元北朝鮮サッカー代表監督が語る北朝鮮の
投稿者: davidpkjp 投稿日時: 2002/07/11 19:34 投稿番号: [53129 / 99628]
元北朝鮮サッカー代表監督が語る北朝鮮のサッカー
1966年イングランドワールドカップ(W杯)で強豪のイタリアを下し、8強に進出する快挙を演じた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)でも、サッカーに対する関心と人気は高い。1999年に脱北し、現在ソウルで生活しているユン・ミョンチャン(53)元北朝鮮サッカー代表チーム監督に会って、今回のW杯を観た感想や、北朝鮮サッカーについて聞いてみた。
−今回の韓日W杯に対する感想は?
「感動的だった。1966年当時、北朝鮮の雰囲気も相当なものだった。当時はテレビがなく、ラジオで生中継したが、午前2時に試合が開始されたのにも関わらず、ほとんどが耳を傾けていた。特に、中継をしたアナウンサー李サンビョクの話術にみんな聞き惚れた。4強進出をかけたポルトガルとの試合で、北朝鮮が3得点をしながらも3−5で逆転負けした時は、泣きながら中継をして、有名になった」
−当時帰国した北の選手たちも大々的な歓迎を受けたと思うが。
「全員、『功勲体育人』称呼をもらった。シン・ヨンギュ、朴ドゥイク、オ・ユンギョンはそれより1等級上で最高栄誉である『人民体育人』になった。しかし、世界オールスターにまで選ばれた卓越な守備手シン・ヨンギュとGK李チャンミョン、MFリム・ジュンソン、ミョン・レヒョン監督などは、1968年地方に追放されてしまった。1967年5月、“甲山派粛清”以降、続いて行われた思想闘争の余波が体育界にまで及んだのだ。結局、“成分”のよくなかった彼らが犠牲になった。コン・シハクやヨム・チョルス、朴スンジンなどは後で政治事件に巻き込まれ、耀徳(ヨドク)収容所に収監されたりもした」
−北朝鮮が8強に進出できた背景は?
「北朝鮮は政権樹立後、国防力の強化のため、体育を大きく奨励した。その時、既に6つの体育選手団がプロリーグのように運営されていた。食べ物も長官級以上に特別待遇をした。『全面攻撃、全面守備に基いた中長距離速度試合体系を確立せよ』という金日成(キム・イルソン)主席の“教示”に従って、体力強化を中心に訓練したのが敵中した」
「体格条件の良い欧州選手たちに圧されなかったのもそのためだ。選手たちはそれぞれ1つ以上の特技をもっており、それが組織力に連結できたのも1つの要因だった。シン・ヨンギュは体力が良く、ヘディングが上手かった。右ウィングのハン・ボンジンはスピードがあって鋭いセンターリングで有名だった」
−その後、北朝鮮のサッカーが沈滞した理由は?
「1960年代末、選手たちが政治問題に巻き込まれ、円満な世代交代が行われなかったことが決定的な理由だ。この時、後を継ぐ選手がいなくなってしまった。世界的なサッカー発展の流れについて行けなかったのも1つの原因だ。金正日(キム・ジョンイル)総書記が政治舞台の全面に登場してからは全面的に支援し、全般的な実力は向上されたが、世界サッカーの水準はそれよりも2つも3つも先を歩んでいた」
−外国人の監督やコーチを起用する試みはなかったか。
「1994年の米国大会に備え、1992年にドイツ人を監督として獲得し、跳躍を試みたことはあったが、その結果はよくなかった。月10万ドルで1年契約を結んだが、後で契約を1年延長した。体力的に準備の足りない選手たちを相手に、欧州式の基礎訓練と戦術をメインにした訓練を行ったため、実際の試合ではすぐに体力の限界が現れた。予選リーグでは体力の優れたイランなど中東選手たちと対戦し、次々に破れてしまった」
−現在の北朝鮮サッカーの水準は?
