アムネスティのベイトハヌン視察2
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/12/01 00:12 投稿番号: [1187 / 2525]
11歳の少女アラ・マンスール・アル=クデイルは、11月4日、ベイトラヒアの学校で朝の授業を終えて友達と帰宅する途中、イスラエル軍の攻撃により負傷した。弾は左頭部から入り、首の左側に達していた。弾はまだ体内に残っており、アラの症状は重い。母親によると、アラが負傷したのはガザ北西部のサヤファ地区にある自宅の近くであり、このところイスラエル陸軍が頻繁に砲撃していた。一緒にいた少年も重傷を負った。
11月3日朝、ベイトハヌンの入口付近でデモをしていた女性らがイスラエル軍に攻撃され、イブティサム・マスード(44歳)が死亡し、タリール・シャヒン(37歳、7人の母親)を含む10人が負傷した。タリール・シャヒンは足を切断しなければならなかった。ガザ市の病院でタリールがアムネスティに語ったところによると、女性たちは武器を持たずにイスラエル軍の戦車から100メートルも離れていないところに立っていた。その戦車が発砲した。「私たちのデモは平和的なものであり、女性だけで男性は1人もいませんでした。戦闘員もいなかったし武器もありませんでした。単に女たちが戦車の前に立っていただけです。イスラエル兵が撃ってくるとは思いませんでしたが、彼らは無差別に撃ってきたのです。」
ヘバ・ラヤブ(20歳、「民主主義と紛争解決のためのパレスチナセンター」で働くボランティア)とスー・アド・アブ・ナエム(43歳、8人の母親)は同じ事件で銃弾を受け足と手に重傷を負った。彼女たちは、イスラエル軍兵士が戦車の上からデモ中の女性たちを狙っていたのを見たという。女性たちのデモは、パレスチナ議会のハマス党員がイスラエル軍によるモスク包囲を打破しようと呼びかけたことに応えて行われた。パレスチナ武装グループがこのモスクに逃げ込みイスラエル軍に包囲されていると伝えられていた。しかし女性たちはモスクに到達する前に撃たれている。
アハマド・アル=マデュン(42歳)とムスタファ・ハビブ(26歳)は共にパレスチナ赤新月社(PRCS)で働くボランティアの救急隊員であるが、11月3日夕方、手伝っていた男性と共にイスラエル軍による空爆で殺された。これより前の空爆で殺された男性の遺体を収容しようとしていたところだった。一緒にいた救急車運転手イヤド・ユーセフ・アブ・アル=フルはアムネスティにこう語った。「アハマドとムスタファは救急車から20メートルぐらいのところで担架に遺体を乗せようとしていました。私が救急車から降りて2人の方に歩きかけたとき、2人がいた場所にミサイルが落ちたのです。私は救急車に戻り助けを呼びました。同僚が任務遂行中に殺された光景が頭から離れません。」医療救急隊はベイトラヒア近郊の空き地にいた。暗かったが救急車の屋根の上の救急灯ははっきりと見えたはずである。3人目の犠牲者は、これより前に殺された男性の友人であり、2人の救急隊員に遺体の場所を教えていた。最初に殺されていた男性が殺された状況は不明である。
近年パレスチナの救急車はイスラエル軍に頻繁に攻撃されており、すでに数十台が被害を受けている。ベイトハヌン包囲の間、イスラエル軍が事実上ずっと外出禁止令を敷いていたため、救急隊員の任務が妨害されたり遅れたりすることが増えていた。ベイトハヌンの病院への出入りはイスラエル軍の戦車が統制しており、救急車の病院への出入りや、さらには町への出入りが遅らされていた。
11月4日夕方、ザヒール・ムスタファ・シャバット(32歳)はイスラエル軍兵士に撃たれて重傷を負い、従兄弟のマゼン・シャバットは死亡した。共にイスラエル陸軍に3日間拘禁された後、解放されて家に帰る途中だった。集中治療室から出たばかりのザヒールは病室のベッドでアムネスティにこう語った。「私たちは3日間拘禁された後、解放され書類を渡されました。もし帰る途中に他の兵士に止められたら、これを見せろと言われました。家は拘禁されていたところから1.5〜2キロの距離です。この辺りの戦車に連絡して私たちが安全に帰れるようにしておいたということでした。でも家まであと150メートルぐらいのところで、親戚の家から兵士が飛び出してきて私と従兄弟のマゼン・シャバットを撃ったのです。マゼンは死に、私は腹と背中に重傷を負いました。」
(後略)
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虐殺を続ける極悪テロ国家イスラエル。
