものだった。この鉄砲の威力におどろいた島主の種子島時尭(ときたか)は、さっそく大金をだして2挺(ちょう)を買いもとめ、みずから射撃の練習をするとともに、家臣に鉄砲と火薬の製法を習得させたという。こうして国産化に成功したものが、いわゆる種子島銃である。

当時は戦国の動乱期だったため、鉄砲は急速にひろまり、全国各地で生産されるようになった。各地にすぐれた刀鍛冶(かじ)の技術があったことも鉄砲の普及には好都合で、やがて各地に鉄砲鍛冶がそだつことになる。伝来から十数年もたつと、薩摩坊津(ぼうのつ)、肥前平戸(ひらど)、豊後(ぶんご)府中など九州の各地、紀伊根来(ねごろ)、和泉堺、近江国友などで鉄砲の製造がはじまり、戦国大名に採用されて利用も急激にひろまった。はじめ鉄砲は合戦における主要な武器ではなかったが、織田信長はこれに注目し、軍事技術としてとりいれた。とくに、1575年(天正3)長篠の戦で織田・徳川連合軍は多数の鉄砲をそなえた鉄砲隊を組織して、無敵といわれた武田の騎馬隊をやぶった。鉄砲は兵法だけでなく築城法までかえることになり、天下統一の速度もはやまることになった。

その後、砲術家稲富一夢によって改良がくわえられ、江戸初期には鉄砲生産技術は最高潮に達した。なお、1510年(永正7)中国製の銅銃が和泉堺につたえられ、生産・使用されていたという説もあるが、性能において、西洋のものとは比較にならないものだったと考えられる。
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