改めて問うシンパの特徴 Ⅰ
投稿者: kokunan_jerusalem678 投稿日時: 2006/07/28 21:00 投稿番号: [353 / 2525]
>こういう「けしからん!」と拳あげるタイプって長続きしないんだよな。
>こういう人たちは、自分たちがイスラム原理主義者と対峙するときまで、アラブの病巣を見せ付けられるときまでは気づかないのだろう。
アドベン氏もこう言ってることだし、ここで改めてゴミであるシンパの特徴を指摘してみたい。まさに現在、雲霞の如く発生しているのだ。全く。
●特徴その1:「十年一日のごとし」
「十年一日のごとし」。それは「十年も同じ日を繰返すように、何年たっても変わらない事。長い間同じで、少しも変化・進歩・成長がないさまをいう。また長く同じやり方や状態を辛抱強く守ること」という意味である。
シンパも全く同じである。常に同じ発想、同じ主張、同じ「解決案」、同じレッテル、同じ悪口…。とにかく、うんざりするぐらい、いつも同じなのである。中東トピ常連者の皆さんなら98年開設のあちらのトピにおいて、初期のシンパと現在のシンパが驚くほど一致していることに気づくだろう。
●特徴その2:「良きパレスチナ人」
シンパの想像する良きパレスチナ人とは何だろう? 間違っても「平和を望むパレスチナ人」だとか「平和に向かって奮闘するパレスチナ人」を想像してはならない。当然だが、シンパは表面上はそうかもしれないし、実際、そのようなことを口にするが、これが連中の本心だと思っているようではその考えはあまい。
であるなら、シンパの良きパレスチナ人とは何だろう? それは「迫害される弱いパレスチナ人」である。シンパの頭の中ではパレスチナ人というのは常に「迫害」されていなければならず、それに反する現象はあってはならないのである。
例をあげると、シンパは戦争となると雲霞の如くやって来て、終結するとなると餌を食い散らかして移動するイナゴの如く去っていく。戦争は「迫害される弱いパレスチナ人」が拝める絶好のチャンスなのである。であるから、雲霞の如く発生するのである。それも建設的な意見や事実も基づいた客観的意見でも言うなら話は別である。しかし、シンパはそうではない。単にパレスチナ人の「味方」の振りをし、イスラエルを罵詈雑言に非難するだけである。単にそれをしているだけである。単にそれだけで満足しているのである。シンパの目的は「迫害されるパレスチナ人」を見ることにあるのだから。そして、戦争が終結するとイナゴのように去っていく。もう「迫害される弱いパレスチナ人」は拝めないのだから。
その他にも、例をあげることができるが、長くなるのでストップし、考えてみよう。「迫害される弱いパレスチナ人」とは連中に何をもたらすのか? 考えるまでもない。それは一種の優越感と満足感である。これこそがシンパの本丸である。
●特徴その3:「平和を望んでいる?」
連中は口先だけは「平和」とか言っているが、和平進展の時とか、情勢が安泰の時には基本的にあまり関心を示さないか、それと逆行する言動をとることが多い。どちらかといえば、戦争時に異様に興奮している。
例えば、和平交渉はパレスチナ側が同意していても、イスラエル側のあら探しに終始するか、「著しく不公平な和平案に怒るパレスチナ庶民の声」とかなんとか抜かす。当然であるが、具体的にどこが不公平なのかと指摘する必要があるが、それも全くない。無条件に不公平なのである。「不公平」というパレスチナ「庶民」の声が聞けりゃもう万々歳である。そして、過激派によって、和平が本当におしゃかになると「それみたことか」と暗に喜び、「そんな和平案を突きつけられたのだから、怒るのは当たり前だろう」と言わんばかりにその過激派野郎に理解を示すのである。そう、和平案をぶっ潰したくて仕方がないのだ。
そして、戦争となると例の如くやって来るのである。ひどく興奮して。あまり認めたくないことだが戦争というのは最低であるが、かつ何らかの「魅力」を持っている。この「魅力」に対し、最も露骨なのが実はこのタイプの連中だ。「無差別爆撃」だの「虐殺」だのと嬉嬉として絶叫し、「大戦争になる」とアジりまくり、挙句の果てにはホロコーストを正当化するのはいい証拠である。
