Re: こんにちは2
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2009/08/10 11:58 投稿番号: [1794 / 1931]
どうもありがとう。
家族を巻き込む尋常ならぬ不自然な大事件があり、ずっと自分自身のことがほとんど
できない状態が続いていました。
お返事、遅くなり、すいません。
そうですね、確かに違いを特技として生かし、協力しあえると一番いいことだと思います。
それは、賛成です。
ただ、人間そのものが弱さを多分に持ち、いや、持つように創造されていて、かつ、人間が本当に
自由になることを望まない支配者たちが多いこの世界では、協力することすら簡単ではありません。
社会的人間関係においても、内心内面の欲望や願いや願望などにおいても、自由を求める人間の
内部にも、外部にも、あらゆる種類の支配者たちの支配の糸、その影響力が作用しています。
自由を心から求める人間ですら、そうであるのですから、一般の人では、さらに困難ということになります。
無意識を操作され、思ってもいないことをしてしまったり、自分の目標とは正反対のことをしてしまったり、
結果的に互いに相互束縛の罠に落ちる、落とされることもあります。
支配意識たちの一部として動く人間とそうではない自由を求める人間をすっきり切り分けることは困難であり、
また、一時的に自由な人間になっても、いつ支配意識にその心をのっとられるかもわからない。。。
そんな中で、自由を求める人間同士が、協力するというメリットがあるとすれば、ほぼ完全に、支配の
あらゆる糸から自由になり、自分で自分のことはできるようになっていて、さらに自由の高みを目指す
人間同士の協力関係であるかと思っていました。
そして、私そのものが、そのほぼ完全で不退転であると確信できる満足できる自由な状態になるまでは、様々な
関係性に不用意に飛び込むのは、避けたほうがいいだろうと、総合的に判断していたのです。
自分の真実を見抜く目がちゃんとよく見えない以上は、助け合いも協力も、自分だけではなく相手にも、
その自由や自治を求める心が本気であればあるほど、すべてを賭ける覚悟がない限りは、
また、すべてを賭けるということの意味を完全に理解できていない以上は、非常に危険であると判断したわけです。
というわけで、単独でより平和的に自給自足自治する訓練を続けてきたわけです。
そして、生活面や経済性や食生活などの面では、それなりのレベルには、到達できたと思います。
ですが、それでも、まだ十分ではないと感じました。
さらに、心や欲望や気分や生命エネルギーや夢や眠りや注意力や記憶などが、すき放題に支配操作されています。
しかし、それらの支配を完璧に超越し、自由になることは、とほうもなく困難であろうと感じてもいます。
すべてを賭けて強い意志を持ってやれば、不可能とはいえないかもしれないが、
、それをどんな人間もすべてができるかというとまず不可能と推定できます。
また、人間の寿命は短く、あまりにも多くのことはなし得ないし、次第に老いによる制限もきつくなります。
人の心は変化し、また、それは、そうであることが否定されるべきものでもない。。。
いかなる旗印の下に集い協力しあうのかがまずは重要であり、次に、それが相互束縛の罠に落ちないように
目標設定を配慮する必要があると感じました。
そして、旗印=共通目標 を、「個人でもほとんどの人がその気になればできる楽しい平和的自給自足自治の実現」
としたのです。
利権の絡まない、搾取も支配もない、自由で合意が尊重される関係性を楽しみあう世界が、その目標実現を
基礎にして、作り出せる可能性があると思ったのです。
独りでもよし、また、みんなとの関係性もさらによし、しかし、関係性でもし問題があれば、いつでも独りに戻れる世界設定、
そして、それが双方理解し認め尊重し合える価値感の共有。
この設定ルールの世界を実現すれば、多くの望まない不幸が、なくなるだろうと。。。
いじめられるものは、いなくなるだろうと。
いじめる自由より、いじめられない自由を、守りたいと。
支配する自由より、支配されない自由を守りたいと。
ただし、自己責任として自業自得や因果律をよく理解できるようにすることで、また、それが自覚できるように
することで、自分の能動的行為の責任を自覚できるようにしようと。
そうして理解して成長できるようにしようと。
