Re: torukojin_desu君へ
投稿者: torukojin_desu 投稿日時: 2005/12/22 23:02 投稿番号: [1995 / 4578]
私はアレウィー派(Ali派)に属してる。だが、アレウィー人は無神論者という人も少なくない。親戚兼婿であるアリーがムハメッドの死後モスクの中で祈祷中よく罵られたのは歴史の事実でそれを否定してるもの一人も居ない。特にアレウィーたちの悲劇はユダヤ人の悲劇よりももっと深い意味を持ってる。
ムアーウィヤを輩出したウマイヤ家はクライシュ族の名門で、ムアーウィヤの父アブー・スフヤーンはマッカ(メッカ)の有力者として預言者ムハンマドに激しく敵対した人物である。ムハンマドがメッカを征服したのちに、イスラム教に改宗した。略。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A4
ムアーウィヤ<この馬鹿野郎(西暦655開戦)とその息子ヤジード(西暦668回戦)は(ムアーウィヤの兄ヤジード<wikipediaの間違いかもしれない。手の元にある百科事典(MeydanLarousse)で息子と書いてトルコ人も息子として認めてる)ビザンチンに戦争を開始、最終的にはイスタンブール即ちビザンチン攻撃が心配で終わった。撤退のときそこには一つの死体(Ebu Eyyup El Nasari)が残された。時が経て(約800年間w)ビザンチンが1453メフメット2世によって征服され、メフメットの先生と呼ばれるアレウィー派に改宗したaksemsettin(子供時代semsettin vidalari gevsettinという言葉をよく耳にしていたが関係があるのかね)はある日夢を見た。夢の中で夢に現れたEyyupの墓を発見し、その夢をメフメット二世に打ち明けた。そして、その有名なEyyupという霊屋が立てられた。平家物語に出て来る「力強いものもいつかを滅びてしまって、全く風の前の塵と同じである」様になるまでは即ち塵になるには800年間が足りないみたい。そこ(霊屋)を訪れる人の99㌫は以上の事実を知らない。ウマイヤ朝はイスラムの敵でムハメッドの孫達はヤジードによって殺されたことはみなに知られてるけど、あの夢見たsemsettinとヤジードの下でビザンチンを征服に来たEyyupとその実際の姿があまり知られてない。そんなくだらない話を信じてる人が大勢居る。
ところでアリーの後シーア派と言われるけど、その先はアレウィー派と百科事典MeydanLarousseで書いてある。特に現在のシーア派を見てスンニ派と比べると彼らの振る舞いはスンニ派に似ていろんな点でスンニ派よりも厳しいです。アレウィー派とは全く違う。先日ニュースでイランでは西洋音楽は禁じられたと聞いた。同じ木の枝としたら、枝の一つには棘を持ってるサボテン、他の枝にはそれと対立してる果物。その当時政権を握ったヤジードはイスラム世界を指導し影響を現在まで伸ばした。特に黒布を被ってるアレウィーは一人も居ない。だから丸でちんぷんかんぷんだという人が増えてる。言いたかったのは、若し宇宙人が人間と議論したら「人間という宇宙人がなんと失礼な生物」とか「どんなことでも一致してることは一つもない」といったでしょう。混乱な世の中。
トルコ人のパスポトのすべてのページの真ん中にある印がアレウィー派の12のイマム(弟子)をシンボルしてる。だとすると、イエスの12人の弟子、イスラエル12支族等それらの数は偶然なのか?
たとえば、不思議なことに、コーランは割礼の命令の言葉やAmin(Amen Ammon【聖】アンモン (((1)Lotの子.(2)死海東方の古代王国)); 【エジプト神話】アモン ((万物の創造主))もアミン)という言葉を一度も扱っていない。検索してみてはよい。それらと(その他も勿論)ユダヤ教から受け継がれただとすると12の弟子もユダヤ教の伝説でしょうね。
以下はkizilbas(額に赤いリボンをつけてるのでそのように名付けられる。シーア派に属してるがアレウィー人もその悪い言葉の対象になる)外国人の皇后が好きだったオスマン帝国指導者は小アジァの民族であるトルコ人を何百年間苛めたのは事実である。そのかわりにユダヤ人やアルメニア人は高級の立場を占めていた。疑う方が居たらイスタンブールの歴史遺跡を見てはよい。
Ulkemizde bugun yaygin sekilde Alevi olarak adlandirilan kitleler icin kaynaklarda bircok ismin kullanildigini soyleyebiliriz. Anadolu’daki Alevi kitleleri nitelemek uzere kaynaklarda, kizilbas, rafizi, isik, mulhid ve torlak gibi adlarin kullanildigini gormekteyiz. Bunlardan en cok kullanilani Kizilbas adi olmustur. Anadolu Alevileri kendileri icin cok anlamli Kizilbas adini, Osmanli yonetiminin ahlakdisi anlamlar yukleyerek, sunni kitlelere asilayarak bir psikolojik savas araci olarak kullanmasi sonucunda birakmak zorunda kalmislardir.
