Re: マルコポーロ廃刊の真相
投稿者: torukojin_desu 投稿日時: 2005/12/21 01:15 投稿番号: [1931 / 4578]
紀元前1250年、大預言者モーセの後を引き継いだヨシュアは、イスラエル12支族を率いてヨルダン川を横断し、約束の地カナン(パレスチナ地方)へと侵入した。イスラエル12支族は、神が約束した土地であるという大義のもとで先住民と戦い、瞬く間に征服し、支族ごとに12の領地に分割した。
「イスラエル統一王国」が国家として隆盛を誇る反面、民は重税と強制労働に大きな不満を抱いていた。それがソロモン王の死後、噴出し、ソロモンの息子レハベアムが即位すると、エラフイム族のヤラベアムが反乱を開始した。戦火は王国内に拡大し、内乱へと発展した。「北イスラエル王国(北朝)」「南ユダ王国(南朝)」
イスラエル統一王国の分裂は、単に政治的な面にとどまらず、宗教的な面においても分裂を引き起こしてしまった。南ユダ王国は、以前と同じようにソロモン神殿で「絶対神ヤハウェ」を信仰していた。それに対して北イスラエル王国は、黄金の子牛像を作り、これを礼拝、偶像崇拝に陥ってしまった。これは「ヤロベアムの罪」と呼ばれている。
紀元前722年、メソポタミア地方に勢力を急速に拡大してきたアッシリア帝国が、パレスチナ地方に侵入し、北イスラエル王国に襲いかかった。必死に防戦したが、北イスラエル王国はあっけなく滅亡してしまった。しかもイスラエル10支族はそのままアッシリア帝国へ連行され、完全に捕囚(ニネベ捕囚)されてしまったのである。
アッシリア王サルゴンの年代記によれば、「サマリア(北イスラエル王国の首都)の貴族階級27,290人をアッシリアに連行した……」とある。
北イスラエル王国滅亡を目の当たりにした南ユダ王国のユダ族中心のイスラエル2支族たちは、改めて偶像崇拝はいけないことだと自戒し、「ダビデ王統」を守り続けていった。が、しばらくすると、南ユダ王国も同じ過ちを冒し、北朝滅亡から135年後の紀元前587年、新バビロニア王国によって滅亡してしまった。南朝のイスラエル2支族はバビロンへと捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は破壊された。ユダ族の人々は国も神殿も王も失って、バビロンの地で涙することとなったのである。
紀元前538年の新バビロニア王国の滅亡と、その後のペルシア帝国の寛容な宗教政策によって、南朝のイスラエル2支族はパレスチナ地方へ帰ることができた。彼らはソロモン神殿を再建し、徹底した契約厳守の律法主義に基づく「新ユダヤ教」を作り、現在のユダヤ人へと至る“目に見える歴史”をたどった。
ところで、南朝のイスラエル2支族が故郷の地に帰還した時、既にアッシリア帝国は滅亡しており、そこへ捕囚されていたイスラエル10支族はパレスチナ地方へ帰ってきてしかるべきであった。しかし、彼らは帰って来なかったのである。
イスラエル10支族は、いつの間にか歴史の表舞台から消えてしまったのである!
