〝スペシャル〟への渇望
投稿者: zowgain 投稿日時: 2009/08/18 06:40 投稿番号: [1482 / 10174]
五井野氏、ウイッピーの内部の空気の異様さというのは「大宇宙の創造神=宇宙でいちばんスペシャルな集まり」を前提としている。
「うちゅーいちスペシャル」だから、集まっている人達でさえ、実際は半信半疑なウチにどんどん話が進行してしまう。
内心一人一人には「あれ?へんだな〜〜」「あれ?ここ、おかしいんじゃない?」と疑問がよぎっても、質問すら許されない空気が満ちている。
だからへべれけに酔っぱらいでもして、疑問を押し殺しでもしなければ神経が続かない。
まず〝大宇宙の創造神ありき=ウルトラ・スーパー・スペシャル〟ありきで、どんな無茶苦茶でもごり押し出来るし、言い放題。
「惑星ニビルはオレが止めた」だろうが
「ロスチャ、ロックはおれが七段落としした」だろうが
「地球はオレが支えている」だろうが
話は荒唐無稽にデカければデカイ程、誰も何の質問もしない。
一般人とスケールが違えば違いすぎる程、
「その証拠はありますか?」といった常識的な質問が通用しないから。
もし本当の宇宙の父がこの原始的で野蛮な地球に降り立ったならば、果たしてそんな指導のしかたをするだろうか?
いきなり
「オレは上の上の、そのまた上の神だ〜〜」と正体をばらし
「おまえら下のゲの地獄の底の無産階級、地獄の6丁目だぁ〜〜」とさげすむだろうか?...たとえそれが事実だとしても...
そしてスペシャルな世界は、スペシャルな話題、スペシャルな専門用語を沢山まき散らしたものが〝勝ち〟だ。
これを「アブラカタブラを唱える者達」という。
カソリックだかプロテスタントだかの間では
「こういった輩に気をつけよ」と注意するそうだ。
グノーシス大いに結構!... しかし英知を求める者にはまず一つ重要な通過儀礼がある。 それは〝洗心〟だ。
赤子の様な先入観のないこころに戻ること、
それがグノーシスのアルファでありオメガではないか?
劣等感やら優劣感にゴチャゴチャになっている者が、やれ神だの仏だの、その信者だのといっても、結局お互いをがんじがらめにしたカルトで硬直した組織になる。
なぜ、わたしたちは大人になってから「おねしょ」をしないのだろう?
それは寝ている間、どれ程尿意があってもどこかで
「これは夢だ、マトリックスだ」
っと気がついているからだ。
酒を飲んで投稿して、朝、消さざるを得なくなることと〝おねしょ〟はどこがちがうのだろうか?
グノーシスの入り口が洗心であるということは、この世界での〝条件付け〟を全部リセットするという風にも言い換えられる。
たしかに
宇宙幾何学は素晴らしい!
宇宙数学も素晴らしい!
しかし、それらの真の価値は、
「この宇宙は大いなる英知によって〝設計された〟のだ」
っと気がつけばそれで十分だ。
その宇宙の大いなる英知を讃え、
その宇宙の美しさを再確認出来ればそれで十分だ。
その設計図の一部をのぞき見て、
「これで未来が予言出来る」とか
「これで超感覚が会得出来る」とか
「これで神に近い〝選民〟になれる」とかいった
くだらない野心、劣等感−優越感を満足させる為のものではない。
「コンパスと定規で神の英知を暴いてやる」
というのが〝知恵のヘビ〟の末裔、メーソンのマークだが、
ああいった手合いはシリウス以上その先には行けない。
もともと、そこがかれらのふる里だし...
日本人のふる里は、シリウスのさらに先にある
〝グレート・サン〟である。
その先はコンパスも定規も、その他〝スペシャリティー=特権意識〟も持って行けない。
つまりグノーシスの出口は
「私は知らないと言うことを知っている」
につきる。 ...つまり無限の謙虚さを信念とすること。
それが「おねしょをしない」人達だ。
「うちゅーいちスペシャル」だから、集まっている人達でさえ、実際は半信半疑なウチにどんどん話が進行してしまう。
内心一人一人には「あれ?へんだな〜〜」「あれ?ここ、おかしいんじゃない?」と疑問がよぎっても、質問すら許されない空気が満ちている。
だからへべれけに酔っぱらいでもして、疑問を押し殺しでもしなければ神経が続かない。
まず〝大宇宙の創造神ありき=ウルトラ・スーパー・スペシャル〟ありきで、どんな無茶苦茶でもごり押し出来るし、言い放題。
「惑星ニビルはオレが止めた」だろうが
「ロスチャ、ロックはおれが七段落としした」だろうが
「地球はオレが支えている」だろうが
話は荒唐無稽にデカければデカイ程、誰も何の質問もしない。
一般人とスケールが違えば違いすぎる程、
「その証拠はありますか?」といった常識的な質問が通用しないから。
もし本当の宇宙の父がこの原始的で野蛮な地球に降り立ったならば、果たしてそんな指導のしかたをするだろうか?
いきなり
「オレは上の上の、そのまた上の神だ〜〜」と正体をばらし
「おまえら下のゲの地獄の底の無産階級、地獄の6丁目だぁ〜〜」とさげすむだろうか?...たとえそれが事実だとしても...
そしてスペシャルな世界は、スペシャルな話題、スペシャルな専門用語を沢山まき散らしたものが〝勝ち〟だ。
これを「アブラカタブラを唱える者達」という。
カソリックだかプロテスタントだかの間では
「こういった輩に気をつけよ」と注意するそうだ。
グノーシス大いに結構!... しかし英知を求める者にはまず一つ重要な通過儀礼がある。 それは〝洗心〟だ。
赤子の様な先入観のないこころに戻ること、
それがグノーシスのアルファでありオメガではないか?
劣等感やら優劣感にゴチャゴチャになっている者が、やれ神だの仏だの、その信者だのといっても、結局お互いをがんじがらめにしたカルトで硬直した組織になる。
なぜ、わたしたちは大人になってから「おねしょ」をしないのだろう?
それは寝ている間、どれ程尿意があってもどこかで
「これは夢だ、マトリックスだ」
っと気がついているからだ。
酒を飲んで投稿して、朝、消さざるを得なくなることと〝おねしょ〟はどこがちがうのだろうか?
グノーシスの入り口が洗心であるということは、この世界での〝条件付け〟を全部リセットするという風にも言い換えられる。
たしかに
宇宙幾何学は素晴らしい!
宇宙数学も素晴らしい!
しかし、それらの真の価値は、
「この宇宙は大いなる英知によって〝設計された〟のだ」
っと気がつけばそれで十分だ。
その宇宙の大いなる英知を讃え、
その宇宙の美しさを再確認出来ればそれで十分だ。
その設計図の一部をのぞき見て、
「これで未来が予言出来る」とか
「これで超感覚が会得出来る」とか
「これで神に近い〝選民〟になれる」とかいった
くだらない野心、劣等感−優越感を満足させる為のものではない。
「コンパスと定規で神の英知を暴いてやる」
というのが〝知恵のヘビ〟の末裔、メーソンのマークだが、
ああいった手合いはシリウス以上その先には行けない。
もともと、そこがかれらのふる里だし...
日本人のふる里は、シリウスのさらに先にある
〝グレート・サン〟である。
その先はコンパスも定規も、その他〝スペシャリティー=特権意識〟も持って行けない。
つまりグノーシスの出口は
「私は知らないと言うことを知っている」
につきる。 ...つまり無限の謙虚さを信念とすること。
それが「おねしょをしない」人達だ。
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