Re: 『 ミットモナイ 』
投稿者: fcddh598 投稿日時: 2008/03/02 19:59 投稿番号: [814 / 1971]
同じ感性の人もいるもんです。(でも少ない)↓↓
http://questkpax.blog51.fc2.com/blog-entry-708.html
(以下全文)
何かと話題に上ることの多い京都の景観論争。これって、ほんとに何十年も前からですね。
はっきりいって、特に京都に思い入れのない身としては、それほどしゃかりきになってやるほどの景観が、そもそも京都の街にあるのか、というのは常々感じています。まあ、街がどうのこうのよりも、お寺の境内の中から、まわりに高いビルやらゴルフ場のネットやらが見えては困る、という趣旨のようだし、それはそれで理解できます。札幌の時計台なんて、恥ずかしくて外国人に観光地としてわざわざ見せたりはできませんもんね。
ただ、京都は景観論争なんてことで大騒ぎするくらいなら、あの醜い電柱と電線をなんとかせい、と、いつも心底思います。そうでなくても狭い狭い路地に、邪魔な電柱が立って、さらに太い電線が見苦しく錯綜して、せっかくの(一部の)風情ある街並みも台無しです。
私が外国の観光客なら、あんなきたならしいものをそのままにして、国際観光都市だの千年都だのいってるのを聞くと、日本人の感性にあきれるでしょう。
電柱のある全ての都市が醜いわけではありません。それは、海外旅行してみて感じることがあるでしょう。
日本の電柱があまりに醜いのにはいくつか理由があって、まず、そもそも上記のように、大半の場所で、電柱を立てるにはスペースが狭すぎること。本来、日本のような都市こそ、積極的に地中化をすべきであり、実際にそれしか手段のない水道、下水、ガスなどは地中化しているわけだから、電線のそれを怠っているのは、いかにもけちくさい理由としか思えません。
それから、あのコンクリート剥き出しの柱本体と、美観になんの配慮もない碍子や取り付け金具。あれって、テレビやデッキやスピーカーに、カバーを付けずに内部剥き出しで室内に設置しているようなもの。そうなると、インテリアもへったくれもないでしょう。あるいは、ボンネットを付けずに内部剥き出しで走る車とか。
まあ、比較的内部構造がすっきりしたタイプの製品には、一部スケルトンで中が見えるように作ってあるものもありますが、これとて透明もしくは半透明なケースまで外してしまうと、うっとおしいこと間違いありません。
まれに、形状や色などに配慮した、電柱や高圧線鉄塔をみかけることがありますが、せめてあのようにすると、ずいぶんと違います。
また、露骨に傾いた電柱がとても多い。もちろん、初めからではないでしょうが、回りの建物や隣接する電柱と比較して、おそろしく傾いた電柱があちこちにあります。
さらに、ケーブルテレビやら電話やら光ファイバやら、なんでもありの配線。しかも、配線になんのルールもないかのような、むちゃくちゃなスパゲティ状態。電柱だけでもきたないのに、そうした太くて見苦しいケーブルが、もつれた釣糸のような有様で空への視界を遮ります。
そして、電柱に据え付けてある、でかくて醜悪な変圧器の類。これも、日本が狭いという理由でしょうが、本来地上に設置すればもう少し見られるものを、土地使用料・申請手続きなどの経費や手間などを嫌うこともあるのでしょう、無理矢理に電柱の上にとりつけて、ますます不安定で邪魔で不格好なシルエットをつくり出します。
海外の多くの国では、このようなトランスは、かなり小型のものは別にして、だいたいは地上に設置しているため、電柱は概ねシンプルなシルエットの単なるポールで、電線などのケーブルもごちゃごちゃとクロスすることなくすっきりとしたラインを描いているので、日本のようにうるさくないのです。
大半の日本人は、どうやら「言われてみればたしかにそうではあるな」くらいの違和感しか覚えていないようで、その点は、日本人の美的感覚は鋭いはずではないのか、と非常にいらだちをおぼえます。どのくらいいらだちをおぼえるかというと、「景観論争」なんて言葉が出るだけでアホかーっ、と叫びたくなるくらいなのです(笑)。
ともあれ、特に戦後、街の薄汚さを意に介さない日本人がすっかり定着してしまった現状。人の少ない場所ほど景色が美しい、というようでは、日本は文化的とは到底いえません。
