Re: ふざけるのもいい加減にしたら?
投稿者: opapi2007opapi 投稿日時: 2008/06/26 22:16 投稿番号: [975 / 1971]
>多様性の論議に発展すれば切りが無い。
ごまかしですね。
「多様である」ということで出発すれば「多様だから美醜認識の違いがある」という前提で「それを認めた上で現状の電柱はいいのか」という議論になる。
そうすると機能性など観点での議論もできるし、徒に西洋を基準にするようなことを持ち出す必要もなくなる・・・西洋を参考にするのはいいけど。
つまり「多角的議論ができる」ことと、加えて重要なことであるが「どちらの意見が正しいかの議論を人格や国民の優劣の話(例えば「西洋人の顔の優性・日本人の顔の劣性」などという寝言)にしてしまう愚かなことをしないで済む」のである。
ところが「普遍である」ということからスタートすると「普遍に反対」は間違っているということであり、もうこれは「普遍なんだから俺の言い分に従え」という「議論などあったもんぢゃない」ということになる。
一体全体「普遍であるかどうか」を勝手に「普遍だと」と決めつけて何がしたいか・・・主客転倒した「電柱を地中化したい」というのが先にあって、その為に「普遍である」と言い張っているということだ。
余りにも世間知らずというか、自分の意見が「当然通るもの」と思い込んでいて、実際はそうぢゃないので詭弁でも何でも弄しているのだ。
だから宗教であり教祖なのだ。
バリバリの創価学会員と話をしたことがあるが、もう「池田先生は絶対である」ということはテコでも譲らず、北朝鮮と同じ個人崇拝だという感想を受け付けようともしない。
君の「普遍である」というのは、バリ学会員と同じ「反対者は間違っているに決っている」という選民意識に塗れた視野狭窄・頑迷固陋な超小物独裁者の態度である。
そんなんぢゃあ「現実対応とは多様な価値を認めた上で妥協をはかるものだ」ということも理解できないだろう。
要するに「掲示板上で主張できればいい」のでしょうな、お目出度い教祖様ですね。
ロバの耳であることを知らない裸の王様と言ってもいいかな?
これは メッセージ 974 (fcddh598 さん)への返信です.
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