1997年1月14日のロシア国会
投稿者: saatexinnkixyuu 投稿日時: 2010/11/23 21:08 投稿番号: [762 / 7803]
>ロシア下院外務委員
を調べたらそんな組織ない!!!
★正確には、ロシア連邦の国会・下院・外務委員長のV・P・ルキン氏といいます。
★五井野正博士の北方領土問題解決提案に賛同した公式文書は、1997年3月4日に書かれてますね。
★五井野博士は1995年に日本人で初めてロシアのエルミタージュ美術館で浮世絵と自身の絵の個展を開き、1996年にエリツィン大統領の心臓病を治療と、側近と重度心臓病の患者の治療をし、信頼を得て、同年、北方領土問題の解決案の提案書をロシア側に渡し、1997年1月14日ロシア国会(地政学委員会)で北方領土問題の提案を演説している。
★そして、エリツィン大統領は、ロシア・日本・米国から300も来ていた提案の中で五井野博士の提案が最高と評価して、1997年11月と1998年4月の橋本龍太郎総理との会談となる。
★この時、日本側が、五井野博士の提案を受け入れれば、今頃は、色丹・歯舞は返還され、国後・択捉は、『
芸術の島〜〜1000年王国の地上のさきがけ
』が建設されていただろう。
★それが、池田大作、佐藤優、鈴木宗男、大鳳会、第一ユダヤ勢力の政治家や外務官僚、等、に邪魔され、今、北方四島は、1945年8月のソ連占領の時に戻ってしまった。
★プラズマが疑問視するなら、1997年1月14日のロシア国会(地政学委員会)の五井野博士の演説を調べればよい。
★1997年3月4日付けのロシア公式文書、ロシア連邦の国会・下院・外務委員長のルキン氏の公式文書は存在するだろう。その写真は、ウィッピータイムス9号に掲載されている。
★今、日本が日中分断、日露分断となったのは、日本人が、1996年の五井野博士の北方領土への提案を潰したからだ。その結果が出ている。
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