韓国人の見たWC
投稿者: henig 投稿日時: 2002/06/29 20:51 投稿番号: [38530 / 99628]
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代表チームの勝利がもたらす爆発的な歓喜と興奮の陰に
危険な「民族的ナルシシズム」が見え隠れしている
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日本がロシアに勝つと、韓国では「一緒にベスト16へ進もう」という声も聞こえたが、
人々の反応はおおむね自己陶酔的なものだ。試合での勝利だけでなく、国民が一つになったこと、
秩序や公衆道徳が守られていることなどへの自画自賛が後を絶たない。
「個人」として生きるために
最大の関心事は「韓国が外国人の目にどう映っているか」だった。
メディアが意図的に選ぶ素材は「韓国(韓国代表)に驚いた」という外国人の反応だ。
韓国があらゆる面で、「世界のモデル」として突如浮上しはじめたのだ。
「民族的ナルシシズム」と呼ぶべきこの傾向が危険なのは、国内の問題を冷静に判断することを妨げるからだ。
スタジアムでの組織的な応援は、学校や軍隊で学んだ集団主義の典型でしかない。
そこで得られる一体感は、民族を媒介にした画一主義のもう一つの姿ではないか。
考えてみてほしい。代表の試合だけに熱狂するファンが、本当にサッカーを愛しているといえるだろうか。
74%という視聴率は、サッカー以外に楽しみがない韓国社会の集団強迫症候群と画一性の表れではないか。
国内リーグのスタジアムはガラ空きで、小学校から大学までの試合は土のグラウンド、
それなのに「国家代表」には巨額の金をつぎ込む国が、果たしてスポーツを愛しているといえるのか。
韓国人の集団的自己陶酔は、植民地時代と低開発のトラウマに対する反動だ。
「世界」から排除され、蔑視されていた韓国が、「世界」に参入しようとしている、
あるいは参入したことを確認したいという集団的不安の反映だ。
先進国の強者は、他人の目をほとんど気にしない。だが韓国のように世界の辺境にある社会は、
中心に加わりたいと熱望するあまり、常に外部の視線を意識せざるをえない。
それは、外部の視線によって自らを規定したがる「精神的植民地主義」の裏面でもある。
このため、ベスト16進出の夢が実現していなかったら、ナルシシズムは民族的敗北主義に変わる可能性が高かった。
歓喜や一体感もいいだろう。だが韓国人は、この民族的ナルシシズムを払拭しないかぎり、
健全な「個人」として生きるのは困難だということを悟るべきだ。
クォン・ヒョクボム
「ニューズウィーク」誌より抜粋
代表チームの勝利がもたらす爆発的な歓喜と興奮の陰に
危険な「民族的ナルシシズム」が見え隠れしている
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日本がロシアに勝つと、韓国では「一緒にベスト16へ進もう」という声も聞こえたが、
人々の反応はおおむね自己陶酔的なものだ。試合での勝利だけでなく、国民が一つになったこと、
秩序や公衆道徳が守られていることなどへの自画自賛が後を絶たない。
「個人」として生きるために
最大の関心事は「韓国が外国人の目にどう映っているか」だった。
メディアが意図的に選ぶ素材は「韓国(韓国代表)に驚いた」という外国人の反応だ。
韓国があらゆる面で、「世界のモデル」として突如浮上しはじめたのだ。
「民族的ナルシシズム」と呼ぶべきこの傾向が危険なのは、国内の問題を冷静に判断することを妨げるからだ。
スタジアムでの組織的な応援は、学校や軍隊で学んだ集団主義の典型でしかない。
そこで得られる一体感は、民族を媒介にした画一主義のもう一つの姿ではないか。
考えてみてほしい。代表の試合だけに熱狂するファンが、本当にサッカーを愛しているといえるだろうか。
74%という視聴率は、サッカー以外に楽しみがない韓国社会の集団強迫症候群と画一性の表れではないか。
国内リーグのスタジアムはガラ空きで、小学校から大学までの試合は土のグラウンド、
それなのに「国家代表」には巨額の金をつぎ込む国が、果たしてスポーツを愛しているといえるのか。
韓国人の集団的自己陶酔は、植民地時代と低開発のトラウマに対する反動だ。
「世界」から排除され、蔑視されていた韓国が、「世界」に参入しようとしている、
あるいは参入したことを確認したいという集団的不安の反映だ。
先進国の強者は、他人の目をほとんど気にしない。だが韓国のように世界の辺境にある社会は、
中心に加わりたいと熱望するあまり、常に外部の視線を意識せざるをえない。
それは、外部の視線によって自らを規定したがる「精神的植民地主義」の裏面でもある。
このため、ベスト16進出の夢が実現していなかったら、ナルシシズムは民族的敗北主義に変わる可能性が高かった。
歓喜や一体感もいいだろう。だが韓国人は、この民族的ナルシシズムを払拭しないかぎり、
健全な「個人」として生きるのは困難だということを悟るべきだ。
クォン・ヒョクボム
「ニューズウィーク」誌より抜粋
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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