興味深いことに、冒頭でも紹介した、紀元1世紀の著名な歴史家フラビウス・ヨセフスは、『ユダヤ古代誌』の中で、イスラエル10支族は膨大な数になっていて、ユーフラテス川の彼方に広がっていると記述していた。また、聖書外典の「第二エズラ書」は、以下のように、イスラエル10支族は絶対神ヤハウェを信仰し、過去と同じ過ちを犯さないために、信仰の邪魔する者が存在しない土地を目指したと伝えている。
現代の歴史学的通説では、彼らは捕囚中に死滅したとか、現地の人間と同化したということにされているが、確たる証拠があるわけではない。世界のベストセラーである『旧約聖書』の主人公であり、神から一番愛されていた民族(選民)である彼らが、何の断りもなしに消滅することがあっていいのであろうか。
イエス登場を境に大分裂してしまった
イスラエル2支族
「イエスはユダヤ人によって殺された」という表現も正確ではない。イエスもユダヤ人だったからである。イエスはユダヤ教の中に新しい宗派「イエス派」を形成し、ユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための宗教改革を実施したと言える。
続く
「イスラエル統一王国」が国家として隆盛を誇る反面、民は重税と強制労働に大きな不満を抱いていた。それがソロモン王の死後、噴出し、ソロモンの息子レハベアムが即位すると、エラフイム族のヤラベアムが反乱を開始した。戦火は王国内に拡大し、内乱へと発展した。「北イスラエル王国(北朝)」「南ユダ王国(南朝)」
イスラエル統一王国の分裂は、単に政治的な面にとどまらず、宗教的な面においても分裂を引き起こしてしまった。南ユダ王国は、以前と同じようにソロモン神殿で「絶対神ヤハウェ」を信仰していた。それに対して北イスラエル王国は、黄金の子牛像を作り、これを礼拝、偶像崇拝に陥ってしまった。これは「ヤロベアムの罪」と呼ばれている。
紀元前722年、メソポタミア地方に勢力を急速に拡大してきたアッシリア帝国が、パレスチナ地方に侵入し、北イスラエル王国に襲いかかった。必死に防戦したが、北イスラエル王国はあっけなく滅亡してしまった。しかもイスラエル10支族はそのままアッシリア帝国へ連行され、完全に捕囚(ニネベ捕囚)されてしまったのである。
アッシリア王サルゴンの年代記によれば、「サマリア(北イスラエル王国の首都)の貴族階級27,290人をアッシリアに連行した……」とある。
北イスラエル王国滅亡を目の当たりにした南ユダ王国のユダ族中心のイスラエル2支族たちは、改めて偶像崇拝はいけないことだと自戒し、「ダビデ王統」を守り続けていった。が、しばらくすると、南ユダ王国も同じ過ちを冒し、北朝滅亡から135年後の紀元前587年、新バビロニア王国によって滅亡してしまった。南朝のイスラエル2支族はバビロンへと捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は破壊された。ユダ族の人々は国も神殿も王も失って、バビロンの地で涙することとなったのである。
紀元前538年の新バビロニア王国の滅亡と、その後のペルシア帝国の寛容な宗教政策によって、南朝のイスラエル2支族はパレスチナ地方へ帰ることができた。彼らはソロモン神殿を再建し、徹底した契約厳守の律法主義に基づく「新ユダヤ教」を作り、現在のユダヤ人へと至る“目に見える歴史”をたどった。
ところで、南朝のイスラエル2支族が故郷の地に帰還した時、既にアッシリア帝国は滅亡しており、そこへ捕囚されていたイスラエル10支族はパレスチナ地方へ帰ってきてしかるべきであった。しかし、彼らは帰って来なかったのである。
イスラエル10支族は、いつの間にか歴史の表舞台から消えてしまったのである!
興味深いことに、冒頭でも紹介した、紀元1世紀の著名な歴史家フラビウス・ヨセフスは、『ユダヤ古代誌』の中で、イスラエル10支族は膨大な数になっていて、ユーフラテス川の彼方に広がっていると記述していた。また、聖書外典の「第二エズラ書」は、以下のように、イスラエル10支族は絶対神ヤハウェを信仰し、過去と同じ過ちを犯さないために、信仰の邪魔する者が存在しない土地を目指したと伝えている。
現代の歴史学的通説では、彼らは捕囚中に死滅したとか、現地の人間と同化したということにされているが、確たる証拠があるわけではない。世界のベストセラーである『旧約聖書』の主人公であり、神から一番愛されていた民族(選民)である彼らが、何の断りもなしに消滅することがあっていいのであろうか。
イエス登場を境に大分裂してしまった
イスラエル2支族
「イエスはユダヤ人によって殺された」という表現も正確ではない。イエスもユダヤ人だったからである。イエスはユダヤ教の中に新しい宗派「イエス派」を形成し、ユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための宗教改革を実施したと言える。
続く
これは メッセージ 1930 (torukojin_desu さん)への返信です.
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