続く
家族を巻き込む尋常ならぬ不自然な大事件があり、ずっと自分自身のことがほとんど
できない状態が続いていました。
お返事、遅くなり、すいません。
そうですね、確かに違いを特技として生かし、協力しあえると一番いいことだと思います。
それは、賛成です。
ただ、人間そのものが弱さを多分に持ち、いや、持つように創造されていて、かつ、人間が本当に
自由になることを望まない支配者たちが多いこの世界では、協力することすら簡単ではありません。
社会的人間関係においても、内心内面の欲望や願いや願望などにおいても、自由を求める人間の
内部にも、外部にも、あらゆる種類の支配者たちの支配の糸、その影響力が作用しています。
自由を心から求める人間ですら、そうであるのですから、一般の人では、さらに困難ということになります。
無意識を操作され、思ってもいないことをしてしまったり、自分の目標とは正反対のことをしてしまったり、
結果的に互いに相互束縛の罠に落ちる、落とされることもあります。
支配意識たちの一部として動く人間とそうではない自由を求める人間をすっきり切り分けることは困難であり、
また、一時的に自由な人間になっても、いつ支配意識にその心をのっとられるかもわからない。。。
そんな中で、自由を求める人間同士が、協力するというメリットがあるとすれば、ほぼ完全に、支配の
あらゆる糸から自由になり、自分で自分のことはできるようになっていて、さらに自由の高みを目指す
人間同士の協力関係であるかと思っていました。
そして、私そのものが、そのほぼ完全で不退転であると確信できる満足できる自由な状態になるまでは、様々な
関係性に不用意に飛び込むのは、避けたほうがいいだろうと、総合的に判断していたのです。
自分の真実を見抜く目がちゃんとよく見えない以上は、助け合いも協力も、自分だけではなく相手にも、
その自由や自治を求める心が本気であればあるほど、すべてを賭ける覚悟がない限りは、
また、すべてを賭けるということの意味を完全に理解できていない以上は、非常に危険であると判断したわけです。
というわけで、単独でより平和的に自給自足自治する訓練を続けてきたわけです。
そして、生活面や経済性や食生活などの面では、それなりのレベルには、到達できたと思います。
ですが、それでも、まだ十分ではないと感じました。
さらに、心や欲望や気分や生命エネルギーや夢や眠りや注意力や記憶などが、すき放題に支配操作されています。
しかし、それらの支配を完璧に超越し、自由になることは、とほうもなく困難であろうと感じてもいます。
すべてを賭けて強い意志を持ってやれば、不可能とはいえないかもしれないが、
、それをどんな人間もすべてができるかというとまず不可能と推定できます。
また、人間の寿命は短く、あまりにも多くのことはなし得ないし、次第に老いによる制限もきつくなります。
人の心は変化し、また、それは、そうであることが否定されるべきものでもない。。。
いかなる旗印の下に集い協力しあうのかがまずは重要であり、次に、それが相互束縛の罠に落ちないように
目標設定を配慮する必要があると感じました。
そして、旗印=共通目標 を、「個人でもほとんどの人がその気になればできる楽しい平和的自給自足自治の実現」
としたのです。
利権の絡まない、搾取も支配もない、自由で合意が尊重される関係性を楽しみあう世界が、その目標実現を
基礎にして、作り出せる可能性があると思ったのです。
独りでもよし、また、みんなとの関係性もさらによし、しかし、関係性でもし問題があれば、いつでも独りに戻れる世界設定、
そして、それが双方理解し認め尊重し合える価値感の共有。
この設定ルールの世界を実現すれば、多くの望まない不幸が、なくなるだろうと。。。
いじめられるものは、いなくなるだろうと。
いじめる自由より、いじめられない自由を、守りたいと。
支配する自由より、支配されない自由を守りたいと。
ただし、自己責任として自業自得や因果律をよく理解できるようにすることで、また、それが自覚できるように
することで、自分の能動的行為の責任を自覚できるようにしようと。
そうして理解して成長できるようにしようと。
続く
これは メッセージ 1792 (digital_comic_12 さん)への返信です.
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