ウイッピーの会員みなさんに②
投稿者: zowgain 投稿日時: 2009/08/08 02:42 投稿番号: [1362 / 10174]
−−−−−以降、カクレさんにもしていない新規追加の質問
07.
わたしが最初にウイッピーに参加した時、(たしかオータニだったっけ?)
先生はヒットラーの様に声を張り上げて
「これしかないんだからな!この道しか残されていないんだ!」
とがなり立てて、憮然と会場を去って行かれました。
その時、先生がおっしゃっていた“この道”とは浮世絵のコネ行でしたが
もちろんずっと憧れていた五井野先生の最初の直接のお話の仕方が、
その様なヒステリックだったこともショックでしたが、
「コネ行」の内容にもショックでした。
その研修会の解散時、わたしは自分の無理解さを嘆きながら、恐る恐る
池野陽子女史に「あのー、コネるって意味がよく判らなかったのですが?」
と質問したものです。
彼女の答えは「あなたそんな質問が出てくること自体がダメなんですよ!」
っと一括されてしまいました。
その後、「コネ行は失敗だった」宣言を五井野氏自身でなされたと
聞いていますがそれは本当ですか?...
唯一の道とご本人がおっしゃっていたのに?
08.
確か私の記憶が正しければ(コロンボじゃないけど(笑))
五井野氏の著作の中に
「釈迦のさらに前世の名前は“人を決して侮らない”
と言う意味だった」といった記述があったと思います。
いかにもお釈迦様にふさわしい、素晴らしいエピソードなのですが、
では五井野氏自身はその様な謙虚さをお持ちですか?
あの方のお話を何年間も聞いてきましたが
「あ、まあいいや」「あいつはさ〜〜」っといった、どう考えても
人を見下したご発言が多かった様に思います。
いや、それ以外のお話の仕方をあまり耳にしませんでした。
まあ、「フランクに身内意識で話しているから」とも取れるのですが
やはり「自慢話風」であることは否定出来ないと思います。
たしかに“大宇宙の創造神”という前提ならば、
「みんな私より下」と言う態度は不思議ではないのですが、
つまりそれは「釈迦よりさらに突き抜けた最高神だから」
謙虚さは無用と言うことなのでしょうか?
ただし、反面、「死んだ愛犬のコータ君から命について学んだ」
とか、「常連会員の奥さんに叱られてきた」というエピソードは
五井野氏の極めてラブリーな一面だったなと記憶にとどまっています。
「私程のモノが空き缶拾いなんかやってカッコワルイ...」
とか、どうも五位野さんは自分が「カッコワルイ」と
思っていることと、「カッコイイ」とおもっている事が
逆転している様に思えます。(どおです?鋭いでしょ?(笑))
私自身が五井野氏に心酔して出席しているときも
「この人は聞いている側の立場がちゃんと計算出来ているだろうか?」
っといぶかしく思うことが多々ありました。
五井野氏の言葉の多くには、確かに天才のきらめきがありますが、
でも、一番肝心の“客観性”が欠落しているんじゃないですか?
だからあの人は
騙されるんじゃないんですか?裏切られるんじゃないんですか?
09.
最後は質問ではありませんが...
私は五井野氏にとても純心で純情な人間的な一面を感じています。
それが“大宇宙の創造神”という異常なステータスを自らに架して
潰れてしまっている様に思えます。
“神”とも自ら思いこむ程の才能の為に、良いところがすべて
台無しになり、ウラメにでてしまっている様に思えます。
<<<才能というモノが格の高さ故でなく>>>
<<<カルマ的ハンデとして課される可能性>>>
をご本人も、周囲の信者さん達も、一度ご検討下さい。
07.
わたしが最初にウイッピーに参加した時、(たしかオータニだったっけ?)
先生はヒットラーの様に声を張り上げて
「これしかないんだからな!この道しか残されていないんだ!」
とがなり立てて、憮然と会場を去って行かれました。
その時、先生がおっしゃっていた“この道”とは浮世絵のコネ行でしたが
もちろんずっと憧れていた五井野先生の最初の直接のお話の仕方が、
その様なヒステリックだったこともショックでしたが、
「コネ行」の内容にもショックでした。
その研修会の解散時、わたしは自分の無理解さを嘆きながら、恐る恐る
池野陽子女史に「あのー、コネるって意味がよく判らなかったのですが?」
と質問したものです。
彼女の答えは「あなたそんな質問が出てくること自体がダメなんですよ!」
っと一括されてしまいました。
その後、「コネ行は失敗だった」宣言を五井野氏自身でなされたと
聞いていますがそれは本当ですか?...
唯一の道とご本人がおっしゃっていたのに?
08.
確か私の記憶が正しければ(コロンボじゃないけど(笑))
五井野氏の著作の中に
「釈迦のさらに前世の名前は“人を決して侮らない”
と言う意味だった」といった記述があったと思います。
いかにもお釈迦様にふさわしい、素晴らしいエピソードなのですが、
では五井野氏自身はその様な謙虚さをお持ちですか?
あの方のお話を何年間も聞いてきましたが
「あ、まあいいや」「あいつはさ〜〜」っといった、どう考えても
人を見下したご発言が多かった様に思います。
いや、それ以外のお話の仕方をあまり耳にしませんでした。
まあ、「フランクに身内意識で話しているから」とも取れるのですが
やはり「自慢話風」であることは否定出来ないと思います。
たしかに“大宇宙の創造神”という前提ならば、
「みんな私より下」と言う態度は不思議ではないのですが、
つまりそれは「釈迦よりさらに突き抜けた最高神だから」
謙虚さは無用と言うことなのでしょうか?
ただし、反面、「死んだ愛犬のコータ君から命について学んだ」
とか、「常連会員の奥さんに叱られてきた」というエピソードは
五井野氏の極めてラブリーな一面だったなと記憶にとどまっています。
「私程のモノが空き缶拾いなんかやってカッコワルイ...」
とか、どうも五位野さんは自分が「カッコワルイ」と
思っていることと、「カッコイイ」とおもっている事が
逆転している様に思えます。(どおです?鋭いでしょ?(笑))
私自身が五井野氏に心酔して出席しているときも
「この人は聞いている側の立場がちゃんと計算出来ているだろうか?」
っといぶかしく思うことが多々ありました。
五井野氏の言葉の多くには、確かに天才のきらめきがありますが、
でも、一番肝心の“客観性”が欠落しているんじゃないですか?
だからあの人は
騙されるんじゃないんですか?裏切られるんじゃないんですか?
09.
最後は質問ではありませんが...
私は五井野氏にとても純心で純情な人間的な一面を感じています。
それが“大宇宙の創造神”という異常なステータスを自らに架して
潰れてしまっている様に思えます。
“神”とも自ら思いこむ程の才能の為に、良いところがすべて
台無しになり、ウラメにでてしまっている様に思えます。
<<<才能というモノが格の高さ故でなく>>>
<<<カルマ的ハンデとして課される可能性>>>
をご本人も、周囲の信者さん達も、一度ご検討下さい。
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