錯覚と本質
投稿者: Shake 投稿日時: 2000/01/28 02:11 投稿番号: [815 / 62227]
錯覚と本質>本質的な部分で愛情が抱けない人間の存在は認めません。
愛情の本質とは何か?非常に深遠なテーマだね。しかし、実際問題として愛情の正常な発露が完全に行われているわけではないということです。
>野生動物の自立は錯覚ではなくて、動物本来の姿です。
また、議論が元に戻りますね。アースホールさんが「錯覚」という言葉を持ち出したのは「家畜」や「魚類」ではなく「野生」「哺乳類」にそのような錯覚を感じるということでしょう?本来の姿を問題にするならば魚類も家畜も自立していますよ。精神構造を利益誘導で錯覚してかまわないのなら、「魚類」や「家畜」に錯覚するのはなぜ必要悪なのですか?錯覚で漁業すら全面停止すればいいじゃないですか。
>毎日の生活の糧を得て、生き抜いていくことは、ただならぬ緊張感をともなった<情報の収集と判断>が行われています
それこそが進化の勝利者であるということです。つまり厳しい環境の中で生き抜いていくのは「野生」「哺乳類」だけにかぎる必要はないでしょう(家畜でですら、というよりむしろ家畜こそ淘汰は厳しいのです)。
これは メッセージ 811 (Earth_hole さん)への返信です.
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