かつての公害問題・公害反対運動・環境観
投稿者: hellolovers 投稿日時: 2010/02/13 13:38 投稿番号: [1 / 1]
高度成長期後期(1960年代後半〜1970年代前半)とその前後の時代における、公害問題(この時点で顕在化し問題視された環境問題)や、それに対する公害反対運動・環境対策など(つまり当時の世論の反応や対策など)、あるいは当時の人々の環境観というのはどういうものだったのか、あるいはそれは後年(今日など)どう評価されているのか、考察したいと思います。
まず、この時期において、工業など、公害問題・環境問題の発生源となった産業の環境対策観はどのようなものだったのでしょうか?
当時この産業に従事していた人達は、後年の同業者に比べて、少なくとも環境関係については職業倫理観が劣っていたのでしょうか?
そのような非難を、後年の同業者からあまり受けないのはなぜでしょうか?
当時の人々に「緑を大切に」などの価値観はなかった(弱かった)のでしょうか?
また、公害反対運動など、環境問題の被害を受けた(あるいは受ける恐れのあった)人達の反応・抗議活動などにも関心があります。
後世の人間の無責任な感想かもしれませんが、ニュース映像などを見る限りでは、後年の(民間の非営利組織などの)環境保護活動や、製品事故・トラブルなどへの反応などに比べると、それは陰鬱な雰囲気に見えます。悪い意味で時代(昭和?)を感じさせます。
水俣病のような重篤な健康被害を受けた場合なら、やむを得ないでしょう。
しかし、健康被害がかなり軽微な場合や、そもそも健康被害のない場合などでも、その抗議・反対運動は陰鬱なように見えます。
水質汚濁が漁業被害に留まった場合や、騒音・ごみ問題の類です。
少なくともポップス・フォーク等の音楽や、アート・漫画などを駆使したものは、あまり見られません。
また、その抗議活動などは、不法行為を辞さない傾向が強かったようです。つまり物理的・暴力的な方法を用いた抗議行為や業務妨害などを辞さなかったということです。座り込みなどの占拠や、漁業被害であれば汚染魚を路上やその工場の敷地などに撒き散らす、あるいは若干の器物損壊などが少なからず行われたようです。
(ただし、こうした抗議では、殺人・放火・爆破などの凶悪犯罪や、恐喝・脅迫、無論性犯罪・セクハラなどは、普通は行われなかったようですが。)
なぜ、当時の公害反対運動は、後年の同種の問題に比べて、陰鬱な雰囲気で行われのでしょうか?また、不法行為・軽犯罪(若干の器物損壊程度とはいえ)を辞さなかったのでしょうか?
なお、当時の漁業被害への抗議行動は、近年ドラマ化もされています。
またある報道系番組では、抗議行動に参加した漁民の当時の気持ちが武勇伝のように語られています。
また、当時の人々の環境観はどのようなものだったのかも関心があります。
1970年代頃には、海外から「宇宙船地球号」のような価値観が伝わり、地球全体としての環境保全に努めるべきであるという、今日のような環境への価値観もある程度あったようです。
ただしそれは、科学関係の啓蒙書や、受け手として主に児童・青少年を想定した作品を中心としていたようです。
一般の大人(現役世代)向けにはあまり読まれたり見られたりしなかったのかもしれません。
当時の一般の大人の環境観は、環境問題は工業地帯の周辺や幹線道路の沿線のことと考えられ、全地球的な環境はあまり想定されなかったのでしょうか?
あるいは当時の一般の大人に、リサイクル・省資源・ごみの減量・環境に配慮した自動車の運転(アイドリングストップなど)など、生活者として可能な環境対策は行われていたのでしょうか?
今日の日本において、年少者が年長者に対して「お前より俺のほうが環境意識が強い」のような発言はあまりなされません。
また、日本のほとんどの地域において、「今より昔のほうが環境が良かった」ように思われています。
当時の現役世代の大人は、近年では高齢者になっているでしょう。
しかし、環境負荷の高い産業に従事していた人を「お前は職業倫理が弱かった」としたり、行き過ぎた公害反対運動をしていた人を犯罪者呼ばわりしたりして、両者への高齢者福祉は不要などという意見が、普通はされないのはなぜでしょうか?
