恐怖
投稿者: chu_rippu1 投稿日時: 2004/12/27 23:11 投稿番号: [1246 / 4578]
>なぜ?私に出来ることなら何でもしますよ。
ありがとうございました。実際の世界はそうだからです。私はそういう立場に居ないから貴方にできることは何一つもありません。ただ、奇跡に近い一つの頼みがあるが、それは不可能でしょう。
>攻めても何にもなりません。攻撃は攻撃を生むだけです。
それはそうですね。貴方は何故か何時も優しいです。
>良いもの美しいものを見る目も、あなたは持っているではありませんか?
それらの話をしましょうよ。
本当だ。不吉なことが多い年だったから今年は何時も悲しいこと嫌なことの話ばかりしてきた。疲れた。人間は多くのよいものに恵まれてるのに何でこうなってくるの。不思議です。
>日本人にとってクリスマスは「お祭り」です。しかし本物のクリスチャンのように
心から祝っているかは?でしょうね。
トルコにも変わりがありません。その点でよく似てる。トルコのどこに居ても英語の看板で溢れてる。現世代はそう思うかもしれませんが、次の世代はそれをそのまま受け入れるかも。別に構わないが。最近トルコのテレビでAnadolu atesi(アナトリアの火)という番組が登場した。トルコ国民の大部分がそれを見て時々感動して泣いてる。祖先伝来のことを見て自慢してるからである。美しい意味深い歌には私も感動してる。
>無信仰の国民の持つ捕らえ所のなさがあなたに理解できるかわからない。
なぜ幾度無信仰だと言われるの。仏教も神道もあるのに。トルコにも宗教のことをわからない方が一杯居る。神道はアニミズムに似ていないのかな。日本仏教史入門と言う本を読む機械を得たが、それだけで足りないでしょうね。
私はモスクや教会の建物が美しいとは思わないが、何故かお寺のことを大好き。自然を大好きからであろう。
あなたは人間をある意味で神として例えるが、イエス様が人間で居ても居なくても矛盾が起こるのではないか。それなら普通の人間は何でしょうね。
アル・ヒジュル章15.
29. われはかれを(完全に)形作った。それからわれの霊をかれに吹込んだ時,あなたがた(天使)はかれにサジダしなさい。」と(命じた)。
Hicr Suresi 29. Bunun icin, Ben onu muntazam bir insan kivamina getirip icine ruhumdan ufledigim zaman, derhal onun icin secdeye kapanin!"
という言葉をどのように受け入れたら良いのでしょうか。実際は私たちには何の力もありません。消えていく者だからである。
>なぜならあなたの心には「神」という善悪の基準が厳然としてあるから、言葉尻が強い調子になりがちだし
それは信仰を持たない者にとっては何よりの脅威となる。
そんなことはありません。私も普通の人間でただ少し敏感かもしれません。自分の悩みを例として他人の悩みを大切してる。心には神様のことがなかったときも同じだったが、神様のことを信じた時恐れがなくなった。道が見えたからである。全てが人間的だからあの世がなくても構わない。
>それは信仰を持たない者にとっては何よりの脅威となる。
だから本能的に揚げ足を取って攻撃体制になる。
要は常に恐怖心と一体なのです。
そのことは、攻撃する本人さえ気付いてはいません。
そうは思わない。私は攻撃などもしていない。攻撃された(議論の意味で)からここに書いた。前にも書いたが、神様を信じる以外宗教や政治に何の興味も持っていない。が、政治家にも宗教にも私の自由が奪われる。私は殆どがもっと楽しい話して人生を遂げたい。果敢ない人生だとよく理解できたからである。他人を苛めるなんて私にはできないことです。恐怖なんて貴方だけ感じるかも。または貴方が何処かで勘違いしてるかも。レスして下さったよかった。感謝♪。力がある限り何時も返事したい。
ありがとうございました。実際の世界はそうだからです。私はそういう立場に居ないから貴方にできることは何一つもありません。ただ、奇跡に近い一つの頼みがあるが、それは不可能でしょう。
>攻めても何にもなりません。攻撃は攻撃を生むだけです。
それはそうですね。貴方は何故か何時も優しいです。
>良いもの美しいものを見る目も、あなたは持っているではありませんか?
それらの話をしましょうよ。
本当だ。不吉なことが多い年だったから今年は何時も悲しいこと嫌なことの話ばかりしてきた。疲れた。人間は多くのよいものに恵まれてるのに何でこうなってくるの。不思議です。
>日本人にとってクリスマスは「お祭り」です。しかし本物のクリスチャンのように
心から祝っているかは?でしょうね。
トルコにも変わりがありません。その点でよく似てる。トルコのどこに居ても英語の看板で溢れてる。現世代はそう思うかもしれませんが、次の世代はそれをそのまま受け入れるかも。別に構わないが。最近トルコのテレビでAnadolu atesi(アナトリアの火)という番組が登場した。トルコ国民の大部分がそれを見て時々感動して泣いてる。祖先伝来のことを見て自慢してるからである。美しい意味深い歌には私も感動してる。
>無信仰の国民の持つ捕らえ所のなさがあなたに理解できるかわからない。
なぜ幾度無信仰だと言われるの。仏教も神道もあるのに。トルコにも宗教のことをわからない方が一杯居る。神道はアニミズムに似ていないのかな。日本仏教史入門と言う本を読む機械を得たが、それだけで足りないでしょうね。
私はモスクや教会の建物が美しいとは思わないが、何故かお寺のことを大好き。自然を大好きからであろう。
あなたは人間をある意味で神として例えるが、イエス様が人間で居ても居なくても矛盾が起こるのではないか。それなら普通の人間は何でしょうね。
アル・ヒジュル章15.
29. われはかれを(完全に)形作った。それからわれの霊をかれに吹込んだ時,あなたがた(天使)はかれにサジダしなさい。」と(命じた)。
Hicr Suresi 29. Bunun icin, Ben onu muntazam bir insan kivamina getirip icine ruhumdan ufledigim zaman, derhal onun icin secdeye kapanin!"
という言葉をどのように受け入れたら良いのでしょうか。実際は私たちには何の力もありません。消えていく者だからである。
>なぜならあなたの心には「神」という善悪の基準が厳然としてあるから、言葉尻が強い調子になりがちだし
それは信仰を持たない者にとっては何よりの脅威となる。
そんなことはありません。私も普通の人間でただ少し敏感かもしれません。自分の悩みを例として他人の悩みを大切してる。心には神様のことがなかったときも同じだったが、神様のことを信じた時恐れがなくなった。道が見えたからである。全てが人間的だからあの世がなくても構わない。
>それは信仰を持たない者にとっては何よりの脅威となる。
だから本能的に揚げ足を取って攻撃体制になる。
要は常に恐怖心と一体なのです。
そのことは、攻撃する本人さえ気付いてはいません。
そうは思わない。私は攻撃などもしていない。攻撃された(議論の意味で)からここに書いた。前にも書いたが、神様を信じる以外宗教や政治に何の興味も持っていない。が、政治家にも宗教にも私の自由が奪われる。私は殆どがもっと楽しい話して人生を遂げたい。果敢ない人生だとよく理解できたからである。他人を苛めるなんて私にはできないことです。恐怖なんて貴方だけ感じるかも。または貴方が何処かで勘違いしてるかも。レスして下さったよかった。感謝♪。力がある限り何時も返事したい。
これは メッセージ 1244 (omoukotoiimasyou さん)への返信です.
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