おはよう
投稿者: khk350 投稿日時: 2002/07/23 11:00 投稿番号: [58767 / 99628]
いいとこ見てますが、朝貢と言う行為が有ります。遣唐使、遣隋使、おそらくあなたも御存じかと思いますが、宗主国に対して貢ぎ物を差し出すと言う行為です。解釈の仕方によっては(と言うより殆ど主従関係)家来とも言えないことです。
因みに貢ぎ物を差し出す行為とは表向きの話で、当時日本の算出する物は魅力的なもはあまりなかったみたいです。
ですから一方的な中華の方から柵封国への持ち出しに近かったみたいです。
柵封国は朝貢すればするほどもうかり、逆に中華の方はどんどん損するという事でした。当時の中華の考えでは、植民とか摂取とかのチンケな考えはなく柵封してやるから、おとなしくしてなさいくらいにしか感じなかったでしょう。
尚、大唐の頃は日本からも官吏が中国に派遣されていました。(つーかフルブライト留学)阿倍野仲麻呂だっけかな?
当時の唐・太宗のもとでずいぶん可愛がられて、中国の官位も貰っていました。杜甫や白○とも深い親交があり、別れ際には詩を送り合ったりしてます。
また、他にも日本から官吏が派遣されており、東の一位の次席のことで高句麗の関係者ともめて中華の官吏を困らせた事もあったみたいです。大友某と言う臣がごねまくりました。
以前のきびやかな中国文化は宋の頃から下火と言うよりは進化を放棄したので、現在は御覧の通りです。頑張ってますが・・・
これは メッセージ 58756 (sinjindee_su さん)への返信です.
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