Re: 人類滅亡。
投稿者: noga13391jp 投稿日時: 2009/03/26 05:11 投稿番号: [807 / 2740]
baasanntare012280okaさん、今日は。
> この国「日本」は、なぜこんなひどい国、「道徳心」など持てない国になってしまったのでしょうか?
敗戦により、伝統的な日本人の生活態度が失われたためでしょうね。
> マナーも心もない人達が街中にのさばり、人の心が荒れて人々を震撼させるような犯罪が毎日のように起こり、教育制度が破壊されて教育現場が荒れ果て、社会保障制度が崩壊寸前で人はいつも将来を不安に思い、所得の二極化で明日も希望もない低所得層が激増し、この国は夢や希望を持てない国になってしまいました。
夢や希望を持てない現象は、日本語の性質にありますね。日本語には、未来の内容を語る形式がない。
> それは、悪政・失政をとめどなく繰り返しながら、何ひとつ、まったく責任を取らない役人と政治家達がこの国を壊し続けているからです。
> そこにはもちろん、国民にさえも、「徳」とか「道徳」という言葉はありません、情け内の一言です。
役人には、政治責任がない。
我が国は、主権在民の国です。有権者の代理人は、政治家です。
昔の軍部、今の官僚を適正に指導できないのは、政治家の責任です。
再三、無能の政治家を選出する有権者にも根本的な責任があります。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ。歴史はくりかえす。
未来構文の主語が第一人称である場合に、本人の意思を表します。
意思 (will) は、未来構文 (未来時制) の内容です。だがしかし、日本語には時制 (tense) がないので、未来構文はありません。人称がないので、第一人称の主語もありません。
意思の内容に関する文章を作らない日本人は、優柔不断・意思薄弱にみられます。
意思の内容に関する文章が肯定文の場合は「イエス」、否定文の場合は「ノー」と答えればよいのであるが、意思の内容そのものが存在しないのでは答えが出せない。
日本人は、以心伝心を旨とするアニマルに近い伝達方法に利用しているので、思いやりの深い国民であると得意になっています。
意思の無いところに自由意思 (voluntary) は考えられなく、真の自由 (liberty) も想像できません。意思の内容が見当たらないのであれば、ボランティア (自由意思に基づく人の) 活動の重要性なども理解できません。
無哲学・能天気の人は何も考えません。このような日本人に対して行動を起こさせるときは掛け声をかけ気合を入れます。自己の意思決定もなく、行動は単なる拍子ものとして開始されます。気合・掛け声と共に行動に踏み切ることのできない個人は、文弱ということになり、仲間内の間で面目を失うことになるでしょう。
英米の真似事としてのボランティア活動の奨励は、意思そのもののない人たちには半強制的な勤労奉仕と変わるところがありません。だから、個人主義も成り立ちません。その意味で我が国は「偽りの自由主義国家」です。
日本人には、意思はないのですが、恣意 (self-will) があります。恣意は、私意・我儘・身勝手などと呼ばれ、理性のないアニマルや子供に見られるものです。アニマルの場合は調教により是正され、日本人の場合には滅私奉公により鍛えられてきました。滅私を禁止すると、自由意思の代わりに (自由) 恣意が顔を出してくる。これを自由の履き違えといいます。こうした事情が自由を享受する資格のない日本人の問題点です。
責任 (responsibility) とは、日本語では自分の引き受けてなすべき任務と考えられています。リスポンシビリティは、応答可能 (responsible) なことであり、意思 (will) のある人間にその解決方法を求めています。我が国のような意思のない世界における責任は、アニマルのように与えられた役割をただただ為し終えることとなります。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
> この国「日本」は、なぜこんなひどい国、「道徳心」など持てない国になってしまったのでしょうか?
敗戦により、伝統的な日本人の生活態度が失われたためでしょうね。
> マナーも心もない人達が街中にのさばり、人の心が荒れて人々を震撼させるような犯罪が毎日のように起こり、教育制度が破壊されて教育現場が荒れ果て、社会保障制度が崩壊寸前で人はいつも将来を不安に思い、所得の二極化で明日も希望もない低所得層が激増し、この国は夢や希望を持てない国になってしまいました。
夢や希望を持てない現象は、日本語の性質にありますね。日本語には、未来の内容を語る形式がない。
> それは、悪政・失政をとめどなく繰り返しながら、何ひとつ、まったく責任を取らない役人と政治家達がこの国を壊し続けているからです。
> そこにはもちろん、国民にさえも、「徳」とか「道徳」という言葉はありません、情け内の一言です。
役人には、政治責任がない。
我が国は、主権在民の国です。有権者の代理人は、政治家です。
昔の軍部、今の官僚を適正に指導できないのは、政治家の責任です。
再三、無能の政治家を選出する有権者にも根本的な責任があります。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ。歴史はくりかえす。
未来構文の主語が第一人称である場合に、本人の意思を表します。
意思 (will) は、未来構文 (未来時制) の内容です。だがしかし、日本語には時制 (tense) がないので、未来構文はありません。人称がないので、第一人称の主語もありません。
意思の内容に関する文章を作らない日本人は、優柔不断・意思薄弱にみられます。
意思の内容に関する文章が肯定文の場合は「イエス」、否定文の場合は「ノー」と答えればよいのであるが、意思の内容そのものが存在しないのでは答えが出せない。
日本人は、以心伝心を旨とするアニマルに近い伝達方法に利用しているので、思いやりの深い国民であると得意になっています。
意思の無いところに自由意思 (voluntary) は考えられなく、真の自由 (liberty) も想像できません。意思の内容が見当たらないのであれば、ボランティア (自由意思に基づく人の) 活動の重要性なども理解できません。
無哲学・能天気の人は何も考えません。このような日本人に対して行動を起こさせるときは掛け声をかけ気合を入れます。自己の意思決定もなく、行動は単なる拍子ものとして開始されます。気合・掛け声と共に行動に踏み切ることのできない個人は、文弱ということになり、仲間内の間で面目を失うことになるでしょう。
英米の真似事としてのボランティア活動の奨励は、意思そのもののない人たちには半強制的な勤労奉仕と変わるところがありません。だから、個人主義も成り立ちません。その意味で我が国は「偽りの自由主義国家」です。
日本人には、意思はないのですが、恣意 (self-will) があります。恣意は、私意・我儘・身勝手などと呼ばれ、理性のないアニマルや子供に見られるものです。アニマルの場合は調教により是正され、日本人の場合には滅私奉公により鍛えられてきました。滅私を禁止すると、自由意思の代わりに (自由) 恣意が顔を出してくる。これを自由の履き違えといいます。こうした事情が自由を享受する資格のない日本人の問題点です。
責任 (responsibility) とは、日本語では自分の引き受けてなすべき任務と考えられています。リスポンシビリティは、応答可能 (responsible) なことであり、意思 (will) のある人間にその解決方法を求めています。我が国のような意思のない世界における責任は、アニマルのように与えられた役割をただただ為し終えることとなります。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
これは メッセージ 744 (baasanntare012280oka さん)への返信です.
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