「過去に比べ大きく変わっていないと思われる。1993年12月、第15回米国W杯の本大会進出に失敗して以来、激怒した金総書記が『この先10年間は、門を閉め切って訓練に励み、実力を向上させてから出場せよ』と言ったことがある。その後、北朝鮮はW杯の地域予選にさえも出場していない」
−北朝鮮が韓日W杯をテレビで放送したことについてどう思うか。
「破格なことだ。太極旗(韓国の国旗)のなびく場面をそのまま見せることは想像を絶することだった。試合を観た住民たちも、同じ民族として自負心を抱いたはずだ」
1966年イングランドワールドカップ(W杯)で強豪のイタリアを下し、8強に進出する快挙を演じた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)でも、サッカーに対する関心と人気は高い。1999年に脱北し、現在ソウルで生活しているユン・ミョンチャン(53)元北朝鮮サッカー代表チーム監督に会って、今回のW杯を観た感想や、北朝鮮サッカーについて聞いてみた。
−今回の韓日W杯に対する感想は?
「感動的だった。1966年当時、北朝鮮の雰囲気も相当なものだった。当時はテレビがなく、ラジオで生中継したが、午前2時に試合が開始されたのにも関わらず、ほとんどが耳を傾けていた。特に、中継をしたアナウンサー李サンビョクの話術にみんな聞き惚れた。4強進出をかけたポルトガルとの試合で、北朝鮮が3得点をしながらも3−5で逆転負けした時は、泣きながら中継をして、有名になった」
−当時帰国した北の選手たちも大々的な歓迎を受けたと思うが。
「全員、『功勲体育人』称呼をもらった。シン・ヨンギュ、朴ドゥイク、オ・ユンギョンはそれより1等級上で最高栄誉である『人民体育人』になった。しかし、世界オールスターにまで選ばれた卓越な守備手シン・ヨンギュとGK李チャンミョン、MFリム・ジュンソン、ミョン・レヒョン監督などは、1968年地方に追放されてしまった。1967年5月、“甲山派粛清”以降、続いて行われた思想闘争の余波が体育界にまで及んだのだ。結局、“成分”のよくなかった彼らが犠牲になった。コン・シハクやヨム・チョルス、朴スンジンなどは後で政治事件に巻き込まれ、耀徳(ヨドク)収容所に収監されたりもした」
−北朝鮮が8強に進出できた背景は?
「北朝鮮は政権樹立後、国防力の強化のため、体育を大きく奨励した。その時、既に6つの体育選手団がプロリーグのように運営されていた。食べ物も長官級以上に特別待遇をした。『全面攻撃、全面守備に基いた中長距離速度試合体系を確立せよ』という金日成(キム・イルソン)主席の“教示”に従って、体力強化を中心に訓練したのが敵中した」
「体格条件の良い欧州選手たちに圧されなかったのもそのためだ。選手たちはそれぞれ1つ以上の特技をもっており、それが組織力に連結できたのも1つの要因だった。シン・ヨンギュは体力が良く、ヘディングが上手かった。右ウィングのハン・ボンジンはスピードがあって鋭いセンターリングで有名だった」
−その後、北朝鮮のサッカーが沈滞した理由は?
「1960年代末、選手たちが政治問題に巻き込まれ、円満な世代交代が行われなかったことが決定的な理由だ。この時、後を継ぐ選手がいなくなってしまった。世界的なサッカー発展の流れについて行けなかったのも1つの原因だ。金正日(キム・ジョンイル)総書記が政治舞台の全面に登場してからは全面的に支援し、全般的な実力は向上されたが、世界サッカーの水準はそれよりも2つも3つも先を歩んでいた」
−外国人の監督やコーチを起用する試みはなかったか。
「1994年の米国大会に備え、1992年にドイツ人を監督として獲得し、跳躍を試みたことはあったが、その結果はよくなかった。月10万ドルで1年契約を結んだが、後で契約を1年延長した。体力的に準備の足りない選手たちを相手に、欧州式の基礎訓練と戦術をメインにした訓練を行ったため、実際の試合ではすぐに体力の限界が現れた。予選リーグでは体力の優れたイランなど中東選手たちと対戦し、次々に破れてしまった」
−現在の北朝鮮サッカーの水準は?
「過去に比べ大きく変わっていないと思われる。1993年12月、第15回米国W杯の本大会進出に失敗して以来、激怒した金総書記が『この先10年間は、門を閉め切って訓練に励み、実力を向上させてから出場せよ』と言ったことがある。その後、北朝鮮はW杯の地域予選にさえも出場していない」
−北朝鮮が韓日W杯をテレビで放送したことについてどう思うか。
「破格なことだ。太極旗(韓国の国旗)のなびく場面をそのまま見せることは想像を絶することだった。試合を観た住民たちも、同じ民族として自負心を抱いたはずだ」
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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