シーア派について②
投稿者: secular2004jp 投稿日時: 2006/03/28 21:01 投稿番号: [3270 / 4578]
⑤自然死は6代イマームジャーファルアッサディークだけでアリー、フサインは暗殺され残り8人毒殺は本当か?
アッバース朝カリフのマームーンは宥和政策をとり817年8代イマームアリー=アッリダーに娘をめあわせ、カリフ位後継者任命。翌年突然死して実らなかった。
イマームはアリーの子孫であることと被害者意識がシーア派の特徴である。
参考
嶋田の本P189から191
カリフのハーディーが年金打ち切ったのでハサンの子孫の一人が786年マディーナで挙兵したが支持者少なく、マッカに移ったあと巡礼隊の警護隊によってファッフで虐殺された。これはカルバラーにつぐアリー家の惨事といわれる。生き残った「清純な魂」ムハンマドの兄弟イドリースはモロッコでベルベルに崇められ最初のシーア派王朝イドリース朝を開く。(シーア派色はない)
参考
余部の本P85
カルバラーほど強調されないのはなぜ?初めて知ったよ。結局中国は宋家、イスラムはクライッシュ族のファミリー戦争のような気がする。
ザイド派だったブワイフ朝(バグダード入城946年:武家政治)が12イマームに接近してカディールフンムやアーシュラ祭を始めカルバラー巡礼が活発化した。
参考
同
P126
つまり今あるものもずっとあとになってつくられるということ。
これは メッセージ 3267 (secular2004jp さん)への返信です.
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