和田明彦様のブログより
投稿者: kiyama0586 投稿日時: 2009/07/07 10:56 投稿番号: [1050 / 10174]
http://blog.livedoor.jp/asikenko/archives/51669430.html
◆【引用開始です】
「1分間整理術(著者:松本幸夫氏)」より・・・・
著者は、「朝食抜き」をすすめているのです。
これは、私が実行していることです。
著者が「朝食抜き」をすすめるのは、食べすぎは脳だけでなく、
内臓も疲労させ、仕事に集中できない、という理由からです。
* * * * * * * *
http://blog.livedoor.jp/asikenko/archives/51654235.html
アルコール依存症は、「近代資本主義」の産物といわれています。
工業近代化の最先進国であるイギリスの産業革命の頃から、
アルコール依存症は社会問題視されるようになりました。
資本主義というのは、大資本の力で多くの人(労働力)と設備を集め、
そこで大量生産を行うものです。そこで生き残るには、自分の価値観や
生き方を押し殺して、社会の価値観に自分を適応させねばなりません。
つまり、社会の期待に応えるために頑張った人ほど、天から与えられた
本来の自己と、両親や社会から与えられた「こうあらねばならない」
という自己との「差」が大きいわけです。その「差」があるがゆえに
人は苦しみます。
そして、お酒を飲んで酔ったときには一時的にその「差」が消えて、
何とも言えず愉快になるのです。また、「差」が大きい人(自分を押し
殺している人)と「差」が小さい人(自由奔放に生きている人)が共に
お酒を飲んだ場合、前者が得る快感のほうが後者よりも遥かに大きく、
それだけアルコールの存在価値は高くなります。したがって、前者の
ほうが「アルコール依存症」になり易いということになります。
以上のようなことを知って、私自身の人生をそれに照らしながら振り
返ってみましたところ、当てはまることだらけです。
私は、近代資本主義のリーダーであれという父母の期待を一身に受けて、
クラブ活動もせずに受験勉強をして志望する大学に合格しました。
そこで安心して気が抜けたところへ、お酒と柔道という実に面白い世界が
現れ、一気にそちらのほうへのめり込みました。
そして、4年間の勝手放題な生活の後、大手の製造業へ入社。そこでは
また資本主義の手先です。
途中で脱落して、今やっているような、資本主義とは全くかけ離れた
仕事に携わっていることを思いましても、会社に在籍中の私がどれほど
自分を押し殺していたか、そのためにいかにお酒の量が増えたか、今の
自分には手に取るようにわかります。
このたび勉強をしていて、ある先生が書かれている言葉で、私は大いに
救われました。
それは、「アルコール依存症は意志の弱い人がなるのではない。意志の
強い人がなるのだ」という言葉です。
それはどういう意味かと言いますと、上記のような社会や親の期待に
必死になって応えてきた人がなるというのです。
今の私には、もう、社会や親の期待に応える必要はありません。しかも、
資本主義は末期症状であり、そういう意味では、途中で脱落した私の方が
資本主義よりも正しかったということになります。
今まで、自分の意志の弱さに幾度泣いたかわかりません。また、
このたび、精神病院への入院をきっかけに色々勉強をし、自分が
「アルコール依存症患者」であることをはっきり認めざるを得なかった
時のショックも並大抵ではありません。
でも、すべては過去のことです。社会や親の期待に応えようと頑張る
ことのできた精神力を、今度はもっと建設的なことに振り向ける所存です。
◆【引用終了です】
* * * * * * * *
◆【引用開始です】
「1分間整理術(著者:松本幸夫氏)」より・・・・
著者は、「朝食抜き」をすすめているのです。
これは、私が実行していることです。
著者が「朝食抜き」をすすめるのは、食べすぎは脳だけでなく、
内臓も疲労させ、仕事に集中できない、という理由からです。
* * * * * * * *
http://blog.livedoor.jp/asikenko/archives/51654235.html
アルコール依存症は、「近代資本主義」の産物といわれています。
工業近代化の最先進国であるイギリスの産業革命の頃から、
アルコール依存症は社会問題視されるようになりました。
資本主義というのは、大資本の力で多くの人(労働力)と設備を集め、
そこで大量生産を行うものです。そこで生き残るには、自分の価値観や
生き方を押し殺して、社会の価値観に自分を適応させねばなりません。
つまり、社会の期待に応えるために頑張った人ほど、天から与えられた
本来の自己と、両親や社会から与えられた「こうあらねばならない」
という自己との「差」が大きいわけです。その「差」があるがゆえに
人は苦しみます。
そして、お酒を飲んで酔ったときには一時的にその「差」が消えて、
何とも言えず愉快になるのです。また、「差」が大きい人(自分を押し
殺している人)と「差」が小さい人(自由奔放に生きている人)が共に
お酒を飲んだ場合、前者が得る快感のほうが後者よりも遥かに大きく、
それだけアルコールの存在価値は高くなります。したがって、前者の
ほうが「アルコール依存症」になり易いということになります。
以上のようなことを知って、私自身の人生をそれに照らしながら振り
返ってみましたところ、当てはまることだらけです。
私は、近代資本主義のリーダーであれという父母の期待を一身に受けて、
クラブ活動もせずに受験勉強をして志望する大学に合格しました。
そこで安心して気が抜けたところへ、お酒と柔道という実に面白い世界が
現れ、一気にそちらのほうへのめり込みました。
そして、4年間の勝手放題な生活の後、大手の製造業へ入社。そこでは
また資本主義の手先です。
途中で脱落して、今やっているような、資本主義とは全くかけ離れた
仕事に携わっていることを思いましても、会社に在籍中の私がどれほど
自分を押し殺していたか、そのためにいかにお酒の量が増えたか、今の
自分には手に取るようにわかります。
このたび勉強をしていて、ある先生が書かれている言葉で、私は大いに
救われました。
それは、「アルコール依存症は意志の弱い人がなるのではない。意志の
強い人がなるのだ」という言葉です。
それはどういう意味かと言いますと、上記のような社会や親の期待に
必死になって応えてきた人がなるというのです。
今の私には、もう、社会や親の期待に応える必要はありません。しかも、
資本主義は末期症状であり、そういう意味では、途中で脱落した私の方が
資本主義よりも正しかったということになります。
今まで、自分の意志の弱さに幾度泣いたかわかりません。また、
このたび、精神病院への入院をきっかけに色々勉強をし、自分が
「アルコール依存症患者」であることをはっきり認めざるを得なかった
時のショックも並大抵ではありません。
でも、すべては過去のことです。社会や親の期待に応えようと頑張る
ことのできた精神力を、今度はもっと建設的なことに振り向ける所存です。
◆【引用終了です】
* * * * * * * *
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834674/a5wa5ia5baa5dea4nc0a45aaa1a1eyeinthesky_1/1050.html