Re3: 正法誹謗という言葉の恐ろしさ
投稿者: zowgain 投稿日時: 2009/09/01 17:23 投稿番号: [1809 / 10174]
>だいたいあの手の人物は冷たいのが多い。
秀才は冷たいのが多い、ってか専門バカの世間知らずの
井の中の蛙が、エバり腐っているというのはよくある光景。
あなたがおっしゃっているのはこのタイプのことでは?
真の天才はグローバルでマルチな才能を持つ場合もあります。
ダビンチなんかがその例ですね。五井野君の自己イメージも
そんなところ。
ただ、モーツァルトとかもそうですが、上記秀才型専門バカとは
ちょっと違いますが、破天荒で型破りであるが故に、ある種の狭い
宿命の上を歩いていく様な人もいます。
五井野氏本人としては神としての自負心で、
オールマイティーで自由自在の天才で
慈悲もある、すべての上の神。
を、自己イメージとして確立したかったようです。
その中心に仏教(法華経)を据えたわけです。
竹ノ内文書的には、仏教を世界の中心に据えるのは間違いですので
五井野正と竹ノ内文書は、両立しません。
究極的には正しいのはどちらか一つでしょう。
仏教的な人情深さも庶民的な優しさも見せたい
でも、根本的な動機としてはとにかく褒めてもらいたい
池田の野郎はオレの一念三千論を認めなかったばかりか
パクリやがった。創価学会の鼻を明かしてやりたい。
そして池田よりも上の勲章や名誉がほおすいい
これらの劣等感やら才能やらトラウマやら優越感やらを
よ〜くグツグツ煮込んで、科学や浮世絵やオカルトの
調味料で味を調えれば、〝五井野正〟の出来上がりです。
>ここ数年は様子見ですね。
様子を見るのはやぶさかではありませんが
1741 「科学から芸術へ」の不審点
で書きましたように、何でもかんでも
「自分の想念現象だ」「(霊的に)本当にやったのはおれだ」という
なんでもかんでもオレの手柄というのだけは勘弁して欲しい。
1979年のシンセサイザーの前での写真は、どう考えても
1977年の冨田勲の写真のパクリです。
こういった〝後出しジャンケン〟はもってのほかですね。
しかし、例の〝握手の絵〟を振り回して、五井野君の自慢話を全部、
トクイゼンとしてカクレイシがわめきだしそうですがね
五井野君を、褒めたら褒めたで、
「実は自分の方が五井野より上」と
電話でもこっそり打ち明けた彼自身、
嫉妬とウップンが溜まっていくでしょうけれどね
五井野君は、どれほどカクレイシが自分のイメージダウンになっても
多分カクレイシを除名できないだろう。
彼らはあまりにもカルマが似ているからね
これは メッセージ 1804 (sansamp9876 さん)への返信です.
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