日韓条約
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/06/30 20:27 投稿番号: [42288 / 99628]
日韓条約
にっかんじょうやく
日本と大韓民国の間でかわされた、外交関係の樹立などを内容とする日韓基本条約と、それに付随する日韓漁業協定、賠償請求権問題の解決と経済協力に関する協定、在日韓国人の法的地位および待遇に関する協定、文化財および文化協力に関する協定などの協定・外交公文の総称。1965年(昭和40)6月22日、東京・永田町の首相官邸で椎名悦三郎外相と李東元(イ・ドンウォン)外務部長官によって調印された。これによって第2次世界大戦後の両国の新しい国家関係が規定された。
国交正常化をめざした日韓両国の予備会談は、朝鮮戦争のさなかの1951年10月にはじまり、本会談は61年5月まで5回おこなわれた。しかし進展はみられず、交渉がすすむにつれて、李承晩ラインにかわる漁業水域の設定、日本統治時代の在韓財産権の処理、植民地支配を美化する日本代表の発言、対日賠償請求権、竹島(韓国では独島とよぶ)の帰属など、両国間に存在する問題点が次々に明らかになった。また、李承晩(イ・スンマン)政権のきびしい反日政策も交渉を長びかせる一因となった。
しかし、1961年のクーデタで朴正熙(パク・チョンヒ)政権が成立すると、アメリカの圧力もあって交渉は急速に進展し、以後2回の会談で懸案は解決した。李承晩ラインについては、65年3月までに廃止することで合意。対日賠償請求権については、無償贈与3億ドル、政府借款2億ドルと、3億ドル以上の民間借款などの供与が確認されたが、竹島の帰属問題は棚上げされ、朝鮮民主主義人民共和国の問題も、統一見解はだされたが合意にはいたらなかった。
両国の国内では、日韓条約の批准をめぐって強い反対運動がおこった。韓国では、ソウル大学・高麗大学などの学生たちが「対日屈辱外交」に反対してデモをおこない、朴政権はソウルに戒厳令をだして反対運動を弾圧した。日本でも、1965年11月の統一行動に約24万人が参加して「批准阻止」を国会に請願した。これらの反対運動の中で自由民主党は採決を強行し、韓国でも与党民政党の単独採決で条約は批准されたが、両国の関係に多くの課題をのこした。
国交正常化をめざした日韓両国の予備会談は、朝鮮戦争のさなかの1951年10月にはじまり、本会談は61年5月まで5回おこなわれた。しかし進展はみられず、交渉がすすむにつれて、李承晩ラインにかわる漁業水域の設定、日本統治時代の在韓財産権の処理、植民地支配を美化する日本代表の発言、対日賠償請求権、竹島(韓国では独島とよぶ)の帰属など、両国間に存在する問題点が次々に明らかになった。また、李承晩(イ・スンマン)政権のきびしい反日政策も交渉を長びかせる一因となった。
しかし、1961年のクーデタで朴正熙(パク・チョンヒ)政権が成立すると、アメリカの圧力もあって交渉は急速に進展し、以後2回の会談で懸案は解決した。李承晩ラインについては、65年3月までに廃止することで合意。対日賠償請求権については、無償贈与3億ドル、政府借款2億ドルと、3億ドル以上の民間借款などの供与が確認されたが、竹島の帰属問題は棚上げされ、朝鮮民主主義人民共和国の問題も、統一見解はだされたが合意にはいたらなかった。
両国の国内では、日韓条約の批准をめぐって強い反対運動がおこった。韓国では、ソウル大学・高麗大学などの学生たちが「対日屈辱外交」に反対してデモをおこない、朴政権はソウルに戒厳令をだして反対運動を弾圧した。日本でも、1965年11月の統一行動に約24万人が参加して「批准阻止」を国会に請願した。これらの反対運動の中で自由民主党は採決を強行し、韓国でも与党民政党の単独採決で条約は批准されたが、両国の関係に多くの課題をのこした。
これは メッセージ 42276 (u2669 さん)への返信です.
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