(続く)
>こういう人たちは、自分たちがイスラム原理主義者と対峙するときまで、アラブの病巣を見せ付けられるときまでは気づかないのだろう。
アドベン氏もこう言ってることだし、ここで改めてゴミであるシンパの特徴を指摘してみたい。まさに現在、雲霞の如く発生しているのだ。全く。
●特徴その1:「十年一日のごとし」
「十年一日のごとし」。それは「十年も同じ日を繰返すように、何年たっても変わらない事。長い間同じで、少しも変化・進歩・成長がないさまをいう。また長く同じやり方や状態を辛抱強く守ること」という意味である。
シンパも全く同じである。常に同じ発想、同じ主張、同じ「解決案」、同じレッテル、同じ悪口…。とにかく、うんざりするぐらい、いつも同じなのである。中東トピ常連者の皆さんなら98年開設のあちらのトピにおいて、初期のシンパと現在のシンパが驚くほど一致していることに気づくだろう。
●特徴その2:「良きパレスチナ人」
シンパの想像する良きパレスチナ人とは何だろう? 間違っても「平和を望むパレスチナ人」だとか「平和に向かって奮闘するパレスチナ人」を想像してはならない。当然だが、シンパは表面上はそうかもしれないし、実際、そのようなことを口にするが、これが連中の本心だと思っているようではその考えはあまい。
であるなら、シンパの良きパレスチナ人とは何だろう? それは「迫害される弱いパレスチナ人」である。シンパの頭の中ではパレスチナ人というのは常に「迫害」されていなければならず、それに反する現象はあってはならないのである。
例をあげると、シンパは戦争となると雲霞の如くやって来て、終結するとなると餌を食い散らかして移動するイナゴの如く去っていく。戦争は「迫害される弱いパレスチナ人」が拝める絶好のチャンスなのである。であるから、雲霞の如く発生するのである。それも建設的な意見や事実も基づいた客観的意見でも言うなら話は別である。しかし、シンパはそうではない。単にパレスチナ人の「味方」の振りをし、イスラエルを罵詈雑言に非難するだけである。単にそれをしているだけである。単にそれだけで満足しているのである。シンパの目的は「迫害されるパレスチナ人」を見ることにあるのだから。そして、戦争が終結するとイナゴのように去っていく。もう「迫害される弱いパレスチナ人」は拝めないのだから。
その他にも、例をあげることができるが、長くなるのでストップし、考えてみよう。「迫害される弱いパレスチナ人」とは連中に何をもたらすのか? 考えるまでもない。それは一種の優越感と満足感である。これこそがシンパの本丸である。
●特徴その3:「平和を望んでいる?」
連中は口先だけは「平和」とか言っているが、和平進展の時とか、情勢が安泰の時には基本的にあまり関心を示さないか、それと逆行する言動をとることが多い。どちらかといえば、戦争時に異様に興奮している。
例えば、和平交渉はパレスチナ側が同意していても、イスラエル側のあら探しに終始するか、「著しく不公平な和平案に怒るパレスチナ庶民の声」とかなんとか抜かす。当然であるが、具体的にどこが不公平なのかと指摘する必要があるが、それも全くない。無条件に不公平なのである。「不公平」というパレスチナ「庶民」の声が聞けりゃもう万々歳である。そして、過激派によって、和平が本当におしゃかになると「それみたことか」と暗に喜び、「そんな和平案を突きつけられたのだから、怒るのは当たり前だろう」と言わんばかりにその過激派野郎に理解を示すのである。そう、和平案をぶっ潰したくて仕方がないのだ。
そして、戦争となると例の如くやって来るのである。ひどく興奮して。あまり認めたくないことだが戦争というのは最低であるが、かつ何らかの「魅力」を持っている。この「魅力」に対し、最も露骨なのが実はこのタイプの連中だ。「無差別爆撃」だの「虐殺」だのと嬉嬉として絶叫し、「大戦争になる」とアジりまくり、挙句の果てにはホロコーストを正当化するのはいい証拠である。
(続く)
これは メッセージ 350 (adventureoftheultraworld さん)への返信です.
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