やはり外交官と思えない天木直人 Ⅱ
投稿者: kokunan_jerusalem678 投稿日時: 2006/10/07 22:03 投稿番号: [498 / 2525]
>「世界はレバノンを見殺しにするのか」
>7月12日から始まったイスラエルの攻撃でレバノンが悲鳴を上げている。それでも世界は何も出来ないままだ。連日繰り返される戦争報道は決して問題の本質に迫ろうとはしない。だからこそ私は真実を語りたい。これは3年前まで駐レバノン日本国特命全権大使を務めた私のせめてもの責任である。
▲冒頭は特になし。
>中東のあらゆる紛争の底に流れるのは1948年に始まったイスラエル・パレスチナ問題である。
▲一見正しそうであるが完全な間違いである。中東における紛争をざっと挙げてみよう。
・湾岸戦争
・イラン/イラク戦争
・西サハラ紛争
・イエメン内戦
・リビアのチャド侵攻
・アルジェリアで暴虐の限りを尽くす過激派
・イラクにおけるスンニー派とシーア派の対立
・クルド人問題
・スーダン内戦
・レバノン内戦
お分かりの通り、ざっと思いついた限りだけでもたくさんの紛争が中東で発生していることが分かる。さて、ここで御仁に聞いてみよう。この紛争の中で「イス/パレ紛争が根底にある」と証明できる紛争はあるだろうか?
湾岸戦争はフセインのクウェート侵略である。フセインは別にイスラエルに怨念を持ってクウェートを侵略したものでもないし、かつパレスチナを救援に向かった訳でもない。つまり、イス/パレは関係ない。イラン/イラク戦争。これは歴史的な対立に加え、イラン革命の波及を恐れたフセインがイランに吹っ掛けた戦争である。これもイス/パレは関係ない。西サハラ紛争、これはモロッコとモーリタニアの領有権争い(現在はモロッコが占拠)。よって、これも関係ない。イエメン内戦、これは↓を参照
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/yemen.html
もちろん、イス/パレは関係ない。きりがないのでこれぐらいでやめておくが、つまり、これらはどれもイス/パレ紛争などと関係ないのである。どう解釈したら中東のあらゆる紛争はイス/パレが根底にあるという結論が出せるのであろうか?
もっとも、レバノン内戦は関係がありそうである。しかし、イスラエルの侵攻以前より、内戦は勃発しており、イスラームとマロン派の対立もイスラエル建国以前から存在している。多少は関係があると思うが、「根底にある」とは言えない。
御仁に再びお聞きしよう。歴史の授業はお昼寝タイムだったのか?
>それはナチの虐殺から逃れて欧州から中東に移り住んだユダヤ人が先住民であるアラブ人(パレスチナ人)と始めた、領土をめぐる宗教、民族紛争である。
▲これも嘘。御仁、ナチのユダヤ人虐殺が開始された時期もその時のユダヤ人をめぐる状況も知らないらしい。
結論から言うと、ナチがユダヤ人虐殺を介したのは、41年6月、独ソ戦開始直後である(ナチのそれまでの政策は「追放政策」であり、まだ「絶滅政策」には達していなかった。正式に「絶滅政策」が決定したのは42年1月のヴァンゼー会議)。しかし、この時期は、国際的にも国内的にもユダヤ人が逃げることはもはや不可能であった。39年、既にイギリスはパレスチナにマクドナルド白書というユダヤ人移民制限令が出している。また、ナチは独ソ戦開始直前にユダヤ人の国外移住を全面的に禁止した。そして、ナチ占領下のポーランドのユダヤ人200万人はゲットーに閉じ込められ、そもそもゲットーから逃げることがほぼ不可能であった。このような状況で、一体、どうやってパレスチナへ行くことが出来るのだろうか? ふざけたこと抜してるんじゃないよ。
そして、蛇足だがユダヤ人とパレスチナ人の衝突はナチ政権成立以前から発生している。この点を考えても上記の文章は不適当である。
>その限りでは双方ともに、欧米植民地政策の犠牲者であった。
▲これは間違っていない。イギリスの3枚舌外交が原因の一つなのだから。「その限り」という余計な文章を抜かしての話だが
続きは今度
>7月12日から始まったイスラエルの攻撃でレバノンが悲鳴を上げている。それでも世界は何も出来ないままだ。連日繰り返される戦争報道は決して問題の本質に迫ろうとはしない。だからこそ私は真実を語りたい。これは3年前まで駐レバノン日本国特命全権大使を務めた私のせめてもの責任である。
▲冒頭は特になし。
>中東のあらゆる紛争の底に流れるのは1948年に始まったイスラエル・パレスチナ問題である。
▲一見正しそうであるが完全な間違いである。中東における紛争をざっと挙げてみよう。
・湾岸戦争
・イラン/イラク戦争
・西サハラ紛争
・イエメン内戦
・リビアのチャド侵攻
・アルジェリアで暴虐の限りを尽くす過激派
・イラクにおけるスンニー派とシーア派の対立
・クルド人問題
・スーダン内戦
・レバノン内戦
お分かりの通り、ざっと思いついた限りだけでもたくさんの紛争が中東で発生していることが分かる。さて、ここで御仁に聞いてみよう。この紛争の中で「イス/パレ紛争が根底にある」と証明できる紛争はあるだろうか?