国連の非難決議もアムネスティの勧告もイスラエルは馬耳東風なんだがそれを狂信する和製シオニストは歪曲詭弁でなすり付けたいようだ。
いやはや腐ってるねぇ。
やっぱアホ弁で十分のようだ。
11月3日朝、ベイトハヌンの入口付近でデモをしていた女性らがイスラエル軍に攻撃され、イブティサム・マスード(44歳)が死亡し、タリール・シャヒン(37歳、7人の母親)を含む10人が負傷した。タリール・シャヒンは足を切断しなければならなかった。ガザ市の病院でタリールがアムネスティに語ったところによると、女性たちは武器を持たずにイスラエル軍の戦車から100メートルも離れていないところに立っていた。その戦車が発砲した。「私たちのデモは平和的なものであり、女性だけで男性は1人もいませんでした。戦闘員もいなかったし武器もありませんでした。単に女たちが戦車の前に立っていただけです。イスラエル兵が撃ってくるとは思いませんでしたが、彼らは無差別に撃ってきたのです。」
ヘバ・ラヤブ(20歳、「民主主義と紛争解決のためのパレスチナセンター」で働くボランティア)とスー・アド・アブ・ナエム(43歳、8人の母親)は同じ事件で銃弾を受け足と手に重傷を負った。彼女たちは、イスラエル軍兵士が戦車の上からデモ中の女性たちを狙っていたのを見たという。女性たちのデモは、パレスチナ議会のハマス党員がイスラエル軍によるモスク包囲を打破しようと呼びかけたことに応えて行われた。パレスチナ武装グループがこのモスクに逃げ込みイスラエル軍に包囲されていると伝えられていた。しかし女性たちはモスクに到達する前に撃たれている。
アハマド・アル=マデュン(42歳)とムスタファ・ハビブ(26歳)は共にパレスチナ赤新月社(PRCS)で働くボランティアの救急隊員であるが、11月3日夕方、手伝っていた男性と共にイスラエル軍による空爆で殺された。これより前の空爆で殺された男性の遺体を収容しようとしていたところだった。一緒にいた救急車運転手イヤド・ユーセフ・アブ・アル=フルはアムネスティにこう語った。「アハマドとムスタファは救急車から20メートルぐらいのところで担架に遺体を乗せようとしていました。私が救急車から降りて2人の方に歩きかけたとき、2人がいた場所にミサイルが落ちたのです。私は救急車に戻り助けを呼びました。同僚が任務遂行中に殺された光景が頭から離れません。」医療救急隊はベイトラヒア近郊の空き地にいた。暗かったが救急車の屋根の上の救急灯ははっきりと見えたはずである。3人目の犠牲者は、これより前に殺された男性の友人であり、2人の救急隊員に遺体の場所を教えていた。最初に殺されていた男性が殺された状況は不明である。
近年パレスチナの救急車はイスラエル軍に頻繁に攻撃されており、すでに数十台が被害を受けている。ベイトハヌン包囲の間、イスラエル軍が事実上ずっと外出禁止令を敷いていたため、救急隊員の任務が妨害されたり遅れたりすることが増えていた。ベイトハヌンの病院への出入りはイスラエル軍の戦車が統制しており、救急車の病院への出入りや、さらには町への出入りが遅らされていた。
11月4日夕方、ザヒール・ムスタファ・シャバット(32歳)はイスラエル軍兵士に撃たれて重傷を負い、従兄弟のマゼン・シャバットは死亡した。共にイスラエル陸軍に3日間拘禁された後、解放されて家に帰る途中だった。集中治療室から出たばかりのザヒールは病室のベッドでアムネスティにこう語った。「私たちは3日間拘禁された後、解放され書類を渡されました。もし帰る途中に他の兵士に止められたら、これを見せろと言われました。家は拘禁されていたところから1.5〜2キロの距離です。この辺りの戦車に連絡して私たちが安全に帰れるようにしておいたということでした。でも家まであと150メートルぐらいのところで、親戚の家から兵士が飛び出してきて私と従兄弟のマゼン・シャバットを撃ったのです。マゼンは死に、私は腹と背中に重傷を負いました。」
(後略)
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虐殺を続ける極悪テロ国家イスラエル。
国連の非難決議もアムネスティの勧告もイスラエルは馬耳東風なんだがそれを狂信する和製シオニストは歪曲詭弁でなすり付けたいようだ。
いやはや腐ってるねぇ。
やっぱアホ弁で十分のようだ。
これは メッセージ 1185 (jyonnconner さん)への返信です.
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