聖徳太子と時間
投稿者: ansin1951yassan 投稿日時: 2009/06/02 12:50 投稿番号: [630 / 10174]
「聖徳太子は殺されたのか?」というテーマの前にそもそも「聖徳太子は実在したのか?」について、吟味すること自体、私には何も考える手立てがない
自分は、しばし沈思黙考する。
それでも、必死の思いと形相で一旦は死にかけた程の眩暈と対峙し、そして退治しつつあるカクレイシさんに私なりの万感の思いを込めて、精一杯のエールを送りたいと思います。
聖徳太子の生まれられたとされるのは、今から1435年前、敏達天皇の治世3年である。西暦2009年の今、生まれた人間の平均年齢80歳前後だと思うが過去に遡れば、どんどん短く成って行くだろうから、ここで、その平均寿命を一代35年と想定する。つまり約40代に亘って連綿と私の祖先も何とか絶えることなく、今にこの命を繋いできてくれている。
この間、私が存在するためには、最低父と母が居る。その父と母にも、又最低父と母が居る・・・。このように数えて行くと、一代前は二人、二代前は4人、3代前は8人、4代前は16人・・・そして、40代前には、実に2兆2千4百63億2千34万2千34万5千百52人の人間が私一人の誕生の為に必要であった。
私は、時間を語ろうとしているのである。真実を明らかにすべく、私から出発した事実を積み重ねようと試みたのである。
所詮、歴史に記されている事実とは、歴史家の頭の中ででっちあげられた事実にすぎず、その利害・偏見によって色合いが全く違うのではないか。
聖徳太子に関する『真実』は、実は自分が何を『信じる』かということに帰着してしまうのではないかと思うのです。
「人間が観察し判断した時間と空間は、どこまでも人間の思考概念の上に構築された時空であり、人間界のみで通用する時空でしかないのです。」と
喝破した人が居ます。
法華経が時間の上にあるのだとすれば、「・・感じる事後に観じる・・」得がたい臨死体験をしつつあるカクレイシさんの今、
【この一瞬は、百億年の過去であり、未来である】
ことに繋がり、ひいては一念三千に連なる縁にもなる気がします。
好漢カクレイシさんの完快を祈るや切。
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