ムアーウィヤの評価
投稿者: secular2004jp 投稿日時: 2006/03/28 16:02 投稿番号: [3261 / 4578]
>アリーはイスラム世界の英雄である。特別扱いは当然の結果でしょう。
イスラムに改宗したのに陰謀を企てムハメットの子孫まで殺し、
イスラム世界を自分の操り人形にしたムアーウィヤとその子孫を尊敬するはずはない。
今度スンニー派に会ったら聞いてみます。そんな人知らないといわれるかも。外国人は生活いそがしいし、日本人は高校世界史を忘れているかもしれない。
ムアーウィヤは強権を使わず、説得と利益誘導によってかっての敵と融和した。(余部の本 P63)こんなところは自民党の田中角栄のような親父だ。
世界大百科事典
ムアーウィヤ[1世] Mu‘´wiya I ?‐680
ウマイヤ朝の創建者でその初代カリフ。在位 661‐680 年。父は預言者ムハンマドに敵対したメッカのクライシュ族ウマイヤ家の指導者アブー・スフヤーン。 633 年の秋,異母兄ヤジードの軍に従ってシリア征服に向かい, 639 年,ヤジードの死で,ウマル 1 世によりシリア総督 (アミール) に任命された。 ウスマーンのカリフ就任後は,地中海に進出するなどしてシリアでの支配を固めた。 656 年にウマイヤ家出身のカリフ,ウスマーンが殺されると,その血の復讐を叫んで 4 代カリフ,アリーと対決した。 657 年のシッフィーン Siff ̄n の戦を境としてしだいに勢力を拡大し, 660 年エルサレムでカリフを宣言,661 年のアリーの暗殺でダマスクスにウマイヤ朝を開いた。 ディーワーンの創設,ビザンティンへの定期的遠征を行うなど,内乱で混乱したイスラム国家を建て直した。反面,実子ヤジード 1 世を次期カリフに指名し,カリフ世襲化の道を開いた。
Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A4
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%9C%9D
http://www.cablenet.ne.jp/~z-robo/isu3-2.html
「ムアーウィヤはやる事なす事全て成功するという黒星無き人でした
戦えば勝ち、計れば成り、まさに神がかっていたと言われます
また、エジプトの策士アムル、クーファの大立者ムギーラ、バスラの提督ジヤード、そしてムアーウィヤを含めたイスラムにおける4人の政治的天才が活躍したおかげでウマイヤ朝は政治の機能を格段と向上させます
歴代カリフにおける最高の政治感覚を持つ人物とまで称される彼です
おまけにヒルムを持ち合わせる・・・まさにイスラムの歴史に残る偉大なる人でしょう」
「それでも世の中にはどんなもににもアンチがいてな
カリフという神聖的なものを世俗的なものにした、とムアーウィヤを批難する奴もいる
カリフとは神の使途代行、神の地上代行人たる教皇とは微妙に違うが本質は同じだ
それでもイスラム世界の拡大にとても貢献した政治家だったんで、後々ぶちきれてウマイヤ朝を転覆させたアッバース朝がウマイヤ朝の歴代カリフの墓を暴いていった時、ムアーウィヤの墓は暴かなかった(もう一つ、イスラム教徒の平等化を計ったウマル二世の墓も暴かれていない)
極めつけに彼の温厚さを現す名言がこれだ
『私の鞭で足る時には剣は用いないし、舌で足る時には鞭も使わない
一本の毛が私と家臣との間を結んでいる時にはそれを切らせない
彼等が引っ張れば私が緩め、彼等が緩めば私が引っ張る』
ふっ、いい言葉だな」
「燃え燃え名言きたー!」
「アリーの一派、これを一般的にアリー=シーアと言い、そこからシーア派となったわけだが
ムアーウィヤはこのシーア派がフサインを担ぎ出して反乱を起こすだろうと考え、クーファに一大拠点を築くシーア派の監視を決して怠らなかった
ムアーウィヤが生きている間は手も足も出せないとまで言わせたからな
シーア派の主張をちょいと説明しよう
彼等はムアーウィヤのウマイヤ朝カリフ権を認めず、アリーそしてアリーの子孫こそがイスラム教の真の指導者だと主張する
シーア派のすごい所は、アリー以前のカリフ達も認めてないところだな」
「正統たるカリフ、アリーからカリフ権を簒奪した、アブー、ウマル、ウスマーンは腹を斬って死ぬべきだ!
