考えることと悩むこと(考察)
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2005/09/01 09:05 投稿番号: [961 / 1931]
自分が何か、どうなりたいか?
何を体験したいか、、、
などを考えない人もいるんだろうと思う。
以前の自分がそうであった。
しかし、考えなしであれば、周りに流される、それでうまくいっていればいいけど、うまくゆかなくても、誰もその責任は取ってくれない。。。
そして、いままで考えなく、、、何かに頼っていたとしたら、その頼っていた支えが取り去られたらとんでもなく弱くなり、どん底の精神的状態になる。。。
その覚悟がないなら、うかつに他人や友達や団体や国家や宗教や、、、に全面的に精神的に頼らないほうがいい
たとえば、、、恋愛も、、、舞い上がるけど、、、落ちたら、、、死にたくなったりするだろう。。。
だいたい、他人の責任など取りきれるものではない。
誰かの責任を背負うということ自体が、その人の成長を抑制してしまっていることになる
よって、誰かの責任を確実に取るというのは、人生の体験者としての選択の自由をすべて放棄しろといわなければ、不可能に近い。
そういう選択もあるけど、、、
それは自分自身として選択して生きていく意味を自分で否定すること、、、、であると理解し、それを覚悟する必要がある。。。。
(おいらは、こんなのごめんだね、もうこりごりだ^^)
宗教や社会国家は、これを人間に強制したり、現実的な圧力や精神的な圧力で、それを選ぶように仕向ける傾向が強い。
そのような圧力で自殺するものにおいては、そのように追い詰めた責任意識にその責任がある。
これは殺人と違うところは、ほとんどない、、、つまり、殺人である。
(私は、これを魂のいじめであると定義している、認めない)
そのような殺人をなしている責任意識が国家社会やたちの悪い支配的宗教意識であることがけっこうかなりある。。。
(そんな意識を敬えなんて、絶対いうなよ、与えるものが与えられる。。。)
しかし、まあ、ほんと、、、いろいろな意識が存在している惑星地球。。。。
人間は、自分が何であるか、理解しないまま、そのいろいろな意識の力関係で自分自身が「それ」だと思う。
自分とは何だろう?
つぶやいてみる。。。
。。。。。。。
まあ、しかし、、、、相互扶助や協力は、あるほうがいいと思う。
しかし、目標は、それがまったく必要なくなる地点。。。であろう
で、、、さらにそこから、一緒に助け合うというよりは、いっしょになんの束縛もなく遊ぶ世界が広がること
そんな夢を描いている。。。
まあ、しかし、足元の一歩から、、、
悩みを見つめ、その対応策を考え、それを実現可能な部分から実行してゆくと、、、楽しくなってくる。。。
どんな領域(肉体、感情、思考、関係性。。。。)でもいいけど、自分がよりよくなるってのは、いつも楽しいもの
楽しくないときには、
1、自分の努力の方向が「因果の法則」において自分を痛めつけている場合
2、他の意識が妨害したり、攻撃したりしている場合
などがある。。。
どちらなのか、、、よく内面の理を観察して、見極めないといけない。
広がる楽しめるフィールドに、うじゃうじゃと支配意識がいると楽しめない。。。
これが私の悩みとなる^^
平和多様性すべて認める地球遊園地なら、こんな問題ないんだけどな〜〜〜
それで、支配意識も人間も合意をもって共存できる。。。
誰からも選ばれなくても、自分自身で幸せになる方法を皆で開発すべし。。。
与えるものが与えられる
あはは
何を体験したいか、、、
などを考えない人もいるんだろうと思う。
以前の自分がそうであった。
しかし、考えなしであれば、周りに流される、それでうまくいっていればいいけど、うまくゆかなくても、誰もその責任は取ってくれない。。。
そして、いままで考えなく、、、何かに頼っていたとしたら、その頼っていた支えが取り去られたらとんでもなく弱くなり、どん底の精神的状態になる。。。
その覚悟がないなら、うかつに他人や友達や団体や国家や宗教や、、、に全面的に精神的に頼らないほうがいい
たとえば、、、恋愛も、、、舞い上がるけど、、、落ちたら、、、死にたくなったりするだろう。。。
だいたい、他人の責任など取りきれるものではない。
誰かの責任を背負うということ自体が、その人の成長を抑制してしまっていることになる
よって、誰かの責任を確実に取るというのは、人生の体験者としての選択の自由をすべて放棄しろといわなければ、不可能に近い。
そういう選択もあるけど、、、
それは自分自身として選択して生きていく意味を自分で否定すること、、、、であると理解し、それを覚悟する必要がある。。。。
(おいらは、こんなのごめんだね、もうこりごりだ^^)
宗教や社会国家は、これを人間に強制したり、現実的な圧力や精神的な圧力で、それを選ぶように仕向ける傾向が強い。
そのような圧力で自殺するものにおいては、そのように追い詰めた責任意識にその責任がある。
これは殺人と違うところは、ほとんどない、、、つまり、殺人である。
(私は、これを魂のいじめであると定義している、認めない)
そのような殺人をなしている責任意識が国家社会やたちの悪い支配的宗教意識であることがけっこうかなりある。。。
(そんな意識を敬えなんて、絶対いうなよ、与えるものが与えられる。。。)
しかし、まあ、ほんと、、、いろいろな意識が存在している惑星地球。。。。
人間は、自分が何であるか、理解しないまま、そのいろいろな意識の力関係で自分自身が「それ」だと思う。
自分とは何だろう?
つぶやいてみる。。。
。。。。。。。
まあ、しかし、、、、相互扶助や協力は、あるほうがいいと思う。
しかし、目標は、それがまったく必要なくなる地点。。。であろう
で、、、さらにそこから、一緒に助け合うというよりは、いっしょになんの束縛もなく遊ぶ世界が広がること
そんな夢を描いている。。。
まあ、しかし、足元の一歩から、、、
悩みを見つめ、その対応策を考え、それを実現可能な部分から実行してゆくと、、、楽しくなってくる。。。
どんな領域(肉体、感情、思考、関係性。。。。)でもいいけど、自分がよりよくなるってのは、いつも楽しいもの
楽しくないときには、
1、自分の努力の方向が「因果の法則」において自分を痛めつけている場合
2、他の意識が妨害したり、攻撃したりしている場合
などがある。。。
どちらなのか、、、よく内面の理を観察して、見極めないといけない。
広がる楽しめるフィールドに、うじゃうじゃと支配意識がいると楽しめない。。。
これが私の悩みとなる^^
平和多様性すべて認める地球遊園地なら、こんな問題ないんだけどな〜〜〜
それで、支配意識も人間も合意をもって共存できる。。。
誰からも選ばれなくても、自分自身で幸せになる方法を皆で開発すべし。。。
与えるものが与えられる
あはは
これは メッセージ 960 (made_in_blue7896 さん)への返信です.
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