湾岸戦争はフセインのクウェート侵略である。フセインは別にイスラエルに怨念を持ってクウェートを侵略したものでもないし、かつパレスチナを救援に向かった訳でもない。つまり、イス/パレは関係ない。イラン/イラク戦争。これは歴史的な対立に加え、イラン革命の波及を恐れたフセインがイランに吹っ掛けた戦争である。これもイス/パレは関係ない。西サハラ紛争、これはモロッコとモーリタニアの領有権争い(現在はモロッコが占拠)。よって、これも関係ない。イエメン内戦、これは↓を参照
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/yemen.html
もちろん、イス/パレは関係ない。きりがないのでこれぐらいでやめておくが、つまり、これらはどれもイス/パレ紛争などと関係ないのである。どう解釈したら中東のあらゆる紛争はイス/パレが根底にあるという結論が出せるのであろうか?
もっとも、レバノン内戦は関係がありそうである。しかし、イスラエルの侵攻以前より、内戦は勃発しており、イスラームとマロン派の対立もイスラエル建国以前から存在している。多少は関係があると思うが、「根底にある」とは言えない。
御仁に再びお聞きしよう。歴史の授業はお昼寝タイムだったのか?
>それはナチの虐殺から逃れて欧州から中東に移り住んだユダヤ人が先住民であるアラブ人(パレスチナ人)と始めた、領土をめぐる宗教、民族紛争である。
▲これも嘘。御仁、ナチのユダヤ人虐殺が開始された時期もその時のユダヤ人をめぐる状況も知らないらしい。
結論から言うと、ナチがユダヤ人虐殺を介したのは、41年6月、独ソ戦開始直後である(ナチのそれまでの政策は「追放政策」であり、まだ「絶滅政策」には達していなかった。正式に「絶滅政策」が決定したのは42年1月のヴァンゼー会議)。しかし、この時期は、国際的にも国内的にもユダヤ人が逃げることはもはや不可能であった。39年、既にイギリスはパレスチナにマクドナルド白書というユダヤ人移民制限令が出している。また、ナチは独ソ戦開始直前にユダヤ人の国外移住を全面的に禁止した。そして、ナチ占領下のポーランドのユダヤ人200万人はゲットーに閉じ込められ、そもそもゲットーから逃げることがほぼ不可能であった。このような状況で、一体、どうやってパレスチナへ行くことが出来るのだろうか? ふざけたこと抜してるんじゃないよ。
そして、蛇足だがユダヤ人とパレスチナ人の衝突はナチ政権成立以前から発生している。この点を考えても上記の文章は不適当である。
>その限りでは双方ともに、欧米植民地政策の犠牲者であった。
▲これは間違っていない。イギリスの3枚舌外交が原因の一つなのだから。「その限り」という余計な文章を抜かしての話だが
続きは今度
これは メッセージ 479 (kokunan_jerusalem678 さん)への返信です.
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