http://questkpax.blog51.fc2.com/blog-entry-708.html
(以下全文)
何かと話題に上ることの多い京都の景観論争。これって、ほんとに何十年も前からですね。
はっきりいって、特に京都に思い入れのない身としては、それほどしゃかりきになってやるほどの景観が、そもそも京都の街にあるのか、というのは常々感じています。まあ、街がどうのこうのよりも、お寺の境内の中から、まわりに高いビルやらゴルフ場のネットやらが見えては困る、という趣旨のようだし、それはそれで理解できます。札幌の時計台なんて、恥ずかしくて外国人に観光地としてわざわざ見せたりはできませんもんね。
ただ、京都は景観論争なんてことで大騒ぎするくらいなら、あの醜い電柱と電線をなんとかせい、と、いつも心底思います。そうでなくても狭い狭い路地に、邪魔な電柱が立って、さらに太い電線が見苦しく錯綜して、せっかくの(一部の)風情ある街並みも台無しです。
私が外国の観光客なら、あんなきたならしいものをそのままにして、国際観光都市だの千年都だのいってるのを聞くと、日本人の感性にあきれるでしょう。
電柱のある全ての都市が醜いわけではありません。それは、海外旅行してみて感じることがあるでしょう。
日本の電柱があまりに醜いのにはいくつか理由があって、まず、そもそも上記のように、大半の場所で、電柱を立てるにはスペースが狭すぎること。本来、日本のような都市こそ、積極的に地中化をすべきであり、実際にそれしか手段のない水道、下水、ガスなどは地中化しているわけだから、電線のそれを怠っているのは、いかにもけちくさい理由としか思えません。
それから、あのコンクリート剥き出しの柱本体と、美観になんの配慮もない碍子や取り付け金具。あれって、テレビやデッキやスピーカーに、カバーを付けずに内部剥き出しで室内に設置しているようなもの。そうなると、インテリアもへったくれもないでしょう。あるいは、ボンネットを付けずに内部剥き出しで走る車とか。
まあ、比較的内部構造がすっきりしたタイプの製品には、一部スケルトンで中が見えるように作ってあるものもありますが、これとて透明もしくは半透明なケースまで外してしまうと、うっとおしいこと間違いありません。
まれに、形状や色などに配慮した、電柱や高圧線鉄塔をみかけることがありますが、せめてあのようにすると、ずいぶんと違います。
また、露骨に傾いた電柱がとても多い。もちろん、初めからではないでしょうが、回りの建物や隣接する電柱と比較して、おそろしく傾いた電柱があちこちにあります。
さらに、ケーブルテレビやら電話やら光ファイバやら、なんでもありの配線。しかも、配線になんのルールもないかのような、むちゃくちゃなスパゲティ状態。電柱だけでもきたないのに、そうした太くて見苦しいケーブルが、もつれた釣糸のような有様で空への視界を遮ります。
そして、電柱に据え付けてある、でかくて醜悪な変圧器の類。これも、日本が狭いという理由でしょうが、本来地上に設置すればもう少し見られるものを、土地使用料・申請手続きなどの経費や手間などを嫌うこともあるのでしょう、無理矢理に電柱の上にとりつけて、ますます不安定で邪魔で不格好なシルエットをつくり出します。
海外の多くの国では、このようなトランスは、かなり小型のものは別にして、だいたいは地上に設置しているため、電柱は概ねシンプルなシルエットの単なるポールで、電線などのケーブルもごちゃごちゃとクロスすることなくすっきりとしたラインを描いているので、日本のようにうるさくないのです。
大半の日本人は、どうやら「言われてみればたしかにそうではあるな」くらいの違和感しか覚えていないようで、その点は、日本人の美的感覚は鋭いはずではないのか、と非常にいらだちをおぼえます。どのくらいいらだちをおぼえるかというと、「景観論争」なんて言葉が出るだけでアホかーっ、と叫びたくなるくらいなのです(笑)。
ともあれ、特に戦後、街の薄汚さを意に介さない日本人がすっかり定着してしまった現状。人の少ない場所ほど景色が美しい、というようでは、日本は文化的とは到底いえません。
これは メッセージ 813 (fcddh598 さん)への返信です.