「クスノキの匂い、ジャスミンの香り」
投稿者: sharghi82 投稿日時: 2004/08/12 00:01 投稿番号: [1166 / 3876]
「クスノキの匂い、ジャスミンの香り」(原題:buye kamfor, atre yas) の感想です。ネタバレもあるのでご注意下さい。
一言で言うと「生」に無感覚・無感動になってしまって「死」に取りつかれた気分の映画監督が「生きる(そして表現する)って素晴らしい」と気付く話です。芸術家として、人間としての復帰宣言みたいな感じですね。それが「クスノキ」と「ジャスミン」が象徴的に用いられつつ、いくつもの伏線をふまえてとても詩的に表現されていたのが心地よい驚きでした。
ただ、日本だと言葉の問題のために、この作品は受けにくい/理解されにくいかなとも思いました。英語の題でも原題でも「クスノキ」=「樟脳」=「カンフル(剤)」というのが同じ語なので、映画の意味するところがもっとわかりやすいと思うのですが、日本語にするとそれが全部別の語句になってしまう、だから難しいなと思った次第です。
「樟脳」によって「死」が象徴される(イラスム教では死体を洗う時に樟脳が用いられるというのもポイントです)のですが、一方で、樟脳は思い出の品を保管する時に入れられる物であり、また、そのエッセンスが肌をリフレッシュさせるものでもあり(クスノキの成分の入った化粧用クリームとかありますよね)、危篤の際にカンフル剤として用いられるものでもあるということも絡ませていて、「死」にとらわれていた監督が次々と「死」に出会うことで言わばショック療法的に「生(そして彼にとっては表現することに対する欲でもある)」に目覚めるという構成でした。
起→展開→結というきれいな三部構成になっているのもわかりやすい作品のように思いました。
起:死にとらわれていて生きる気力を失っている主人公
展開:発作の際の臨死体験から「生」の意味に目覚めたかに見える。
しかし表現者としての欲も生に対する執着もまだ見られない。
結:徹底的な「死」の体験(単に死ぬだけでなく、そのことで表現者として自らの意思が示せないことを夢で体験)によって「生きること、そしてそれは彼にとって表現することだ」と気付き、自らのうちにある生と表現への欲を自覚。
そして、まだ生きていることの喜びを痛感する。
そんな感じだと思います。表現者が死ぬことで味わう苦痛の辺りは当然、表現の自由と規制との狭間で監督の受けてきた苦しみを表現してもいるのですが、それが人間の生死の問題という大きなテーマに結びついて感動的でした。
クスノキが死を象徴し、ジャスミンが生・自然・優しさ・喜びの象徴なのだろうと思うのですが、クスノキは単なる恐怖の対象としての「死」を匂わせるものではなく、「死」から人を目覚めさせる強心剤になっているし、それが適量であれば「生」に「新鮮み」をもたらすものとして、各場面で上手に使われていたと思いました。
ジャスミンの香りは主人公の母親の香りであり、小さい頃の幸せな想い出につながるものなのですが、冒頭の息子の電話で、妊娠中の息子の妻の名前がYasaminだったかYasminだったか、映画のタイトルのYasとは違いますが、やはりジャスミンという意味の名前だったのも「子どもを産む」ということで生にかけているのだろうと思いました。その時には孫の誕生よりも亡くした妻の墓参りの方が主人公の気持ちを占めているのですが、最後に主人公が改めて生の喜びに気付いて感動していると、そのジャスミンが子どもを産んだという電話が入るというのもイントロとエンディングがうまく呼応させているのだなと思いました。
久し振りにこういう映画(私にもわかる程度っていうのがミソです(^^ゞ)見たのでちょっと感動☆ 主演は監督自身なんですよ。それも面白かったです。
改めて見たら結構私の思い込みだと思うかもしれないのですけど、皆様ぜひご覧になって見て下さい(^-^)!
一言で言うと「生」に無感覚・無感動になってしまって「死」に取りつかれた気分の映画監督が「生きる(そして表現する)って素晴らしい」と気付く話です。芸術家として、人間としての復帰宣言みたいな感じですね。それが「クスノキ」と「ジャスミン」が象徴的に用いられつつ、いくつもの伏線をふまえてとても詩的に表現されていたのが心地よい驚きでした。
ただ、日本だと言葉の問題のために、この作品は受けにくい/理解されにくいかなとも思いました。英語の題でも原題でも「クスノキ」=「樟脳」=「カンフル(剤)」というのが同じ語なので、映画の意味するところがもっとわかりやすいと思うのですが、日本語にするとそれが全部別の語句になってしまう、だから難しいなと思った次第です。
「樟脳」によって「死」が象徴される(イラスム教では死体を洗う時に樟脳が用いられるというのもポイントです)のですが、一方で、樟脳は思い出の品を保管する時に入れられる物であり、また、そのエッセンスが肌をリフレッシュさせるものでもあり(クスノキの成分の入った化粧用クリームとかありますよね)、危篤の際にカンフル剤として用いられるものでもあるということも絡ませていて、「死」にとらわれていた監督が次々と「死」に出会うことで言わばショック療法的に「生(そして彼にとっては表現することに対する欲でもある)」に目覚めるという構成でした。
起→展開→結というきれいな三部構成になっているのもわかりやすい作品のように思いました。
起:死にとらわれていて生きる気力を失っている主人公
展開:発作の際の臨死体験から「生」の意味に目覚めたかに見える。
しかし表現者としての欲も生に対する執着もまだ見られない。
結:徹底的な「死」の体験(単に死ぬだけでなく、そのことで表現者として自らの意思が示せないことを夢で体験)によって「生きること、そしてそれは彼にとって表現することだ」と気付き、自らのうちにある生と表現への欲を自覚。
そして、まだ生きていることの喜びを痛感する。
そんな感じだと思います。表現者が死ぬことで味わう苦痛の辺りは当然、表現の自由と規制との狭間で監督の受けてきた苦しみを表現してもいるのですが、それが人間の生死の問題という大きなテーマに結びついて感動的でした。
クスノキが死を象徴し、ジャスミンが生・自然・優しさ・喜びの象徴なのだろうと思うのですが、クスノキは単なる恐怖の対象としての「死」を匂わせるものではなく、「死」から人を目覚めさせる強心剤になっているし、それが適量であれば「生」に「新鮮み」をもたらすものとして、各場面で上手に使われていたと思いました。
ジャスミンの香りは主人公の母親の香りであり、小さい頃の幸せな想い出につながるものなのですが、冒頭の息子の電話で、妊娠中の息子の妻の名前がYasaminだったかYasminだったか、映画のタイトルのYasとは違いますが、やはりジャスミンという意味の名前だったのも「子どもを産む」ということで生にかけているのだろうと思いました。その時には孫の誕生よりも亡くした妻の墓参りの方が主人公の気持ちを占めているのですが、最後に主人公が改めて生の喜びに気付いて感動していると、そのジャスミンが子どもを産んだという電話が入るというのもイントロとエンディングがうまく呼応させているのだなと思いました。
久し振りにこういう映画(私にもわかる程度っていうのがミソです(^^ゞ)見たのでちょっと感動☆ 主演は監督自身なんですよ。それも面白かったです。
改めて見たら結構私の思い込みだと思うかもしれないのですけど、皆様ぜひご覧になって見て下さい(^-^)!
これは メッセージ 1165 (sharghi82 さん)への返信です.