ムアーウィヤを輩出したウマイヤ家はクライシュ族の名門で、ムアーウィヤの父アブー・スフヤーンはマッカ(メッカ)の有力者として預言者ムハンマドに激しく敵対した人物である。ムハンマドがメッカを征服したのちに、イスラム教に改宗した。略。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A4
ムアーウィヤ<この馬鹿野郎(西暦655開戦)とその息子ヤジード(西暦668回戦)は(ムアーウィヤの兄ヤジード<wikipediaの間違いかもしれない。手の元にある百科事典(MeydanLarousse)で息子と書いてトルコ人も息子として認めてる)ビザンチンに戦争を開始、最終的にはイスタンブール即ちビザンチン攻撃が心配で終わった。撤退のときそこには一つの死体(Ebu Eyyup El Nasari)が残された。時が経て(約800年間w)ビザンチンが1453メフメット2世によって征服され、メフメットの先生と呼ばれるアレウィー派に改宗したaksemsettin(子供時代semsettin vidalari gevsettinという言葉をよく耳にしていたが関係があるのかね)はある日夢を見た。夢の中で夢に現れたEyyupの墓を発見し、その夢をメフメット二世に打ち明けた。そして、その有名なEyyupという霊屋が立てられた。平家物語に出て来る「力強いものもいつかを滅びてしまって、全く風の前の塵と同じである」様になるまでは即ち塵になるには800年間が足りないみたい。そこ(霊屋)を訪れる人の99㌫は以上の事実を知らない。ウマイヤ朝はイスラムの敵でムハメッドの孫達はヤジードによって殺されたことはみなに知られてるけど、あの夢見たsemsettinとヤジードの下でビザンチンを征服に来たEyyupとその実際の姿があまり知られてない。そんなくだらない話を信じてる人が大勢居る。
ところでアリーの後シーア派と言われるけど、その先はアレウィー派と百科事典MeydanLarousseで書いてある。特に現在のシーア派を見てスンニ派と比べると彼らの振る舞いはスンニ派に似ていろんな点でスンニ派よりも厳しいです。アレウィー派とは全く違う。先日ニュースでイランでは西洋音楽は禁じられたと聞いた。同じ木の枝としたら、枝の一つには棘を持ってるサボテン、他の枝にはそれと対立してる果物。その当時政権を握ったヤジードはイスラム世界を指導し影響を現在まで伸ばした。特に黒布を被ってるアレウィーは一人も居ない。だから丸でちんぷんかんぷんだという人が増えてる。言いたかったのは、若し宇宙人が人間と議論したら「人間という宇宙人がなんと失礼な生物」とか「どんなことでも一致してることは一つもない」といったでしょう。混乱な世の中。
トルコ人のパスポトのすべてのページの真ん中にある印がアレウィー派の12のイマム(弟子)をシンボルしてる。だとすると、イエスの12人の弟子、イスラエル12支族等それらの数は偶然なのか?
たとえば、不思議なことに、コーランは割礼の命令の言葉やAmin(Amen Ammon【聖】アンモン (((1)Lotの子.(2)死海東方の古代王国)); 【エジプト神話】アモン ((万物の創造主))もアミン)という言葉を一度も扱っていない。検索してみてはよい。それらと(その他も勿論)ユダヤ教から受け継がれただとすると12の弟子もユダヤ教の伝説でしょうね。
以下はkizilbas(額に赤いリボンをつけてるのでそのように名付けられる。シーア派に属してるがアレウィー人もその悪い言葉の対象になる)外国人の皇后が好きだったオスマン帝国指導者は小アジァの民族であるトルコ人を何百年間苛めたのは事実である。そのかわりにユダヤ人やアルメニア人は高級の立場を占めていた。疑う方が居たらイスタンブールの歴史遺跡を見てはよい。
Ulkemizde bugun yaygin sekilde Alevi olarak adlandirilan kitleler icin kaynaklarda bircok ismin kullanildigini soyleyebiliriz. Anadolu’daki Alevi kitleleri nitelemek uzere kaynaklarda, kizilbas, rafizi, isik, mulhid ve torlak gibi adlarin kullanildigini gormekteyiz. Bunlardan en cok kullanilani Kizilbas adi olmustur. Anadolu Alevileri kendileri icin cok anlamli Kizilbas adini, Osmanli yonetiminin ahlakdisi anlamlar yukleyerek, sunni kitlelere asilayarak bir psikolojik savas araci olarak kullanmasi sonucunda birakmak zorunda kalmislardir.
これは メッセージ 1984 (ecebutto さん)への返信です.
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