また腹を切って終わるものではない!アッラーに背きし背徳者をシーア派は火に投げ込むものである!理由はコーランを熟読すべし!」
「そろそろ、又吉イエスも熟成してきたころだな」
イスラムに改宗したのに陰謀を企てムハメットの子孫まで殺し、
イスラム世界を自分の操り人形にしたムアーウィヤとその子孫を尊敬するはずはない。
今度スンニー派に会ったら聞いてみます。そんな人知らないといわれるかも。外国人は生活いそがしいし、日本人は高校世界史を忘れているかもしれない。
ムアーウィヤは強権を使わず、説得と利益誘導によってかっての敵と融和した。(余部の本 P63)こんなところは自民党の田中角栄のような親父だ。
世界大百科事典
ムアーウィヤ[1世] Mu‘´wiya I ?‐680
ウマイヤ朝の創建者でその初代カリフ。在位 661‐680 年。父は預言者ムハンマドに敵対したメッカのクライシュ族ウマイヤ家の指導者アブー・スフヤーン。 633 年の秋,異母兄ヤジードの軍に従ってシリア征服に向かい, 639 年,ヤジードの死で,ウマル 1 世によりシリア総督 (アミール) に任命された。 ウスマーンのカリフ就任後は,地中海に進出するなどしてシリアでの支配を固めた。 656 年にウマイヤ家出身のカリフ,ウスマーンが殺されると,その血の復讐を叫んで 4 代カリフ,アリーと対決した。 657 年のシッフィーン Siff ̄n の戦を境としてしだいに勢力を拡大し, 660 年エルサレムでカリフを宣言,661 年のアリーの暗殺でダマスクスにウマイヤ朝を開いた。 ディーワーンの創設,ビザンティンへの定期的遠征を行うなど,内乱で混乱したイスラム国家を建て直した。反面,実子ヤジード 1 世を次期カリフに指名し,カリフ世襲化の道を開いた。
Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A4
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%9C%9D
http://www.cablenet.ne.jp/~z-robo/isu3-2.html
「ムアーウィヤはやる事なす事全て成功するという黒星無き人でした
戦えば勝ち、計れば成り、まさに神がかっていたと言われます
また、エジプトの策士アムル、クーファの大立者ムギーラ、バスラの提督ジヤード、そしてムアーウィヤを含めたイスラムにおける4人の政治的天才が活躍したおかげでウマイヤ朝は政治の機能を格段と向上させます
歴代カリフにおける最高の政治感覚を持つ人物とまで称される彼です
おまけにヒルムを持ち合わせる・・・まさにイスラムの歴史に残る偉大なる人でしょう」
「それでも世の中にはどんなもににもアンチがいてな
カリフという神聖的なものを世俗的なものにした、とムアーウィヤを批難する奴もいる
カリフとは神の使途代行、神の地上代行人たる教皇とは微妙に違うが本質は同じだ
それでもイスラム世界の拡大にとても貢献した政治家だったんで、後々ぶちきれてウマイヤ朝を転覆させたアッバース朝がウマイヤ朝の歴代カリフの墓を暴いていった時、ムアーウィヤの墓は暴かなかった(もう一つ、イスラム教徒の平等化を計ったウマル二世の墓も暴かれていない)
極めつけに彼の温厚さを現す名言がこれだ
『私の鞭で足る時には剣は用いないし、舌で足る時には鞭も使わない
一本の毛が私と家臣との間を結んでいる時にはそれを切らせない
彼等が引っ張れば私が緩め、彼等が緩めば私が引っ張る』
ふっ、いい言葉だな」
「燃え燃え名言きたー!」
「アリーの一派、これを一般的にアリー=シーアと言い、そこからシーア派となったわけだが
ムアーウィヤはこのシーア派がフサインを担ぎ出して反乱を起こすだろうと考え、クーファに一大拠点を築くシーア派の監視を決して怠らなかった
ムアーウィヤが生きている間は手も足も出せないとまで言わせたからな
シーア派の主張をちょいと説明しよう
彼等はムアーウィヤのウマイヤ朝カリフ権を認めず、アリーそしてアリーの子孫こそがイスラム教の真の指導者だと主張する
シーア派のすごい所は、アリー以前のカリフ達も認めてないところだな」
「正統たるカリフ、アリーからカリフ権を簒奪した、アブー、ウマル、ウスマーンは腹を斬って死ぬべきだ!
また腹を切って終わるものではない!アッラーに背きし背徳者をシーア派は火に投げ込むものである!理由はコーランを熟読すべし!」
「そろそろ、又吉イエスも熟成してきたころだな」
これは メッセージ 3254 (aucuba_japonica さん)への返信です.
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