Re: お金ばかりの人生じゃないよ
投稿者: skyrinnka 投稿日時: 2007/03/25 11:29 投稿番号: [824 / 973]
職場異動を申し渡されました。
私の学校は、はっきりと不登校の子に時間をさかなくていい
といわれました。
そして、教室に入れない子は認めないと・・・
人権侵害に当たる言葉を聞き
これが現実の教育現場なのです
この1年の間に相談室が教室になってしまいました。
不登校の子が噂を聞き相談室ならということで登校し始めたからです
相談室には教室とは違う価値観のルールがあります
それは、誰かに守らされるものではなく
自分たちが守りたいルールです。
でも、それが規則や統制を重んじる学校内では
甘すぎると言われ、異動になりました。
父兄やいろんな先生が校長先生にかけあって異議を申し出てくださいました
この一年、わたしは学校の中で学校以外の価値観を学んできました
勉強はみんなと一緒でなくてもできる・・皆1度も授業に出なくても
公立、私立の高校に合格しました
であったとき、一番したいことは校舎の屋上から飛ぶこと
といっていた子は
ぼくが一番したかったこと
というタイトルでもう少し生きてもいいかな
という最期のせりふで虹を見上げる絵本を作って卒業しました
将来漫画家になる夢を持って
ピアノの才能が在る子は
ステージで私の為に演奏をしてくれました
そして、病院から一生直らないといわれた
体の症状を卒業式に参加し乗り越えました
そして親と先生が進めた高校すべてに合格して
そしてそこへは行かず、通信で高校資格を取るという選択をしました
自分がしたいことをしながら、勉強をしたかったのです。
また、在る子は夜間高校で
家事を手伝いながら
お母さんを助けて、学ぶ道を選びました
母は高校へはいかなくていいといわれたのを
一緒に一生懸命勉強をする姿をみせて説得しました
普通に受かる高校へ行き
進学したのではなく
自分で自分の道を切り開いていきました
残った子たちは
今、イジメのトラウマと戦っています
私の仕事は耳元でささやくコーチング
人が信じられなくなった子が
やっと人を信じられるようになり
今月みな教室に入れるようになりました
いじめた人を見かけると
体を硬直させて息が詰まってしまったり
時には倒れたり
悲しいかなそんな苦しみは学校という組織の中では
あまりかかわりたくない余分なことだったのです。
教室にいるのがあたりまえ
いられない子は我儘・・・
私の仕事は教師ではありません
こころと体と頭の中が悲しみと苦しみで
ばらばらになったのを
ひとつひとつつなぎあわせて
一緒に歩いていく、それだけの仕事
もし教師の仕事をしてしまったら
今度はわたしがこの子達を引き裂いてしまったと思います
この数週間、私の仕事に共感される若い先生方が
遊びにみえるようになりました。
現実と自分の理性との葛藤をかたって帰られます
ヒーリングを受けて帰られる先生は
ここにくると教室に帰っていつもと違う自分でいられる
とおっしってみえました。
子どもだけでなく
その子どもに関わる先生方が苦しんで見えるのです
学校経営という言葉が職員会議で語られます
おかしいよ??
人に関わり育む場所が
資本主義の経営感覚で動いたら
人は機械部品になっちゃうよ
もう、怒りも何もありません
ただ、ここで関わった人の中に何かが伝わり
少ない先生の中でもある心の種が生まれたことを見届け
この学校で繋がった人たちに感謝しています
たぶんこれからもこんなことを繰り返しながら
わたしは自分が行く場所に問題提議をしつずけていくんでしょうね
それもまた、わたしの仕事かもしれません
私の学校は、はっきりと不登校の子に時間をさかなくていい
といわれました。
そして、教室に入れない子は認めないと・・・
人権侵害に当たる言葉を聞き
これが現実の教育現場なのです
この1年の間に相談室が教室になってしまいました。
不登校の子が噂を聞き相談室ならということで登校し始めたからです
相談室には教室とは違う価値観のルールがあります
それは、誰かに守らされるものではなく
自分たちが守りたいルールです。
でも、それが規則や統制を重んじる学校内では
甘すぎると言われ、異動になりました。
父兄やいろんな先生が校長先生にかけあって異議を申し出てくださいました
この一年、わたしは学校の中で学校以外の価値観を学んできました
勉強はみんなと一緒でなくてもできる・・皆1度も授業に出なくても
公立、私立の高校に合格しました
であったとき、一番したいことは校舎の屋上から飛ぶこと
といっていた子は
ぼくが一番したかったこと
というタイトルでもう少し生きてもいいかな
という最期のせりふで虹を見上げる絵本を作って卒業しました
将来漫画家になる夢を持って
ピアノの才能が在る子は
ステージで私の為に演奏をしてくれました
そして、病院から一生直らないといわれた
体の症状を卒業式に参加し乗り越えました
そして親と先生が進めた高校すべてに合格して
そしてそこへは行かず、通信で高校資格を取るという選択をしました
自分がしたいことをしながら、勉強をしたかったのです。
また、在る子は夜間高校で
家事を手伝いながら
お母さんを助けて、学ぶ道を選びました
母は高校へはいかなくていいといわれたのを
一緒に一生懸命勉強をする姿をみせて説得しました
普通に受かる高校へ行き
進学したのではなく
自分で自分の道を切り開いていきました
残った子たちは
今、イジメのトラウマと戦っています
私の仕事は耳元でささやくコーチング
人が信じられなくなった子が
やっと人を信じられるようになり
今月みな教室に入れるようになりました
いじめた人を見かけると
体を硬直させて息が詰まってしまったり
時には倒れたり
悲しいかなそんな苦しみは学校という組織の中では
あまりかかわりたくない余分なことだったのです。
教室にいるのがあたりまえ
いられない子は我儘・・・
私の仕事は教師ではありません
こころと体と頭の中が悲しみと苦しみで
ばらばらになったのを
ひとつひとつつなぎあわせて
一緒に歩いていく、それだけの仕事
もし教師の仕事をしてしまったら
今度はわたしがこの子達を引き裂いてしまったと思います
この数週間、私の仕事に共感される若い先生方が
遊びにみえるようになりました。
現実と自分の理性との葛藤をかたって帰られます
ヒーリングを受けて帰られる先生は
ここにくると教室に帰っていつもと違う自分でいられる
とおっしってみえました。
子どもだけでなく
その子どもに関わる先生方が苦しんで見えるのです
学校経営という言葉が職員会議で語られます
おかしいよ??
人に関わり育む場所が
資本主義の経営感覚で動いたら
人は機械部品になっちゃうよ
もう、怒りも何もありません
ただ、ここで関わった人の中に何かが伝わり
少ない先生の中でもある心の種が生まれたことを見届け
この学校で繋がった人たちに感謝しています
たぶんこれからもこんなことを繰り返しながら
わたしは自分が行く場所に問題提議をしつずけていくんでしょうね
それもまた、わたしの仕事かもしれません
これは メッセージ 822 (mizno_kirara さん)への返信です.
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