当時の環境問題のつけを今日払っているかもしれません。
また、手段を選ばない行動は、たとえ目的が環境問題の解決の呼びかけでも、犯罪(当時の刑法でも、今日の刑法でも)だと思うのですが。
まず、この時期において、工業など、公害問題・環境問題の発生源となった産業の環境対策観はどのようなものだったのでしょうか?
当時この産業に従事していた人達は、後年の同業者に比べて、少なくとも環境関係については職業倫理観が劣っていたのでしょうか?
そのような非難を、後年の同業者からあまり受けないのはなぜでしょうか?
当時の人々に「緑を大切に」などの価値観はなかった(弱かった)のでしょうか?
また、公害反対運動など、環境問題の被害を受けた(あるいは受ける恐れのあった)人達の反応・抗議活動などにも関心があります。
後世の人間の無責任な感想かもしれませんが、ニュース映像などを見る限りでは、後年の(民間の非営利組織などの)環境保護活動や、製品事故・トラブルなどへの反応などに比べると、それは陰鬱な雰囲気に見えます。悪い意味で時代(昭和?)を感じさせます。
水俣病のような重篤な健康被害を受けた場合なら、やむを得ないでしょう。
しかし、健康被害がかなり軽微な場合や、そもそも健康被害のない場合などでも、その抗議・反対運動は陰鬱なように見えます。
水質汚濁が漁業被害に留まった場合や、騒音・ごみ問題の類です。
少なくともポップス・フォーク等の音楽や、アート・漫画などを駆使したものは、あまり見られません。
また、その抗議活動などは、不法行為を辞さない傾向が強かったようです。つまり物理的・暴力的な方法を用いた抗議行為や業務妨害などを辞さなかったということです。座り込みなどの占拠や、漁業被害であれば汚染魚を路上やその工場の敷地などに撒き散らす、あるいは若干の器物損壊などが少なからず行われたようです。
(ただし、こうした抗議では、殺人・放火・爆破などの凶悪犯罪や、恐喝・脅迫、無論性犯罪・セクハラなどは、普通は行われなかったようですが。)
なぜ、当時の公害反対運動は、後年の同種の問題に比べて、陰鬱な雰囲気で行われのでしょうか?また、不法行為・軽犯罪(若干の器物損壊程度とはいえ)を辞さなかったのでしょうか?
なお、当時の漁業被害への抗議行動は、近年ドラマ化もされています。
またある報道系番組では、抗議行動に参加した漁民の当時の気持ちが武勇伝のように語られています。
また、当時の人々の環境観はどのようなものだったのかも関心があります。
1970年代頃には、海外から「宇宙船地球号」のような価値観が伝わり、地球全体としての環境保全に努めるべきであるという、今日のような環境への価値観もある程度あったようです。
ただしそれは、科学関係の啓蒙書や、受け手として主に児童・青少年を想定した作品を中心としていたようです。
一般の大人(現役世代)向けにはあまり読まれたり見られたりしなかったのかもしれません。
当時の一般の大人の環境観は、環境問題は工業地帯の周辺や幹線道路の沿線のことと考えられ、全地球的な環境はあまり想定されなかったのでしょうか?
あるいは当時の一般の大人に、リサイクル・省資源・ごみの減量・環境に配慮した自動車の運転(アイドリングストップなど)など、生活者として可能な環境対策は行われていたのでしょうか?
今日の日本において、年少者が年長者に対して「お前より俺のほうが環境意識が強い」のような発言はあまりなされません。
また、日本のほとんどの地域において、「今より昔のほうが環境が良かった」ように思われています。
当時の現役世代の大人は、近年では高齢者になっているでしょう。
しかし、環境負荷の高い産業に従事していた人を「お前は職業倫理が弱かった」としたり、行き過ぎた公害反対運動をしていた人を犯罪者呼ばわりしたりして、両者への高齢者福祉は不要などという意見が、普通はされないのはなぜでしょうか?
当時の環境問題のつけを今日払っているかもしれません。
また、手段を選ばない行動は、たとえ目的が環境問題の解決の呼びかけでも、犯罪(当時の刑法でも、今日の刑法でも)だと思うのですが。