Re3: 正源寺
投稿者: arlecchino2012 投稿日時: 2010/01/25 21:58 投稿番号: [2807 / 10174]
ついつい正源寺のことを知っていると書いてしまったが、ネットでの情報に乏しく個人的な体験から語るしかない。
実は正源寺には昨年夏に訪れて90歳代の住職にいわれをいろいろすいかをいただきながら聞いてきたのです。
http://www.rikuden.co.jp/alacarte/attach/200402.pdf
正源寺は小さいながも中に入ると多少色はくすんでいるものの豪華なつくりなのが素人ながらすぐにわかります。聞くと日光東照宮を立てた加賀の大工が立てたとのこと。
http://www.kimura-product.co.jp/kannon8/hokuriku33/hokuriku11.htm
>地方に在って珍しく内陣天井に龍の繪が描かれ手を打てばこだまが帰り鳴き龍で在る 秘佛の本尊で在り厨子の中で在るが前佛は光るが如く立ち羅漢達と共に本尊を守る 山門も細工細やかに屋根を支える木組み複雑を見て本堂の向拝に至る 老住職寺院の説明と佛教の勧めを述べる
「寺の中で手を打つとこだまが帰り」ですが実際本尊の前で手をたたくとこだまがする。
住職の話だと明治中頃まではこの寺でこだまがするのは言い伝えられていただけで伝説のようなものだった。だが、建物をよく調べてみると床をわざとゆるめて音が響かない構造にしていた。そこで床をしっかり固定すると本当に響いてみんなびっくりしたそうである。この構造は日光東照宮にしかなく、当時加賀藩の力を少しでも弱めるためにいろんなものを作らせたことの一環だそうです。
この寺の豪華な構造も幕府に知られると壊されてしまう可能性があったので音がならないようにしたとのことでした。
さらに廃仏毀釈時のひどい仕打ちはいろいろ聞かされましたがどこまで本当かわからないので、あまり書きません。ただ正源寺あたりは立山信仰の山への道中であり立山は神と仏が同居した権現思想であり神社と寺が仲良くしていたのに廃仏になりひどい状態になった。明治以降は立山から流れる常願寺川も大暴れし富山平野をだめにし、さらに戦後の空襲で地方都市としては壊滅的な99.5%焼けるという被害をこうむった。富山市全部が焼きだされたので墓もなくなり正源寺の前の道路につながる西の番の共同墓地ができた。そうやって富山県から明治以降、人が出て行ったとのこと。
正源寺のすぐ横の西の番に墓地を見てきたのですが、日本の縦長の石でなく西洋風の横長の石でした。それがあまりにいっぱいあるのですごく違和感を感じました。
正源寺の本尊の聖観音ですが2006年3月に上野東京博物館で開かれた「最澄と天台の国宝」展の目玉であった延暦寺横川の聖観音菩薩立像に腰の微妙な曲げ方がそっくりなのです。写真を比べてみてください。
http://event.yomiuri.co.jp/2006/tendai/works_kaisetsu.htm
http://www.rikuden.co.jp/alacarte/attach/200402.pdf
仏像マニアの方には満足いただけたのではと思います。
なぜか2006年の同じころ私のロッジに立派な聖観音が2体来ました。事実だから仕方がないのですが、盗品でないか?とか盗品でなくても盗品と疑われないか?といった感じのする立派な聖観音です。別に歩いてきたわけではないのですが。
ちなみに私も曹洞宗ですが、別に信仰しているわけではありません。
ヤマトファンサイトの「デスラー総統は曹洞宗。」は私が書きました。
とりとめのない話になりました。住職と話していて豆腐の話は出ませんでした。実際、すいかしかでませんでしたし・・・・・・野口屋社長は住職の孫かひ孫?機会があれば今度行った時聞いてきますが年齢的にかなうかな?
実は正源寺には昨年夏に訪れて90歳代の住職にいわれをいろいろすいかをいただきながら聞いてきたのです。
http://www.rikuden.co.jp/alacarte/attach/200402.pdf
正源寺は小さいながも中に入ると多少色はくすんでいるものの豪華なつくりなのが素人ながらすぐにわかります。聞くと日光東照宮を立てた加賀の大工が立てたとのこと。
http://www.kimura-product.co.jp/kannon8/hokuriku33/hokuriku11.htm
>地方に在って珍しく内陣天井に龍の繪が描かれ手を打てばこだまが帰り鳴き龍で在る 秘佛の本尊で在り厨子の中で在るが前佛は光るが如く立ち羅漢達と共に本尊を守る 山門も細工細やかに屋根を支える木組み複雑を見て本堂の向拝に至る 老住職寺院の説明と佛教の勧めを述べる
「寺の中で手を打つとこだまが帰り」ですが実際本尊の前で手をたたくとこだまがする。
住職の話だと明治中頃まではこの寺でこだまがするのは言い伝えられていただけで伝説のようなものだった。だが、建物をよく調べてみると床をわざとゆるめて音が響かない構造にしていた。そこで床をしっかり固定すると本当に響いてみんなびっくりしたそうである。この構造は日光東照宮にしかなく、当時加賀藩の力を少しでも弱めるためにいろんなものを作らせたことの一環だそうです。
この寺の豪華な構造も幕府に知られると壊されてしまう可能性があったので音がならないようにしたとのことでした。
さらに廃仏毀釈時のひどい仕打ちはいろいろ聞かされましたがどこまで本当かわからないので、あまり書きません。ただ正源寺あたりは立山信仰の山への道中であり立山は神と仏が同居した権現思想であり神社と寺が仲良くしていたのに廃仏になりひどい状態になった。明治以降は立山から流れる常願寺川も大暴れし富山平野をだめにし、さらに戦後の空襲で地方都市としては壊滅的な99.5%焼けるという被害をこうむった。富山市全部が焼きだされたので墓もなくなり正源寺の前の道路につながる西の番の共同墓地ができた。そうやって富山県から明治以降、人が出て行ったとのこと。
正源寺のすぐ横の西の番に墓地を見てきたのですが、日本の縦長の石でなく西洋風の横長の石でした。それがあまりにいっぱいあるのですごく違和感を感じました。
正源寺の本尊の聖観音ですが2006年3月に上野東京博物館で開かれた「最澄と天台の国宝」展の目玉であった延暦寺横川の聖観音菩薩立像に腰の微妙な曲げ方がそっくりなのです。写真を比べてみてください。
http://event.yomiuri.co.jp/2006/tendai/works_kaisetsu.htm
http://www.rikuden.co.jp/alacarte/attach/200402.pdf
仏像マニアの方には満足いただけたのではと思います。
なぜか2006年の同じころ私のロッジに立派な聖観音が2体来ました。事実だから仕方がないのですが、盗品でないか?とか盗品でなくても盗品と疑われないか?といった感じのする立派な聖観音です。別に歩いてきたわけではないのですが。
ちなみに私も曹洞宗ですが、別に信仰しているわけではありません。
ヤマトファンサイトの「デスラー総統は曹洞宗。」は私が書きました。
とりとめのない話になりました。住職と話していて豆腐の話は出ませんでした。実際、すいかしかでませんでしたし・・・・・・野口屋社長は住職の孫かひ孫?機会があれば今度行った時聞いてきますが年齢的にかなうかな?
これは メッセージ 2781 (zowgain さん)への返信です.
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